あんなこと、こんなこと。どんなこと?

自分の言葉をしゃべりたくなった翻訳者のきままな独り言:多様だから価値がある。反論、異論大歓迎

2007年07月

[警告!愚痴のオンパレード。読んで不愉快です。きっと。翻訳者以外はパスした方が精神衛生上いいでしょうね。]

バッタどうにもこうにも前に進まなくない。どうして良いか分からない。困り果てている。

日本語だ。今回は英訳ではない。かなり大部な仕事で、ここ数ヶ月取り組んでいるものだが、心配してくれた親分が、有能な翻訳・通訳者、Aさんをチェッカーとしてつけてくれた。Aさんは英訳をメインにしている人で、私が読み損なった英文を見つけてくれるだろう。金融も法務も強いということで心丈夫だったのだが…

他との掛け持ちで遅い。納期を無視。たまりかねたクライアントは英語に強い金融専門家を見つけ、私の翻訳をそちらでチェックするようになった。それだけなら、すべてスムーズにことは運ぶのだが、数週間遅れで、Aさんからチェックしたという部分が送られてきた。クライアントの名がcc:にない。クライアントに問い合わせると中途だけどと言って、ちょっと前に送ってきたけど、中途を貰っても仕方ないし、今更だから放置しているとの返事。

そこに、原文の修正が入った。訳文を原文にあわせて修正しなければならない。さて、そこにはすでに3種類の訳文が存在することになる。私の訳文、金融専門家のチェック済みのもの、Aさんのチェック済みのもの。本来なら、私+Aさんチェックの訳文を修正文にあわせてみていけばいいのだが、こうなれば、私+専門家+Aさんのを見ながら、修正していくしかない。煩雑この上ない。いっそ、私+専門家のを修正しようと思ったのだが、クライアントはAさんがきちんと隅々までチェックするなら、それで良いと思っているらしいし、Aさんが送ってきたものを使わなければAさんは気分を悪くするだろうし、専門家が見逃したエラーを見つけた可能性もある。それに自尊心も自負心も強い人だから黙っていないだろう…

こういう煩雑で頭を抱えている状態なのに、重大な問題に突き当たった。Aさんの日本語に難があるのだ。本来なら変更部分だけを見ていけばいいはずなのに、全文をAさんが修正したところを調べ訂正しながら、原文の修正部分もみていくという難行苦行が加わった。で、Aさんから送られてきたもの、クライアントから送られてきた金融専門家のもの、それぞれ変更履歴を辿ると、Aさんのは金融専門家がチェック済みのものを下敷きにしていることが分かった。専門家の用語もなおしてある。

Aさん、日本語は非常に上手だよ、でも英語が母国語の人だから所々、おかしな言葉が混じる。ニュアンスが分からないらしい。本人には分からないのだろう。これは私の英訳にも言えることだし、怖いところだ。ヌケと原文の読み違いをメインにチェックして欲しいのに、どうも困ったことに言葉をいじるのが好きらしい。予定とか、意図という言葉を、なぜだか「意向である」に変えてある。先方の意思なら意向だが、こちらの意思をいうのに意向!これは自分の意向ですって、何様じゃ。固定負債で正しいのに、確定債務!裁判じゃない、会計だよ。私募債なのに公債募集って何考えてんの?出所を情報提供先なんて変えないでよ。逆だよ。ひょっとして自分の方が間違えているかもしれないと、彼が作り出す言葉を図書館やネットで長時間かけて調べる羽目に陥っている。

Aさんは売れっ子だから、忙しいのは分かるけど、流れも読まず、参考資料も読まず、好みで言葉を変えられても、すでに数百枚原稿を仕上げてあるのだから、合わせてくれなくては困ってしまう。法令で定義されているものは、そこまで調べて訳しているのに、調べもしないで変えないでよ。英辞朗を鵜呑みにしないでよ。見出しを参照する部分を変えたのに、見出しはそのままって、どういうつもり?機関投資家向けの文章なのに、説明調の日本語や長ったらしい語尾に書き換える。オプションを知らないプロがいるかよ。かと思えば、英語が間違っていて理解できないというコメントまでつけてあった。自分が理解できないだけでしょ。文法的におかしくないよ。

一方で、私が読み損なった地名は2箇所そのままパス。ヌケ1箇所もスルー。そういうところを見つけてよ。お願いだから。何のことはない、自分で、後から拾ってエラーは修正している。ああ、頭に血が上る。映画でも見に行こうっと。

ところで、正確性という言葉、かなり使われているみたいだけど、私は気持ち悪くて仕方がない。正確さではなく正確性を使わなくてはいけない場面って、どなたかご存じでしたら、教えてください。

