あんなこと、こんなこと。どんなこと?

自分の言葉をしゃべりたくなった翻訳者のきままな独り言:多様だから価値がある。反論、異論大歓迎

2007年04月

[文末に追記あり]選挙遊説中に殺された現職の伊藤市長。これまでの慣習から弔い合戦として奥さんか、子供がでてくると思っていたら、やはり娘婿が名乗りを上げ、これで圧勝だと思い込んでいたら、何と、世襲反対を唱えた市役所の職員が当選してしまった。

亡くなった伊藤氏の娘はこの結果について、「父伊藤一長はこの程度の存在でしたか。父は浮かばれないと思います。残念です。父の愛する長崎でこんな仕打ちを受けるとは思いませんでした」と声を詰まらせたそうだ。

政治を世襲にしてはならない。地盤、看板、譲れるものなら、税務署が適正に評価してきちんと相続税をかけるべきだ。

政治に対する熱意も、理念も、意思もなかったものが、突然、弔いだと言って出馬して圧勝するなどという馬鹿げたことはこれで終わりにして欲しい。人の情と政治は別、政治が私たちの生活を大きく左右する。投票して終わりではない、それから始まる。投票後の数年間、バカな政治家を選んだつけは、私たちが払わなくてはならないのだから。

[追記:この記事を書いたのは伊藤氏の娘の言葉を聞いたからで、恐らく彼女のこの言葉はほとんどの政治家とその家族が自分たちの地盤に対して抱いている思いだと思われる。地盤には利権がついてくる。長くなればなるほど、強固にしかも積み重なっていく。だからこそ多選も世襲も許してはいけないのではないだろうか]

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バージニア工科大学で32人が射殺され、容疑者が自殺した事件だが、犯行ビデオがNBCに送りつけられたとかで、昨日の朝のニュースで流れていた。

どうも原因を銃社会や社会の荒廃に求めることとは異なるところに目がいってしまうのだが、なぜ、彼は英文学を専攻していたのだろう。工科大学で英文学というのがよく分からない。英文学を専攻したいのであれば、他に総合大学は沢山ある。米国でも大学の質は様々で、たいした勉強をしないでも卒業させる私立もあれば、卒業できない者の方が多い大学もあるらしい。工科大学は一般に授業が厳しいと聞く。バージニア工科大学については全く知らないので、どんな校風かは分からないが工科大学での英文科の位置はどんなものだろう。

アレっと思ったのが容疑者のアクセント。良く聞こえなかったし、耳がよいわけでもないから、息子に確認させようと呼んでいるうちに番組が終わってしまったので単なる印象だが、一瞬、韓国語に聞こえた。8才の時に移住したのであれば、普通ならアクセントは全くないはずだ。両親はクリーニング屋というが、韓国人はがむしゃらに働くことで定評がある。寝る間を惜しんで両親は働いたはずだ。両親と過ごす時間が少なければなおさら韓国語のアクセントは消えているはずだ。

韓国人は教育熱心でも知られる。教育熱は半端ではない。自尊心も強い。もちろん、すべて憶測だが、家庭では韓国語以外を禁じていたのではないだろうか。こういう家庭は多い。そのうち、外遊びと学校が子供の生活の中心となり、英語の単語をつぶしきれずに諦めてしまうのだが。そして、気がつけば、上昇するために必須の英語は思ったほど伸びず、アクセントを指摘され、厳しく仕込んで貰う方がいいと場違いな大学で英語を専攻する…

8才、9才だと、仲間で群れて遊ぶのに、うまく言葉が操れないと、しかも自意識過剰で内気だと、開けっぴろげなアメリカ人たちの中に入り込めない。自宅でも両親は仕事に忙しく十分、話も聞いて貰えない。あらゆる新しいことが雪崩のように入り込むのにそれを外に出せず、自分を表現するすべを見つけだせず、小さな恐れから孤独の中に繭を作り、そのうち憎しみで固めていく。

私たちはこういう子供を育ててしまっていないだろうか。

山口組系の水心会会長代行が選挙活動中の長崎市長を射殺したとして、マスコミは一斉に言論封殺という観点から捕らえているようだが、どうも違うような気がする。

バンパーが壊れて恐喝まがいの行為を繰り返していたとも伝えられたが、59才の男が、修羅場をくぐってきたやくざが、そんなことで、しかも数年前の出来事で人を殺すだろうか

