あんなこと、こんなこと。どんなこと?

自分の言葉をしゃべりたくなった翻訳者のきままな独り言:多様だから価値がある。反論、異論大歓迎

2005年12月

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超壁薄悲惨ホテルの夜も明けて、寝不足の頭を抱えて最終日の沖縄の町に。こんなホテルで朝食なんか食えるかい、ふん。朝は国際通りのタリーズ。東京では確かサラダもあったはずなのにいと朝からシナモンロールをぱくつく娘に訴えるが無視される。大人しくクリームチーズベーグル1個を食べ、カフェオレを飲む。

レンタカーにはナビがついているのだが、これがくせ者。朝の寝ぼけ加減は半端じゃない。「もうすぐ右です」と音声でいいつつ矢印はしっかり左!そのうち正三角形が画面に形成される。こら、しっかりせんかい。ナビに振り回され、右往左往しつつもようやく首里城へ。レンタカー先着30台は割引という手書き看板に迷わずちょっと離れた駐車場に。怪しくても良い、安ければというところか。おかげで、世界遺産の一角、玉稜(たまうどぅん。うどんじゃないですヨ)も見学できた。爆撃、迫撃砲なる言葉がここでも飛び交う。

首里城沖縄の城は本州の城と大きく異なる。中国や台湾との距離の近さが体感できる場所でもある。登る途中にガーゴイルというか、竜の頭をした樋があったが、顔がつぶれている。鼻の頭を迫撃砲で飛ばされたのだという。長々と歩いてああ疲れたこれでおしまい?と聞く頃にようやくチケット売り場が現れた。復元された城である。赤の漆塗りで人が通るところは色が褪せている。驚いたことに2階で車いすに出会う。撮影もOKだ。沖縄は人に優しいのかもしれない。

娘に引きずられて、円覚寺、弁財天堂を回るが、円覚寺は扉だけ(裏から石で押さえてあった)、弁財天堂は欄干が腐っていて寄っかかるなの看板あり。淋しいなあ。同じ世界遺産の仲間といっても、首里城以外はひとけがない。他の周辺施設は休日に入っていた。

屋根の上のタンク気を取り直してデューティ・フリーショップへ。町中に巨大な施設が建っていてブランドものが揃っている。しかも免税価格の上に大盤振る舞いの大セール。でも買いたいものがない。食事をしただけでまたもや国際通りに舞い戻り最後の買い物に。

近所の人に以前、巨大なシーサーを貰ったのだが、引っ越しの時にお返ししたことがあったので最初は興味がなかったのに、見ているうちに可愛くなり、一対を買ってしまう。口を開けて間抜けに見える方が(失礼)男で、幸運を招き寄せているところだという。女はしっかり口を閉じ、幸運を逃さないとか。

さて来年はしっかり口を閉じることにしようっと。できっこないか。

馬鹿なことを書き流しているこのブログを読んでくださっているみなさま、ありがとうございました。どうか良いお年をお迎えください。来年もよろしくお願いします。

今帰仁城址世界遺産の今帰仁城址のチケット発売は9時から。9時前についてしまったのに売り場には人がいて、城址の入り口にもちゃんと人が座っている。ホントは9時からだけど、7時には座っているという。うん?

9c865b4c.JPGサトウキビを煮詰めたものにショウガを足し、お湯で割ったものを試飲。体がぽかぽか、思わず1本購入。千円。他では売ってなかったので買って良かった。屋根に注目。春には2種類の花が咲き乱れるそうな。

熟睡中の猫島には猫が多い。世界遺産を説明するパネルの前にも熟睡中の猫が(撮影禁止だけど、あまりに沖縄的で思わずぱちり。ごめんなさい)。

 

万座毛万座毛へ。風が強い。寒い。娘曰く、前は柵がなかったのに。事故があったんじゃないの?風が強い日に崩れた階段の一番上に登るお母様にそんなこというのは止めましょうね。

踊りナゴパラダイスでランの花1輪を貰い、琉球村のハブショーはご遠慮し、泡盛を試飲。踊りと歌を楽しみ、ついでに横にいた外人の女の子をからかって踊らせた後、渋滞の那覇を抜け、ひめゆりの塔へ。入り口で花束を購入し、ナゴパラダイスからのランも混ぜて献花。

