あんなこと、こんなこと。どんなこと?

自分の言葉をしゃべりたくなった翻訳者のきままな独り言:多様だから価値がある。反論、異論大歓迎

2006年10月

ソフトバンクが携帯電話の契約業務を一時停止、番号継続制申し込み殺到でというニュースの「見出し」を見て、すごい、ゼロ円の威力にやはり人はひっぱられるんだと、おっちょこちょいにも思い込んでしまった。

充分なシステムを構築せずに、宣伝を先行させたのはまずいんじゃないの、テレビなど広告をかくも派手にぶちあげるのであれば、システムにも十分な資金を投下していると思うじゃないですか。それを上回る顧客が殺到?すごい。

しかし、良く読んでみると申込殺到というのは、ソフトバンクに変えたいという人ばかりではないらしい。ソフトバンクから変えたいという人がもしかして殺到したのだろうか?まあ、ソフトバンクに変えたいと思っていたが、今回の件で気が変わったという人も多いのではないかな。

なんていったって携帯は電話なのだから、つながることが第一条件。システムが不十分だと、電話はちゃんとつながるのかちょっとばかり不安になる。

しかし、まあ、こういう一番大事なしょっぱなで転んでしまって、大丈夫なのだろうか?ウィルコムが後ろからかなりの速度で迫ってきているようだし。大言壮語も裏付けがあればなるほどさすがとなるが、言葉だけ先行はあまりいただけませんねえ。

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今朝のテレビ番組で広島ドッグパークについての特集を見た。病気や怪我をした痩せこけたしかも成犬を引き取ろうと、3000人もの人が犬を並んだとのこと、また全国からボランティアが駆けつけたこと。素晴らしい人たちが大勢いることに少々ほろりとしまった。ブログで取り上げてくださったみなさま、その節はありがとうございました。

それにしても、表面に出ない虐待は多いだろう。幼児と犬、ともに絶対的に親や飼い主を信頼するしかない、逃げ場のないものを虐待するというのは次元が違う酷いことだと思える。

毎日のように散歩している公園には、当然、犬を散歩させている人たちも大勢いる。これがどうも気になっている。犬には流行がある。生き物なのになんだか変だがれっきとした流行があって、流行の犬種は移っていく。

それはいい。自分の家の広さ、財布の中身、体力と照らし合わせて飼うのだろうし、何もとやかく言うことではないのだが、散歩させる犬の犬種が見事に移っていくのだ。

10年ほど前だったか、ハスキーが流行の時にはハスキーが多かった。買うのが難しいとの評判が立つとハスキーの姿が見事に公園から消えた。その後、ゴールデンとラブ一辺倒になり、右を向いても左を向いてもゴールデンやラブの散歩姿が目に付いた。

数年前から小型犬が多くなり、コッカスパニエル、柴犬の次はチワワ、コーギーときて、最近はポメやマルチーズ、テリアが群れをなしている。

待てよ、じゃあ、あの沢山いたラブやゴールデンはどこへ行ったのだろう。柴犬やチワワもめっきり姿が少なくなっている。

犬の寿命は10年から15年だという。小型犬の方が長生きだと言っても、大型犬も10年超生きる。公園から姿を消した大型犬はどうなったのだろう。本来ならまだ生きているはずだ。では?家族と称して大事にしていたはずなのに。

生き物は消耗品ではない。飼うからには犬も年をとり、よぼよぼとなり、ぼけること、介護が必要となることまで考えなくては嘘だ。60歳近くなった知人は、自分が先に死んだり、散歩できなくなると可哀想だから、犬も猫ももう飼うことは諦めたという。生き物、特に毎日の世話を必要とする生き物は高齢者の友ではなく、お荷物となることもあることを覚悟しておく必要があるだろう。

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長距離高速バスをよく利用する。降車区間が近づくと、様々なメッセージが流される。特に降車の際にチケットを回収すること、紛失すると料金を取ることは乗車する際、途中休憩に入る際、各停留所に停車するたびに、テープと肉声と2回ずつうるさくアナウンスされる。これだけうるさいのになくしたと騒ぐ人がいる。しかもそういう人に限って、「切符のご用意をお願いします」というアナウンスも流れるのに、バスを降りるときになって無くしたと騒いでバスの運行を妨げる。