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3週間ほど前の日曜日の朝、テレビをつけると入谷の朝顔市をレポートしていた。その日が最終日だという。長年東京に住んでいるけど、一度も行ったことはない。その日は水族館に行く予定だったのだが、疲れているからどこにも行くのは止めようと話していたのに、突然朝顔が見たくなって娘と出かけていった。

ずらりと並んだ沢山の屋台に並んでいるのはすべて朝顔。そして夕顔がちらほら。どの店も同じ。種類も数種類のみ。誰が考えついたのだろう。同じ花を同じような鉢に入れ、同じような行燈仕立てにして売り出すというのは。思った以上の人込みだったのだが、かなりの店が品切れ状態になっていた。

そして、驚いたことにこういうお祭りの時は、値段を交渉するものだと思っていたら、何と明朗会計。すべて同じ大きさの鉢は同じ値段。どこの店で買っても同じなのだ。最終日の昼過ぎということは売れ残りの鉢ではないか。でも同じ値段ねえ。公平そうで公平でないなあ。とぶつくさいいつつも、朝顔と夕顔を買って帰ってきた。

鬼子母神そしてわずか2週間も経たないうちに朝顔に異変が。昼間になると葉が萎れるので水をやるように言われていたのだが、水をやっても葉がピンとしない。そして土が乾かない。水を吸わないのだ。根詰まりを起こしているのではないかとあわてて鉢を買いに行って植え替えたのが1週間前。

しかし、ダメ。完全に萎れたまま、それでも哀れなことに葉は萎れたままで紫色の花を2つつけた。根が腐ってしまっていたのだろう。心を鬼にして、4,5日水を断ち、鉢がほぼ乾くまで待ってから水をやったが、やはり水を吸わない。今朝は、1本のつるがほどけて横倒しになっていた。あと小さな蔓が1本立って、小さな葉が2,3枚生きている。朝顔は丈夫な花だから、頑張って欲しいが瀕死の草花を見ているしかないというのは実に嫌なものだ。なにもしてやれない。

水がなくなると電話をかけてくる植物というアイデアをつぶやきさんが紹介していたが、こういう場合はどうなるのだろう。元気な植物なら非常に面白いアイデアだが、こんな花の場合は可哀想すぎる。水があるのに水が吸えないなんて。この朝顔に声がなくて本当に良かった。

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いくつかメールアドレスを使い分けているのだが、さなえの名前で使っていたホットメールに1、2ヶ月ぶりでアクセスしたら、なんと中身がきれいに削除されていた。保存しておいた返信も、一切合切、きれいさっぱいなくなっている。一体誰が、って、まあ、ホットメール屋さんの仕業ですわね。ホットメールスタッフからのお知らせ(削除には関係のない宣伝)だけが1通、残されていた。

例えば、3ヶ月全くアクセスがなければアカウントごと削除するというのなら、分かるんだけど、中身だけ削除って、これってなんざんしょ。脱力。少なくとも6月にはアクセスしたと思うんだけどなあ。このメルアドはスパムに引っかかりにくいらしく入ってこなくて良かったんだけど、肝心のメールがなくなっているというのはどうもこうもいただけません。

もしかしていただいたメールを私が読まない間に削除されてしまっている可能性があるので、もしかして失礼してしまっているかもしれない皆様、ごめんなさい。

もう一つのホットメールのアドレスは、ヤフーと楽天からのスパムまがいの大量メールで窒息しかかっていて、こちらは、仕事用のOCNが使えないときに補助として使っているのだが、何回かメールが送受信ともに行方不明になり、とてもじゃないけど信頼できない。これは私だけではなく、少なくとも知人3人が仕事のメールを無くして騒いだので、私のPCのせいじゃないことは断言できる。フリーメールを仕事に使っている皆様、トラブルが多いからお気をつけて。っていうか、仕事にフリーメールしか使わないという人は、仕事を大事にしていないと判断される危険性ありですぞ。

ところで、外はすっかり夏。若いときに焼きすぎたのか、皮膚が突っ張ってくるような気がするけど、若いときの夏はもうやってこない。太陽の下で遊ぶのは若い人の特権ですぞ。私くらいのバアサンになると、太陽で水分が蒸発してしぼんでしまう(ような気がする)。甘辛取り混ぜて、四季折々の思い出が沢山あって良かった。過度の日焼けは危ないけど、あくまで程度問題でしょう。最近の太陽の恐がりようはどうもちょっと行き過ぎのような気がする。UV関連商品を売ろうとする人たちに乗せられすぎじゃない?白人よりも体質的に日焼け許容度が高いらしいですよ。

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5号館のつぶやきさんのところで、今回の地震の引き金になった可能性があるかもしれない説「新潟地震に人為が関係しているという説」が紹介してあった。今の時点では分からないが、仮説として検証する価値はあるかもしれない。何せ、地震大国なのに今頃神戸から中越にかけて歪み集中帯が見つかったという報道もあったくらい、地下のことは分からないことだらけなのだから。