職業病でついつい日本語と英語を読み比べてしまう。ニュアンスが微妙に違うのは米軍への配慮か。撮影禁止だし、3歩歩けば忘れる良い頭をしているからと言い訳しつつ、でもやっぱり書きたいのは、解散命令を受けたあとの(つまりリーダーのない状態で放り出された)追いつめられた人たちがほぼ一方的に殺されたという記述のところで、「in a fierce (もしかしたらsevereだったかもしれない)battle」とあったが、一方的に殺されたのであれば、battleといういかにも戦ったという言葉ではなく「slaught」という言葉を使うべきであったのではないのか?なぜこの虐殺、一方的な殺戮という言葉を避けたのか?

那覇市内で1キロ進むのに1時間というすごい渋滞に巻き込まれ、国際通りに面したホテルにようやくたどり着いたのが7時過ぎ。フロントロビー付近のみ立派な、ドアチェーンもない超狭、みすぼらしい、これ以上なく壁の薄い、例の偽装騒ぎに関係あるんじゃないのといいたくなるホテルだった。隣の部屋の女性が甲高い声で笑い続け、いつまでも眠れず。ぐすん。

ジンベエザメ名護のオリオンビールで大きめグラスのビール一杯を試飲してから、海洋博公園の美ら海水族館午後3時の餌やりにジャストミート。圧巻。

 

太田さん修正ジンベエザメ世界一の大水槽にマンタ3匹などと共に飼われているジンベイザメ3頭(6メートル前後!)が立ち泳ぎをしながら餌をあんぐり。

*おおたさんがご親切に画像を修正してくださったので入れ替えました。ありがとうございました。

歌うオキゴンドウ付属のおきちゃん劇場では、オキゴンドウクジラ3頭とバンドウイルカ2頭が大声で歌う!

なんて芸達者なのかしら。感激。

 

ホテル鏡

 

キッチネット付きの広い部屋に満足、満足。

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こう寒いと考えることは皆同じなのか、12月26日早朝沖縄行きの飛行機はほぼ満席だった。ダウンを抱えて降り立った先は冷たい風が吹いていた。ガイドブックには、この時期夜には上着が必要だが、長袖のシャツで十分とあったが、誰だこの記事書いた奴。セーターの上にパーカーを重ね、マフラーを巻いた珍妙な姿で写真に写ってしまったではないか。

写真は嘉手納基地上空を飛ぶ飛行機(戦闘機は速すぎて5年前のデジカメでは無理だった)

クリスマスを母ではなく彼と過ごした末娘のクリスマスプレゼントが沖縄旅行での運転手役。びっくりのプレゼントのつもりだったけど、忙しいから振り込んできてとの電話がかかったのがちょっと前。もっと早く言えよ!しかし超親バカとしては尻尾をふりふりの沖縄旅行だったが、若さには勝てない旅行でもあった。

初日が15000歩、2日目19000歩、3日目20000歩の強行軍。「ブーツじゃなかったらもっとがしがし歩いたのにい」とは娘。ああよかった、スニーカーを提案したのに却下されて。

そして、ハンドルを娘が握ったが、ハンドルを握るというのは生殺与奪の権を握るということ、権力闘争に娘が圧勝したということ。立場の逆転を身に染みて感じた3日間でもあった。「私のスィーティ」と呼んでいたのはつい昨日のような気がするが、遠い昔だったのね。きっと。

レンタカーで全島を巡ったのだが、それにつけても日本のどこでも感じたことのない第二次世界大戦の影が未だに色濃く残っていることに今更ながらこの島が引き受けさせられた運命を考えた3日間でもあった。

それにつけてもお役所仕事。28日は那覇市内の県立博物館も世界遺産である識名園も休館、休園だった。観光県としては、年末年始の書き入れ時に休んでいいんですか?