先日、後ろの席の男女2人が酒盛りをして盛り上がっていた。どうやら流行の中高年登山の帰りのようで、女性の方は保険のおばさんのようだった。呆れたことにこの2人はほぼ4時間、ノンストップで騒ぎ続けたのだが、途中で男性が降りる際、というか降りてから切符がないと騒ぎ出した。停留所で荷物を点検し、再び乗車してきて、周囲を探し、結局見つからなかったのだが、支払いで揉め、運転手さんは、お客さんにもう5分以上待って貰っているので、今回は結構です。気をつけてくださいとバスを発車させた。

さあ、それから女性の方が騒ぎ出した。彼女の切符もないというのだ。座席の下を調べ、リュックを覗き、その間、私の髪の毛を掴み(2度も、故意でないと思いたい)、お尻等で座席をドンドンゆらし、迷惑千万だったのだが、呆れたのは、言いぐさ。

大きな声での独り言によると、「最初、切符は安いなと思ったのよ。だからどこかにあるはずだわ」その後、「私、切符は必ず、このポケットに入れるのよね」、次に、「ポケットを全部調べたのにないと言うことは貰ってないんじゃないかしら」、「2人ともないのはおかしい」、「そうよ、絶対貰ってないわ」、「分かった、貰わなかったのよ」と変化していき、「発券しないなんて、なんて運転手かしら」「切符を回収するなんて言わなかったじゃないの」にたどりついた。

どうやら同じ山に登ったらしい周りにいた人たちは「途中の休憩所でゴミと一緒に捨てなかった?」と聞いていたのが、そのうち、「発券し忘れたことにすれば良いんだよ」と言いだし、「強く言えば良いんだよ」となり、「金なんか支払うことないよ」と変わっていった。

先に降りたのでこの顛末は知らない。運転手さんがつるし上げられたのでないことを、勤務評定が下がったのでないことを願う。このバス会社はご多分に漏れず運転手をリストラしている最中なのだ。

この人達は特別?自分がなくしたものは自分の責任で支払いなさい。それが嫌なら無くさないように気をつけなさい。バスの中のアナウンスがドンドン長くなり、録音と運転手のアナウンスと毎回2回ずつ流す意味が分かった。日本人は小学生並だと戦争に負けたとき誰やらが言ったとか、言わなかったとか聞くが、今では幼稚園児並みになってしまったのかもしれない。

横から、うるさくって、うるさくて、とてもやりきれないと歌った奴がいる!母だ。

妹たちも一緒にはやしたて、ぷつりと私は切れた。父の誕生日の席でのことだ。

馬鹿みたいでしょ?馬鹿みたいだと自分でも思う。でもどうしようもない。母が妹たちと一緒になってからかったり悪口を言うと、頭に血が一気に上る。妹が歌っても、父が歌っても腹はたたない。一緒に笑うだけだ。なぜなのだろう。

昔、幼かった頃、橋の下から拾ってきたとしつこくからかわれたことがある。父は馬鹿なことを言うのが好きなのだ。私は本気で怒り、時に泣き、それがおかしいと母は妹たちと一緒になってからかった。それがトラウマになって残っている。母であるということは特別なことなのだ。味方になるべき人が味方にならない。妹たちもからかわれたそうだが、本気になったのは私だけ、なぜって、妹たちは愛されているという実感があったから笑い飛ばせただろう。しかも伯母に結婚から9か月目に生まれたとからかわれ、もしかしたらと思っていた。10月10日で生まれると信じていたのだ。

真ん中の妹は幼児の時伝染病で隔離され、死にかけた。母は付きっきりとなり、その後も病弱な妹にかかりっきりだった。父は会社が忙しく、毎晩午前様で、その後下の妹が生まれ、必然的に「お姉さんでしょ、XXしなさい」といわれて育った。指示を受ける部下のようなものだ。事情は分かる。しょうがなかったのだ。しかし…

母に抱かれた記憶も、手をつないだ記憶も、なにもない。まともに喧嘩したことすらない。喧嘩もできなかったのだ。本当にいいたいことは呑み込み、何十年分もため込んでやってきた。それが、うるさくて、うるさくてだって。

「お母さんなんか大嫌い。絶交」と、数十年分の怒りを込めて、50女にもあるまじき言葉を吐き、演奏を解除した。母は大泣きし、妹ももらい泣きし、非難を浴びた。年寄りを泣かせるなんてひどいと私も思う。しかし、同じことが起きたら、きっと同じように切れるだろう。仕方ない。