市長は4期目を目指していた。地方都市である長崎はご多分に漏れず経済格差が広がり、シャッター通りが続いているのではと想像できる。年末に訪れた有田や伊万里でも、タクシーの運転手さんは陶器市以外は人も少なく、景気が悪いと話していたが、長崎もそうだろう。公共工事はその場合の数少ない生命線で、入札に絡んで長崎では問題があったようだし、亡くなった市長は被爆者の立場に立ち、産業にも力を入れていた立派な方のようだが、鵜呑みにはしないが長期政権にある保守系市長がまったく清廉潔白だったとはちょっと考えにくい

一説によると、入札から容疑者が関わっていた工務店が外され、倒産に追い込まれ、金に困っていたという。長期政権の座にある市町村の長の権力は多分、私などが想像するより絶大なものなのかもしれない。地方都市でいったん干されたら、もう浮き上がれなくなるのかもしれない。

山口組は素早くこの組を傘下から外したようだが(ニュースをどこかで見かけたのだが、見つからない、違うかも)、山口組の狼狽も伝わってくる。片方が完全な善で、片方が完全な悪とは言えないような気がする。背景にはもう少し、複雑で、切ない物語があるような気がするのは単なる私の憶測だろうが。

誤解されないように追加しておく。もちろん、暴力は絶対反対だ。なぜ、こういうことが起きたのかを考える上で、ただ暴力反対を唱えていれば暴力がなくなるわけではなく、その経過を知りたいのだ。

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子育ての禁句。嫌らしい、偉そうな言葉。でも言わずにいられないこともある。いわんこっちゃない。

善意は悪意より強力な武器となりうる。善意の人がそれと知らずに振り回し、被害を広げることがある。人は自分を基準に物事を考える。自分の基準から遠く離れると、想像が及ばないことがある。世の中にはウソやごまかしを何とも思わない人間も、相手が誠実であることを「しめた」としか感じない人間もいる。

書きにくいが書いてしまおう。傷口の上に塩を塗ることになるのではと危惧するが、書かなくてはいけないことのような気がする。ブログの知り合いだが、友人だと思っている。だから言いにくいことだがエイヤーと書くことにする。

多重債務の中年の息子が老いた母と僻地で2人暮らし。危険な山道を越えなければならない山の中に住んでいて、車が生命線なのにボロトラックしかない。見かねた彼女は戻ってこないことも覚悟の上で50万円を用立てた。彼は臨時雇用だが、もうすぐ正社員に雇用されることになっていた。

このとき、私はお金を貸すことに反対し、まず戻ってこないこと、その後の精神的、肉体的トラブルを心配した。彼女は大丈夫だ、彼を信用すると言ったのだが。この息子は借りた50万円を頭金にして、欲しかった車を購入、その車はもうすぐ車検で、様々な費用がかかるという。そして、喧嘩して会社を辞めた。

彼女の善意は、結果的に、金がないので、なんとかボロのトラックで頑張っていた人間に、さらに50万円の債務を負わせてしまった。自分を信用してくれた人を裏切るしかなくなったとき、彼の自己評価は一段と下がる。どうせ自分はろくな奴じゃないと思うことが重なると、下方向へ向かう力は強くなる。

嫌な職場も、ボロのトラックも、もう貸してくれるところがないなら、我慢するしかない。そのまま何とか踏みとどまっていれば債務の返済の見通しもでてくる。ところが我慢しなくても金が向こうからやってきた。それが一部の人間には何を意味するのか。彼女の善意は彼と母親の生活を破綻させることにつながる。この先、どうなるのか暗く想像してしまう。

彼女の落胆を考えると胸が痛むが、この先、彼が彼女にいちゃもんを付けてこないこと、金の無心にやってこないこと、害をなさないことを心から祈る。私にはこういう人間がよく分かる。周囲に複数いるからだ。私も何度も、手ひどく裏切られているし、もっと早く倒産して店を手放せば良かったのに、私や友人たちが貸したために深みにはまり、挙げ句の果ては夜逃げしてしまい、どうなっているかまったく消息不明になってしまった友人もいる。

金に困った人に金を貸すことが、トラブルを抱えた人に優しくすることがその人のためにならないことも多い。残念ながら、人はそれぞれ異なる理由で動いている。自分の思う通りなどなってくれないのだ。