まあ、開いていればきっと3万歩の未知の領域に足を踏み入れ羽目に陥っていただろうけど…

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度重なる引っ越しにも捨てずに大事にしていたクリスマスツリーを娘に送った。29年もののツリー。アンティックのガラス玉付き。だって、子供のいないクリスマスはクリスマスじゃない。一人でなんかツリーを飾れない。子供が小さいうちは早く大きくなーれと願う。大きくなったら、何で大きくなったのとエプロンの端を噛んで涙にむせぶ(嘘だけど)。

しかし、子供のおかげでずいぶんおもしろい目に遭ってきた。子供が育った今、すべてが退屈だ。何の行事もやりたくない。昨年から年賀状もクリスマスカードも書いていない。やる気がないのだ。ながーい鬱状態なのかもしれない。

私のクリスマスは11月に始まっていた。各種のレーズンや香料、ブランデーにラム酒を買い集め、フルーツケーキの下準備にはいるのだ。レモンのすり下ろしと合わせて少なくとも1ヶ月以上、ガラスの大きな瓶に入れて毎日逆さにして混ぜる。クリスマスの10日ほど前に多いときは10本ほどもパウンドケーキ型で焼き、友人たちに配っていたこともある。もちろん、25日は昼からターキーならぬチキンを秘伝のスタッフィングを詰めて焼いていた。

ツリーの下にはプレゼント。お金がないときには下着だったり、ノートだったり、必需品のこともあったが、いくつも包装して並べていた。もちろん、サンタもやってきた。サンタ用のビールとクッキー、トナカイ用のにんじんをお皿に並べ、その横に、子供が大きくなってからは私の分も含めた全員分の靴下を並べ、子供が寝静まるのを息を潜めて待っていた。幸せだったのだな。

今年はツリーはない。子供もいない。見渡すと、雑然とした部屋にしょぼくれた私が一人。なんて奴らだ。クリスマスくらい帰ってこい!なんていっても仕方がないのは分かっている。帰ってこない日々を思って泣いていても仕方がない。明日からのバーゲンセールで、小さな、でもしゃれた卓上のクリスマスツリーを買うことにしよう。来年は自分にプレゼントしよう。染め付けのちょっと古いのがいいかな、古いガラスがいいかな。

両親からケーキを持って来いと呼ばれている。彼らにとっては私が子供なのだ。ちょっとおっくうだけど、さて、老老介護ならぬ老老クリスマスに行くとしようか。

娘の写真を借用。キタキツネが映ってます。

今年最大の寒波をやり過ごした翌日、セーターを重ね、トレーニング用の水分をはじくパンツと重いブーツを着用し、ダウンジャケットの胸にはホッカイロを忍ばせ、だるまのようになって東京の我が家を7時過ぎに出発。

b6547b72.jpgバスに異変あり。なんとかならないのかしらと前回営業所に電話をしたのが功を奏したのか、通常ならぴったり制限速度通りに走って交通妨害をするJRの高速バスが右車線を飛ばす、飛ばす。ドライバーの頭が飛んでいる可能性も否定できないが、こうなれば知ったことではない。飛んでけドライバーの奮闘むなしく、定刻より10分早く到着したのに、集落へのバスには間に合わなかった。1時間30分の待ち合わせ。

写真は高速道路走行中のバスの窓から2年前の携帯で撮影。きれいに取れたと思いません?携帯の性能にちょっと感激。さすが手ぶれ防止のP

帰りの便がどうなるか神のみぞ知る。ここで奥の手を出した。バスの窓口の女性にたった1分違いで接続できない。それに乗れなかったら東京に今日中に帰れないと訴えると、日頃愛想を振りまいていた芽が花開いたね。任しといて、バスは止めておくからとの心強いお言葉をいただいた。

心も軽く駅前の洋品店でタオルを購入。急坂を駆け上がり、体をざっと洗って、露天風呂から冬の木立を眺めるまで15分。やったね。新記録。ぬるっと体にまとわりつく優しい温泉である。真っ青な空を時折真っ白な雲が横切っていく。

再びバス停に戻り、車以外は人っ子1人通らない町の目抜き通りでひなたぼっこをしながらバスを待つ。所々に設けられた拡声器からカーペンターズのクリスマスソングが流れてくる。時間がゆったり流れていく。

集落でバスを降りると嬉しいことに道路には雪がない。晴れの特異地帯らしく地元の人が驚くほどの雪が降ったというのに嬉しい誤算。ブーツが重い。この30分ほどの急な坂を上るのが、大変だが、実は楽しみでもある。鳥の声と小川のせせらぎ、木々の葉音以外は無音の世界。実に贅沢なと毎回感じる。