週に2度、3度と様子を見に行っていたが、当分やめる。といいつつ、気になっている。どうしよう。まったくねえ。

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子供の死は悲しい。人は死ぬものだが、幼い死は理不尽だ。関係ない者でさえ納得がいかないのだから、親にとってはどうあってもやりきれない、許せないものだろう。病気や事故であっても痛ましいのに、自殺であればなおのこと、親は自分を責め、人を責め、どんなに辛いことだろう。

日本は世界有数の自殺大国だという。大人ばかりか小学生や中学生というまだ人生に足を踏み出してもいない子供でさえ自殺する。宗教的な歯止めがないことも一因だろうが、しかし、自殺の理由なるものに合点がいかない。

人はなぜ死ぬのだろう。生きていることが耐え難い苦痛で、死ぬ方が楽に思えるからというのが主な理由だろうと思うのだが、子供達の自殺の理由として公表されたこと、それは本当に死ぬほどの理由なのだろうか。もちろん、本人にとっては死ぬほど辛いのだろうが、困窮して国民の多くが飢えている国や、児童が鉱山で強制労働をさせられている国よりも日本の方が自殺が多いというのは何を意味しているのだろう。

子供を育てるとき、幸福になって欲しいと親は願う。優しい子に育って欲しいと思う。しかし何よりも肝心な、自分より先に死んで欲しくない、生き抜いて欲しいということを願いながら、生き抜くための強さを与えるのに失敗しているのではないだろうか。生きる力を与える育て方をしているだろうか。

子育ての最近の主流は、褒めて育てることだ。優しい子に育てようと、怒鳴らず、優しい声で、言って聞かせるのがどうやら昨今の子育てらしい。確かに、褒めて育てることは大事だ。自信を持たせるのは大事だ。しかも、叱ることに比べると楽だ。

だが、褒めるだけでは駄目ではないのか?幼児は真っ白の状態だ。優しくすることを教えると同時に自分を護ること、抗議すること、勇気を持つことを教え、理不尽なものが存在すること、少々のことではへこまないことを示さなくてはいけないのではないだろうか。ただ褒めるだけではだめだ。きちんと叱ることが必要だ。それには親としての覚悟がいるが。子供に嫌われても子供のためになることはやらなければならない。それができなくなっているのではないだろうか。親の、時々の理不尽な怒りでさえ、時には有益だと思う。子供達はいったん社会に出たら多くの辛いこと、理不尽なことに遭遇するのだから。

日本全体が優しいことに価値を置きすぎ、かえって日本人という人種を弱くしてしまったように思える。そして、優しいことに大きな価値を置く人たちが非常に多いのに、個人個人は優しいことを後生大事に思っているのに、皮肉なことに、集団となると実に冷たい国、それが現代日本だ。

痛みを知らない人間は痛みが分からない。悲しみを知らない人は悲しみを分からない。叱られたことのない人は、少々のことでへこたれる。そんな大人に育てないで欲しい。少々のことは笑い飛ばせる人に、少々のことは許せる人に、そして大事なことは抗議できる人に育てて欲しい。

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仕事が切れ目なく忙しく、本来なら遊んでいられないのに、なんせ、娘が赤ん坊を連れてもう2週間以上も居座っている。一緒に遊ばにゃならんし、赤ん坊のお守りや散歩のお供、通常の倍の買い物、食事の支度に、山盛り洗濯。ああ、女は忙しい。もう駄目だ、といいつつ、毎日出歩いている。

単価は上がらず忙しさだけ増えているのはあまり嬉しくない。他の業界も御同様のようで、実感の伴わない景気回復だ。

いつも散歩に行く公園に大量のぎんなんが落ちていて臭いこと。どうしてもよけようがなく、実を踏んでいった人たちの数多くの痕跡が道に点々と残っている。昨年までこんなことはなかった。

昨年までの数年間は浅ましいぎんなんを巡る争いが勃発していた。大きな黒いゴミ袋を抱えた人たちが銀杏の木の周囲をうろうろと朝早くからぎんなん拾いをしていた。明らかに業者だ。中には木の下にビニールを敷き詰めて、大木に登って落とす人もいて、落ちたぎんなんを拾おうと寄っていった散歩中の人に、オレのぎんなんだ触るなと怒鳴ったという話もあったほどだったのに、今年は業者の姿が見えない。拾う人の姿も少ない。

やはり、景気は回復しているのだ。臭くて、時間がかかって、利が薄いのに、それでもやるしかなかった、時間だけが豊富にある人たちが減ったのだろう。他に仕事を見つけたのだろう。