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遅ればせながらちょっと覗いてみた。もちろん、どじな私のことだから、目標としたサントリー美術館にはぎりぎりセーフで着いたのに、内覧会とやらで一般客、つまり私のこと、は入れて貰えず。ちなみに、月曜日ではなく火曜日休館です。

美術館のショップを冷やかしているうちに、素晴らしく美しい赤いグラデーションのかかった切り子のぐい呑み?を発見。冷やかしでは済まなくなり、一つ一つ表情が異なるというので、販売員の女性たちが親切に在庫をすべて持ち出してくれ、3人で比較検討のうえ、買ってしまった。こういう薄手はパリーンと割れるんですよね。粗忽者の私、いつまでもつか。犠牲となるか。でもそこが良いと言えば良い。子供たちにはお金は残せないけど、大量のぐい呑みとカップ類は残せる。100年大事に割らなければ、金目のものになるだろう。多分。

六本木ミッドタウンは中高年でも楽しめるとのキャッチだったが、確かに。表参道ヒルズや六本木ヒルズはわさわさと落ち着かず、あまり何度も訪れたいと思わないし、欲しいものが見つからなかったが、ここはゆっくりしたい。通路が広く取ってあることや、要所要所にベンチがあることも一因かも。ぐい呑みをさらに1点買ってしまったが、なんだか買いたくなる場所だ。危ない、危ない。

乱読、粗読
ねこは青、子ねこは黄緑―共感覚者が自ら語る不思議な世界 パトリシア・ダフィー 早川書房 (注:オカルトではありません。頭の中身の真面目な本です!)
豹頭王の挑戦 グインサーガ107巻 栗本薫 早川書房
心にみどりの種をまく 渡辺茂雄 新潮社 
時の迷い子たち-アルツハイマー病、希望と忘却の物語 パトリック・マティアセン 早川書房
農で起業する!杉山経昌 築地青館 
田辺聖子珠玉短編集 角川書店
日本の寿命 日下公人 PHP文庫
大人の国のための戦争学 日下公人 PHP文庫 
ぼくはこんな本を読んできた 立花隆 文藝春秋

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NHKほかマスコミによると東京都民の70%前後がオリンピック開催に積極的・消極的に反対だという。

築地移転も、そりゃあ、食物を扱う市場を有害物質で土壌が汚染されたところに移転させるというのだから、聞かれれば、嫌だという人が大多数だろう。

それなのに、すんなり再選(再々選?)されてしまった。どうなっているのだろう

選挙で選んだということは、その人が、みんなの反対を押し切ってどでかいスタジアムを建てたり、マグロがごろりと元汚染土壌の上に寝たり、キャベツの箱が地面におかれたりするのを許すってことだよ。

思いつきで設立した新銀行東京もウィキペディアによれば「新銀行東京は、2007年3月末までに536億円の累積赤字に達すると自らを予想」しているというし、今、東京はミニバブルの様相だからみんなのんきに放っているけど、これ以上借金を重ねさせて良いのかネエ。彼の金じゃない。私たち都民の金だよ。使うのは彼、払うのは私というのは、我が家そっくり。そんなもの、息子一人で沢山だ。

どうせ、もう少ししたら、金がないから、福祉なんて贅沢だ。自分で工面しろと言い出すにきまっている。何、病気?心がけが悪いとか言いかねない。

みんな、顔で選んだの?格好で選んだの?雰囲気で選んだの?ヨーク見てみると、ヨーク見てみなくったって、偉そうな爺さんだよ。4年経ったら80近いんだよ。今だって金遣いの荒さに加えて、暴言、放言のし放題なのに、あーあ。

対抗馬がいなかったというのは確かだ。浅野Who?と最初、私も言っていたくらい知名度が低いのに、本人は知名度抜群と勘違いしていたから、そこいらが一番の敗因だろう。ドクター中松に入れちゃおうかとも思ったけど、どこかに票はまとめなくてはいけないから止めたが、どうもね、後4年経ったら、東京はどうなるのかなあ。

今でもバック・ツー・ザ・フューチャーの2の世界にいるみたいだと思っているが、オリンピックだ、カジノだと、ますます派手なきんきらきんの世界とその後ろに大量の高齢者ホームレスの世界になっているんじゃないでしょうね。

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花散らしの冷たい氷雨に桜が散っていくのが見えたので、次の日、仕事の帰りに増上寺に寄ってみた。

夜桜見物と思っていたら、境内は暗く、満開であればぼおっと怪しく浮かび上がるはずの桜も薄闇に沈んでいる。

そして、見物したのがこれ。なかなかに美しいではありませんか?