田舎の我が家に到着したのは2時を過ぎていた。実に7時間を超える長旅だった。しかしゆっくりはしていられない。戸を開け放ち、電気ストーブをつけ、中を見回っただけで、大家さん宅、知人宅、友人宅へ向かう。知人は留守。どうやら海外旅行らしい。彼に夏にやって貰った工事のうち、水道屋からの請求書がまだ届いていないのだが、まあいいか。大家さん宅で話が弾み、3時半。

友人宅に向かうと、彼はパッシブソーラのテラスを増築していた。温室にするはずだったが小さいから人間用に変えたのだという。180cmを越す長身で、力持ちだから実にうらやましい。娘の研究室の先輩だったが、脱サラで今は土の分析をメインに何でもやっている。一緒に本を出そうと案だけは練っているが、不精者2人で先にはちっとも進まない。あれこれ言っている時が楽しいのだからこのまま先に進まないかも。

宵の明星自宅に戻るともう5時。戸締まりをし、電気を消すと鍵穴が見えないほど暗いではないか。ぽつん、ぽつんと思い出したように小さな街灯がともる中、解けだした雪が凍る暗い坂道を慎重に下りていく。しかし、空には豪華な宵の明星が現れ、光を増していく。

良いことばかりも、悪いことばかりもない。この空と、静けさと、穏やかな人たちは過疎故のこと。

右上の光が金星。左下の光が隣の集落の光。バス停で待っている間に撮影。クリックして大きくなると見分けられると思うのですが。

バス停には新宿行きの最終便が待っていた。そしてその横には窓口の彼女も外で待っていて、感動の再会。バスの運転手さんもまだ外で話していて、ゆっくり、大丈夫だよの声をかけてくれる。乗客は私とあと1名だけだった!4分遅れでバスは出発。東京の我が家にたどり着いたのは夜の10時を回っていた。

11時間の日帰り旅行、目的地での滞在時間は3時間強。歩いた距離は1万4千歩。温泉と、友人たちとお茶とおしゃべりができて楽しい時間でもあった。

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雪は降る。屋根が落ちるかもしれない。大家さんが怒る。私は追い出される。とにかく行かねば。ということで、土曜の夜に町営のホテルに泊まり翌朝早く田舎の家の様子を見に行き、その日の最終バスで東京に帰るという計画を立てた。

昨日の夕方の富士山。クリックすると大きくなります。

6月の時点ではまだ峠を越えて特急電車の停車駅から1時間のバスという選択肢もあったのだが、なんとそれも廃止になっていた。つまりその町は陸の孤島化がほぼ完了していたのだ。知らぬは住民ばかりなり。というか私だけ?大家さんに窮状を訴える電話をかけたがあきらめて家からでない人たちはそうなんだですましてしまう。

いくら田舎だからって」という記事で先日、書いたように、土、日は1日4本に減っていた。早朝、昼、午後、夕方、各1本だ。しかも、しかも、東京からの高速バスは12時10分前後に到着するのに、接続するローカルバスは11時50分に出発する!その次のバスは16時10分。という恐ろしい現状だ。

では一晩ホテルに泊まればその日の内に東京に帰り着けるのか。なんと、土日であれば帰り着けないというのが結論になった!高速バスで3時間半のところ。だから家を借りる気にもなったのに。あーあ。

新宿行き高速バスの最終が17時45分。その部落からのバスが町に到着するのが17時46分。惜しい!なんていってられない。ムッ。いつも5分から10分遅れるので間に合わない。

高速バスの午後の上りは1日2本でその前の便が16時21分発だが、土日ではローカルバスは13時16分に町に着くバス以外に選択肢はない。ということは自宅を12時半には出なくてはならない。町から部落に向かうバスは始発の次だと家に着くのが12時半!ホテルに泊まると朝食抜きで始発に乗るしかないが、それでも滞在時間は3時間!