毎年、公園の梅の木が花が開く前に、大量に切られていたのだが、このまま景気が落ち着いていれば、来年の梅の木は無事かも知れない。

コスモス毎日のように、中川一政の「もう我は駄目だと思ふ時もある。やってゆかうといふ時もある」という言葉が頭に浮かぶ。

もう駄目だと思ってからが強いんじゃないかと自分で自分にカツを入れつつやってきたが、で、それがどうした。私は弱いんだ。弱くて何が悪いと開き直ることもある。なんせ、駄目だと思うことが多すぎる。どうも人生は不公平だ。幸せの量も、背負う重荷の量も格差が大きすぎる。まあ、はっきり言って、幸せが良いとは思えないところもあるのだが、だが、ねえ。

かなり神経質に周りを振り回したこともあったと思うのだが、最近は、ま。いいか、と思うことが多い。気力が失せたからだろうが、その方が平和でいいかもしれない。

何もかもこちらの思い通りにならず、この先どうすればよいのか、どうなるのか、不安で眠れない夜を何ヶ月か、何年か過ごし、挙げ句の果てに、ある日、突然思い出した。

昔私が子供だったとき、父の仕事仲間で時々遊びに来ていた人が港に浮かんだこと。声を潜めて、自殺らしい。港に浮かんだと言った父の声を思い出す。父の部下が身代わりに警察に引っ張られたこと。優しく家族ぐるみで遊びに行っていた人が形相を変えて何度も怒鳴りこんで来たこと。夜逃げ同然に上京したこと!

それにくらべると、まだ私の悩みは、「ま、いいか」レベルだ。先走って悩んでも仕方ない。生きているだけで上等だ。もう駄目だと思えても、出口は必ずある。ないわけはない。良い方へのどんでん返しもないとはいえない。

生きていればなんとかなる。何度か事業に失敗して多額の借金を重ねていた父に思いついて借金はどうなったのか聞いてみたら、なんと数年前にすべて返済し終わっていた。もうすぐ88歳を迎える父は多数の友人、知人と毎日楽しく遊び暮らしている。ちゃらんぽらんだけど、楽しむことにかけては名人だ。

ちゃらんぽらんに、ま、いいかとやり過ごすのも、たった一度の人生、悪くないかもしれない。

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グーグル初めとするネットなどに負けてたまるかと、偽名、偽住所、偽生年月日を発信しまくっているのは先に言った通りだが、何事も計算通りにいかないのは世の習い。

←クリックすると大きくなります。台風?一過秋の空

電話番号も電話帳に載せていない。アンケートにも答えない。メンバーシップ等にも偽名を使う。金融機関と公的機関以外はすべてなにかしら、異なる情報を与えている。にもかかわらず、毎日のように電話がうるさくかかってくる。宝石の売り込みや、マンション、株、果ては生協まで。どうしてこういうことになるのかといささか不思議だった。

ある日、箱に入ったサンプルが届いた。健康食品一式だ。きちんとワタシの住所宛に、ワタシの本名と電話番号も記載されている。次に化粧品のサンプル一式が届いた。これにも本名と電話番号が。その後次々にカタログ類が送られてきた。もちろんこれにも本名と電話番号が。

もしかしてと、母に聞いたら、届いたの?と満面の笑みを浮かべ、私にも少し分けてね、だって。常々、神経質に情報管理していることを話しているのに、全く理解してくれていなかったばかりか情報拡散に励んでいた身内がいたというわけだ。あーあ。

粗読、乱読
帰郷(上)(中)(下) ロザムンド・ピルチャー 日向房 
メリーゴーラウンド ロザムンド・ピルチャー 東京創元社 
偶然の祝福 小川洋子 角川書店
シカゴよりこわい町 リチャード・ペック 東京創元社 
シカゴより好きな町 リチャード・ペック 東京創元社 
カプチーノを二つ デヴィッド・アップダイク 集英社 
23年介護 ねじめ正一 新潮文庫
家族狂 中村うさぎ 角川文庫
グイン・サーガ 106巻、107巻、108巻
心にある癒す力治る力 河合隼雄 講談社 
晩秋のシカゴ ミシガン大通りから ボブ・グリーン 集英社
バビロンに行きて歌え 池沢夏樹 新潮文庫
優雅な暮らしにおカネは要らない アレクサンダー・フォン・ジェーンブルク 集英社
ツチヤの軽はずみ 土屋賢二 文藝春秋 (^o^)