携帯画像なのでたいして大きくなりません。新しい機種買おうかなあ。でも使えるものを無駄にするのも嫌だしなあ…

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やはり現職は圧倒的な強さだという。気に入った人はでてこないし、投げやり状態だったのだが、勝ち目のないといわれているオリンピック誘致に大枚使われるのは嬉しくないし、カジノ誘致をまた言い出すかもしれないし、3期目が終わるときには80才に近いおじいちゃんになっているわけで、健康不安もこれからでるだろうし、元気な都市には少しでも若くて元気で頭の柔らかい人が良いなあと思いつつ、ウィキペディアを覗いてみた。

知ってはいましたよ、もちろん、石原さんが数々の舌禍を巻き起こし、タカ派で、弱者に優しくない。でもこれほどとは、ちょっと驚いたねえ。こういう人がワタシを代表していたのね。ありゃまあ。なぜ、彼の舌禍はあまりたいした騒ぎにならないのだろう。彼だからと慣れっこになってしまったのかな。

一番のショックがこれ、「女性が生殖能力を失っても生きているってのは無駄で罪です 」ヒエー。柳沢大臣の「女は子供を産む機械」発言が可愛くみえるほどだ。人間を有用か、無用かで分類するのが石原流ってか。そういえば、障害者や高齢者に対しても恐ろしいことを言っていたね。

で、我が家に投函された選挙公約を読んで吹き出してしまった、「”老いてこそ人生”。シニア・熟年世代元気度日本一を実現します。」なんて分かりやすい人なんだ。自分が爺さんになったから今度は高齢者に優しくしようっていうのね。

ああ恥ずかしい。

さぞかし、これからは自分が使える高齢者福祉を充実させるのでしょうね。これまでの福祉面での実績はというと、ウィキペディアによると、

  • シルバーパス(敬老パス)の全面有料化
  • 寝たきり高齢者への老人福祉手当の段階的廃止
  • 障害者医療費助成の対象を縮小
  • 特別養護老人ホームへの補助を4年間で181億円(85%)削減
  • 難病医療費助成の対象から慢性肝炎を除外
  • 盲導犬の飼育代、盲ろう者のための通訳者養成講座の廃止

だそうだ。ああ、頭に血が上る。血圧の薬を飲まなくちゃ。

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自分のことを出すのはおこがましいが、ブログを始めて2年少々、何事も飽きやすい私がいつまで続くかと本人が危惧する中、ついに10万ヒットを突破。早々とめざとい佐藤秀さんからお祝いのお言葉を頂きました。ありがとうございました。細々と書き散らしているのに継続できるのも、皆様のおかげです。今後ともよろしくお願いします。

ところで、毎日楽しみに読み、毎日読みながら泣いていた日経新聞朝刊、宮城まり子の「私の履歴書」が終わってしまい、数年ぶりに毎朝楽しみにし、ここ数回はもらい泣きをしていたNHKの朝ドラ「芋たこなんきん」も終わってしまった(最終回に本人の田辺聖子さんが出演していたが、可愛かった)。TBSのサンデージャポンで飯島愛の引退表明ビデオを見て泣き、ついでに3月31日までだった株主優待での食事券3000円を握りしめて、娘とそのボーイフレンドの3人で新宿に向かったが、予約を入れていなかったので断られ、ここでも泣きをみた。この週末、泣くことが多かったなあ。泣くと体内の化学物質が排泄されて良いのだそうだ。かなりすっきりしたことだろう。

それにしても言い古されてはいるが、やはり継続は力、凡人が何とかやっていく秘訣は継続なのだ。継続していく凡人に多少の利口は追いつけない。

宮城マリ子を凡人と言っては叱られるが、目先の利く、いわゆる利口な人ならまず自分で施設を作り運営しようなどとは思いつかなかっただろうし、とても続けられなかっただろうし、とにかく続けていったからこそ、周囲が彼女を助け、彼女の今があり、偉大な人に成長したのだろう。

田辺聖子にしても、凡人ではないが、継続したからこその非凡で、若い時代に、先を見て、小利口に計算などしなかったからこその非凡だ。自分の将来に自分で限度を設け、未来を見限る人間が多い中、この力はすごい。

さて、このブログ、どのくらい続けられるかなあ。

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