あきらめて週日に出かけることにした。

それにしてもここまで見事に接続を外してあるのは、たんなる偶然やたんなる馬鹿ではないような気がしてきた。

運転手さんとの会話がよみがえる。「会社は本当はこの路線を廃止したいと思っているんですよ」「役場に頼まれていてねえ」「赤字で」「イヤイヤ走らせてるんですよ」

佐藤秀さんは「無料バスと有料バスが同じ路線を走る」という記事で、「バスの乗車率低下の実績作りして補助金もらいたいのじゃないかと思えるのだけど」とおっしゃっていたけど、それとも違うと思う。この町は、町の中とその周辺を補助金を出して相乗りタクシーや小型バスを運行させている。

乗車率低下の実績づくりをして、路線廃止に持ち込みたいという、かの民営化路線の当然の帰結なのだと思える。申し遅れましたが、バス会社は、ご想像通り、JRバスである。

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なんだかよう分からんけど、与謝野金融担当大臣がジェイコム株で儲けた証券会社を批判し、いち早く国内証券会社は儲けを返上することを決めたらしいけど、なぜ?

証券会社は鞘を抜いて儲けるのが商売。相手が間違えたとはっきりしているのに儲けるのはおかしいといちゃもんつける方がおかしいんじゃない?市場主義を遂行しているところなんでしょ?市場に出回ったもので機敏に儲けただけでなにも悪くないんじゃないの?ディーラーは上手く儲けたと褒められてもおかしくないと思うけど。

これは倫理の問題じゃなく経済・市場の問題でしょ?文句をつけられたからってはいそうですかって、せっかくの儲けを差し出す方も差し出す方だけど。外資はノーコメントらしいが、圧力をかけているんじゃないでしょうね。みっともない。

都合のいいところだけ市場万能主義で、それ以外は護送船団方式なんて、自分の気分でくるくる変えないでよね。

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といっても、最近とみに増えているぷっつん男のことじゃない。弾さんが私の恥ずかしい写真を見せます(お願い、エログの方々寄ってこないで)と題して頭の中身を大公開なさっている。

同じ時期に私もMRIの検査を受けて頭の中身を見たのだが、病院の違い、つまり料金の違いでもあるのだろうが、違いに少々困惑した。20世紀と21世紀くらい違う。

私は健康診断ではなく検査、つまりどこか悪いところがあるかもしれないという前提だから、弾さんより詳しくても良いはずだが、MRAなるものはなかったし、胸部のレントゲン写真と同様に、医者がずらりと目の前に掲げて、ふむふむと言って終わった。

CD-ROMも貰えなかったし、写真ももちろん貰えない。大人しくお話を伺い引き下がってきただけだ。その医者がその前に「金スマ」で見たお笑いを目指す女医さんに瓜二つだったものだから、おまけとしてちょっと突っ込んでしまったが、その時間を足しても5分とかかっていないだろう。

総合病院などどこでも同じかと思ったが、違うのね。今度病院のはしごをしてみようっと。

そういえば、以前近くの胃腸専門の診療所で採血したことがあった。1,2週間後に内科にかかることになり、そこでも採血が予定されていたので、データを欲しいと頼みに行ったら、医者に呼び込まれ、コピーするにも金がかかるんだよとお説教を受けたあげく、診療費!とコピー代金として千数百円を請求されたことがあった。

検査結果の所有者は誰なのだろう?元の血液は私のだし、検査料も私が払ったし…ふん?

PCが誤作動するのはメモリが足りないからかなと何となく感じていけど、面倒くさい、嫌だとぐずぐずしていたら、ついにメモリが足りませんという警告がでてしまった。

4、5年くらい前、前のPCにハードディスクとメモリを足した時、なんせ力がないので、カバーの開け閉めも大変で、半日がかりで、掌は赤くなるし、途中で諦めて、ハードディスクを中途半端な形で増設したんですよね。

でも仕方がない。うううとうなりながら、嫌だ、嫌だと騒いでも誰もいないし、ドラ息子はたとえ家にいても猫の手にもならないから、しょうがなしに始めたら、これがなんと、簡単だったんですよ。

やっぱり、こういうところも進化しているんですね。すっかり感心してしまった。メモリを差し込むのが力がいったけど、机の上に置いて、布をあてがい体重をかけると(体重には自信あり!)、掌は痛くなったけど、とにかくすんなりはまってくれた。

そして、PCの速いこと。今までは、スイッチを入れてから、お湯を沸かしに立ち、沸いた頃戻ってきてちょうどというくらい立ち上がりに時間がかかったのに電光石火の早業なんですよね。とっとと足せば良かった。で、嬉しくなって仕事をせずにゲームをしてしまったけど、うーむ。