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かなり昔の話だが、夜、知らない男から電話がかかってきた。

「僕、あなたの情報を買ったんですよ。ちょっと年上の人が好みなもので…」

3000円出して買ったのだから、つきあえというのだ。こちらの素性も分かっているという。なんだと!ワタシのデータならワタシの懐にお金が入るのならまだ分かるが、ワタシに無断で売られたものを買ったからといってワタシがそれに付き合う筋はないと言うと、「まあ、いいでしょう。今回は僕だから良かったですね」と電話は切れた。

それ以来、あらゆる可能なところで偽名、偽電話番号、偽情報を流しまくっている。集まる情報を攪乱するのだ。無駄な努力だろうが、やってみないより、やってみる方がいい。データを収集する場合は、名前、生年月日、電話番号のどれかで識別していると思うので、そこいらを特に混乱させている。

で、混乱させたはずが、混乱したのは、ワタシだった。

昨今、あらゆるものにパスワードがかけられている。パスワードを忘れたとき、生年月日や電話番号を聞いてくるものがある。どのパスワードに、どの偽名を使ったか、どんな生年月日を使ったか、一応メモしてあるのだが、そのメモがなくなることがある。PCを復元させたら、メモが消えてしまったこともある。緊急事態に抽出をひっくり返し、検索し、頭をかきむしる。

ワタシは誰だ?電話番号は?生年月日は?電話やパソコンの前で立ちすくむのだ。

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ああ、なぜ私はドタバタする星の下に生まれついたのだろうか。つくづくイヤになってしまう。占いでは内外嵐の相だそうだが、こればかりは当たっているとしか言いようがない。

朝、パソコンを立ち上げたらいきなり○カフィーのpersonal firewallなる機能が切れているという警告が画面に現れた。こちとらの個人情報が漏れるかも知れない、こりゃ大変だとあわててしまう。なんせ、法務の翻訳=機密なのだから。儲かりそうなものも誘惑に耐え、家族にも一言も漏らさず、実に禁欲的に秘密を守ってきたのに、大変だ。

更新手続きをとろうとしたら、何度やってもFireFoxが立ち上がる。○カフィーはIEの最新版上で動くから最新版を確認およびダウンロードするようにとの指示が出るが、どうにも上手くいかない。FireFoxを外しても駄目なのだ。IEに○カフィーのアドレスを貼り付けたら、メールアドレスが違うと受け付けない。サポートの電話も見つからない。

もういい、別のソフトにしようと、ちょうどセールのお知らせがきていたソフトを購入しようと思ったら、納期が明記されていない。電話をかけて聞いたら、注文が多いと時間がかかり、今の見込みだと3日かかるだと。

仕方ない。ムッとする不親切な○カフィーだが、ダウンロードの指示を無視して、いろいろ回避して、仕方がないから新規購入画面にたどり着いて、クレジットカード番号を入れてクリックしたら、今度は文字化け、向こうが認識することを祈ってEnterを押したらエラー表示!

そうこうするうちに、ウィルス対策ソフトそのものが契約期限切れという警告まで現れた。一気に、あわて度が高まり、そこへなんとスパイウェアまで契約期限が切れたという表示が!なんで、一度に切れるのよ。信じられない。

しかも、両方とも、一度も更新時期を知らせるメールも、そろそろ更新しないと切れますよというポップアップもでたことがないのだ。なぜかくも不親切なのだろう。あわてさせて、考える時間を奪って、更新するしか道を残さないという戦略なのだろうか。

これ以上ネットにつないでいるのが不安で仕方ないので、ネットでの購入を諦めて、買い物に出た。量販店に入った途端にキャンペーンをしていたのでそれを購入。おまけにボールペンを4本貰って喜んで帰ってきた。さて、入れようとPCに電源を入れると○カフィーが有効を示す赤い色になっているではないか。

なんじゃこれは。中身をみてみると、機能1つを除き、有効で、残る機能も触っているうちに有効に変わってしまった!つまり、エラーの出た、安全ではありませんという表示の出た、クレジットカード番号を送信した画面が生きていたということらしい。購入していないはずが購入していたらしい。しかもいくつ?購入ありがとうのメールも来ない。マイアカウントで期限が確認できると言うが、中身は空っぽ、何も書いてない。

数日前から滞在中の赤ん坊が39度近い熱を出し、朝の4時から大声で泣いて、騒動に参加している。いったん内外嵐という星が定められたら、それって、変更できないの?

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