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田舎に行く準備をしていた。仕事や、病気や、孫や、マンション組合の会合の合間を縫ってようやく見つけた隙間の週末。重い荷物を引っ張っていくのだから、天候も重要な要素だ。先週は雪で高速バスがキャンセルになったと言うし。

荷物が重いのは、東京から食料を運んでいくためだ。なにしろその町のスーパーには賞味期限を1年以上過ぎたレトルトだの、中身がすかすかになってしまったニンニクだの、くさった果物だのが並んでいるのだ。いくら私でも怖すぎる。

6月までは新宿からの直行便が運行されていたが、乗客が少なく廃止され、町で一度ローカルに乗り換えなくてはならない。昨年、突然ダイヤが変更されひどい目にあったので、電話をかけた。ローカルバスの担当者が暇なせいかやたらにダイヤが改正されるのだ。

案の定、ダイヤが変わっていた。土、日は1日4本に減っていた。早朝、昼、午後、夕方、各1本だ。しかも、しかも、東京からの高速バスは12時10分前後に到着するのに、接続するローカルバスは11時50分に出発する!その次のバスは16時10分。

東京じゃないんだ。数分で次の電車やバスがくる町ではない。繰り返すが1日4本しかないのだ。わずか20分前に出発させる意図はなんだ?分かっている。意図などない。単に乗客のことも、何も考えず、走らせさえすれば用が足りると思っているのだ。

一応観光地だ。ご多分に漏れず地域の活性化に必死で、企画をいろいろ考えている。それならまず、足下を固めてよ。丁寧に、気配りしてよ。

これで土、日には行けなくなった。多少本数が増える平日に行くしかなくなった。私が行くのを待ちきれず水道管が凍って破裂したらバス会社に請求してやろうかしら。全く。

鷲開発会社ヒューザーの小嶋進社長が、偽造公表の2日前の11月15日に国土交通省に根回しを頼んだというニュースが偽装問題が明らかになった最初の頃に流れた。小嶋進社長は構造計算書の偽造が公表される前後に計3回、国土交通省を訪ね、建て替え費用などの公的支援を求めていたby Asahi.com 

今回の構造設計偽装問題では、ヒューザーの社長が何よりもまず国土交通省に飛んでいったことと、税の投入がいやに素早く決定されたこととの間になにかつながりがあるのではないかと勘ぐってしまった。げすの勘ぐりといわれればそれまでだが、最初から小嶋社長が税金を投入すべきだと叫んでいた通りになったのは偶然なのか、それとも普段のロビー活動なり、おつきあいが上手く実を結んだということなのだろうか。

何しろ地震が何より嫌いだから震度5強で倒れる建物に住んでいる恐怖はいかほどかと心から同情する。同情するのだが、公的資金の投入はちょっとおかしいのではないか。もちろん生活資金の貸し付けを国が手助けするのは大いに結構だが、税金投入は取るべきところからまず取った後に、あるいは取れない場合に考えるべきことではないのだろうか。

今回は責任の所在ははっきりしている。問題の所在と責任の所在が明確になっているのだからそこからまず賠償させるのが筋だと思う。つまり、契約解除して、住民に金を返し、費用を、有責当事者間で裁判でも何でもやって分担させればいい。現在の法律では建物自体が瑕疵であることは想定されておらず、建物の瑕疵を理由に解除することはできないらしいが、自発的に解除させるという方向にもっていくことは可能だろう。嫌だといえば国が裁判費用を肩代わりして民事訴訟で資金回収を図るというのはどうだろう。

もし税金を投入して住民を救済すれば、他の人たちに非常に不公平なことになってしまう。例えば、欠陥住宅で苦しんでいる人たちはテレビで特集となるくらい大勢いるのに未だに放置されている。民事だから介入せずというわけだ。地震ですぐにでもつぶれてしまう欠陥建て売り住宅に住んでいる人と今回の人たちとの間で扱いが違うのはおかしい。

さらに、建築基準法改正以前の震度5程度しか耐震性のない住居に住んでいる人たちが多数いるが、この人たちについてはどうするつもりなのだろう。資金がなければつぶれるのをそのまま待つしかないということなのか?

地震の恐怖に怯えている人たちを放置できない、直ちに救済しなければならないから税金を投入するというのであれば、これらの人たちも同じく救済しなくてはおかしいと思うのは私だけなのだろうか。 

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社会は信頼の上に成り立っている。特に日本の制度は性善説の上に成り立っているように思える。社会の構成員が正直に、自分の仕事に誇りを持ち、勤勉に仕事をするとの前提に立っている。

恥の文化から恥が失われてからかなりの時間が経った。万引きは、かって死ぬほど恥ずかしいものだったはずだ。それが街のスーパーにもショッピングセンターにも警備員の姿が目に付くようになって久しい。

女、子供を殴る男は、最低の男、人間のくずだったはずだ。弱いものいじめはみっともない、恥ずかしいことだったはずだ。それが小さな女の子を殴り、刺す。

乗ってもいない電車に乗ったとして事故の補償金をせしめ、食べてもいない肉を食べたとしてスーパーから金をせしめた大勢の人間。隙さえあれば物を盗り、金を掠め、うまくやったと自慢するのが子供ではなく大人であれば、その人間の子供はどういう子供に育つのだろうか。

乗客の命を何より優先するはずの運転士がパニックだか、血迷ったのだか知らないが暴走し、大地震がくるのは時間の問題といわれている東京に自分の画面通りに建てられると何百人の命が危ないことを知りながら目先の金に目がくらんだ設計士。検査することが仕事なのにきちんと検査せず言い訳に終始する確認会社。

人を、会社を、政治家を全面的にすべて信頼しすぎるとリスクが大きすぎる。根幹となるもの、安全が関わるものだけでも、人は、会社は、政治家は悪いことをするという前提に立ったシステム作りが必要になっているのではないだろうか。残念ながら、人は間違いを犯すもの、機械は壊れるもの、会社は儲けのために暴走するもの、政治家は私利私欲に走るものと前提することが必要な世の中になってしまっている。

全面的に信頼しする、お任せするというのは自分に楽だが、甘えだろう。各人が様々な場面でリスクを想定し、対処法を考え、覚悟していくことが必要なのだろう。

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みんなでお節介をしようよ。子供の安全のため。みんなの安全のため。誰かが助けを求める声がしたら、迷わず110番しようじゃないの。

30分も悲鳴や物音がしていたなんて、周りに人がいたのにその人はなぜ黙っていたの?なぜ、そんな必死の声を黙殺できたの?警察がくれば助かったかもしれない。病院に運べば死なずにすんだかもしれないのに。

人のことだと思わないで。明日は自分にふりかかるんだから。

泣いている子供がいたらどうしたのと一声かけよう。危ないことをしている子供がいれば叱ろう。困っている人がいれば助けよう。簡単なことじゃないか。

おじさん、おばさん、うざいと言われてもいいじゃない。嫌がられてもいいじゃない。個人主義の国、経済効率第一の国では子供は育てられない。うるさくしようよ。それに結局は自分のためなんだよ。

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なんだかよく分からないが、被疑者が連行される場面で手錠が画面に映ることがない。上着が掛けられていることもあればモザイクの場合もある。また頭からジャケットを被り顔を隠している人がほとんどだ。

これは昔は刑事さんの人情だと解説され、その後は人権問題によるものだと思っていた。人権は人種、性別、年齢に関係ない、人であれば、誰であれ人権があるはずだ。

となると、女児を殺して箱詰めにしたとして逮捕されたペルー人についてはどうなのだろう。家の中まで放送したテレビ局はどうなのだろう。テレビのワイドショーで、逮捕前のスクープ映像なるものが流れた。

その付近は外国人が多いということを聞きつけインタビューをした際に撮ったのだというが、画面から見るとどうも盗撮のようにみえる。ぼんやり暗い映像で、下から撮ってある。家の中を映し出し、コンロの型番と捨てられていた箱の型番が一致すると解説していた。

もちろん、子供を殺すなど最低の犯罪だ。犯人は人間のくずだ。だが、犯人とまだ確定されていない人間に対し、これっておかしくないか?

この手の報道が味を占めて主流になっていくのだろうか?どこにでもカメラが出現し、相手かまわず盗撮しても結果オーライなら何も問われないようになるのだろうか?それとも外国人だから、白人ではない外国人だから、多少は許されるとでも思っているのだろうか。

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