つぶやきさんの所のリンク先「新潟地震“人造”だった!? 近くでガス田注水作業 地下断層への水浸透が引き金に?」を辿っていくと、非常に気になる表現に突き当たった。そのニュースは、「なお、世界の地震学者が注目しているのは、中国・三峡ダムだという。」という言葉で締めくくられていたのだ。

え、どういう意味?皆が何に注目しているのかとか、どういう可能性があるとかの記述が全くなく、そこで終わってしまっている。要するに、注目しているというのはそこで巨大地震が発生する可能性があると言いたいのかと、ウィキペディアで三峡ダムを調べてみたら、編集中のところであるし、バイアスがかかっている可能性ももちろん否定できないし、真贋も今後の調査待ちではあるが、そういった留保事項を考えても恐ろしいことが書いてあった。


地震の可能性

2006年8月、香港中国人権情報センターは三年以内に三峡ダムが強い地震を引き起こす可能性があると発表した。また中国国務院温家宝総理もこの件について憂慮しているとも添えられている。同発表によると、当局は1993年より同ダム近辺についての地質調査を行っているが、その結果および重要な地質資料が極秘となっている為に、外部機関が精査することが出来ないとしている。

蓄積された水の重さにダム付近の岩盤や地質が耐え切れずに「地震」を引き起こすのでは無いかという懸念が寄せられているのも事実である。仮に何らかの理由でダムが決壊した場合、その流域に未曾有の大惨事をもたらすことは必至である。」

もしこれが本当なら、万一のことがあれば…
そして、長野県の脱ダム宣言は知事の交代と共に脱脱ダム宣言になりそうだし、また今回の原発のトラブルはダムや火力発電の推進に結びついていきそうな勢いだ。火力発電は地球温暖化の見地からとても容認できないだろう。代替エネルギーは開発途上。風力電力は、環境保護派が反対運動を繰り広げている。さてさて。

[タイトルを変えました][補足:三峡ダムは、ウィキペディアによると「貯水池は湖北省宜昌市街の上流に始まり、重慶市街の下流にいたる約660kmに渡」るという巨大なもので、もちろん規模は世界一。今でも数多くの問題を抱えているようだが、もし地震説が正しいと立証され、これほど巨大なダムが万一決壊でもするようなことがあれば、数万単位の被害者がでてもおかしくないのではないかと素人ながら心配してしまう。さらに、対岸の水害ということではなく、今でも長江の水質汚染で「2002年以降、エチゼンクラゲが日本沿岸で大量発生し漁業被害が深刻化しているが、その要因の1つが三峡ダムではないかという仮説が立てられており、国立環境研究所などが検証を始めている。」ということなので、万一決壊した場合の影響は日本海側にもかなりの影響を及ぼすのではないかと素人目には思える。杞憂なら良いのだが]

ちょっと時間をおいてしまってボケてしまった話題だが…

18日に、小池ゆり子防衛省大臣が自衛隊のヘリで柏崎を訪問した

防衛省はこういう災害時には率先して人命救助にあたることが求められている。そこに、本来の防衛省の存在意義がある。はずだ。よね?で、その長たるもの、男、女に関係ない。国民のために身を挺し、危険を顧みずに、被災地入りしたんだよね。化粧してのんびりやってくる場合じゃないし、ましてや選挙対策のはずがない。なんせ、国民のための防衛省のトップなんだから。

首相が地震発生直後の16日に柏崎入りして、防衛大臣が18日。来る必要のない人が焦ってやってきて、がむしゃらに陣頭指揮をしてもおかしくない人が後からやってくる。

順序が逆じゃないの?なんせ、人命救助だけではなく、戦うことも想定内らしい、格上げされた防衛省のトップが、少なくとも私が見たテレビ画像では、ヘルメットもせずに(多分カメラ写りを考えたんだろうと思ったけど)ヘリから降りてくるのはなんなんだろう。テロの標的になるかもしれないんだよ。日本に対するテロ宣言は撤回されたわけではない。女だからといって軍隊のトップなんだよ。女だから狙わないとまさか思っている?

全く変な国だねえ。危機意識はどこにあるんだろう。

何たって地震ほど嫌なものはない。以前も書いたが、地震が嫌で海外に脱出を図ったほど嫌いなのだ。それなのに続けざまに大地震に遭遇なんて、どんなに恐ろしいことだろう。中越地方の皆様に心からお見舞い申し上げます。

安倍首相が地震発生当日、何時間も経たないうちにへりで被災地である柏崎を見舞い、東京電力柏崎原発を訪れたと聞き、耳を疑った。これで彼が首相を続けてはならない理由をもう一つ見つけてしまった。

せっぱ詰まっているから人気挽回に素早く動けばいいと思ったのだろうが、なんでも良いから出かけりゃいいと言うものではない。首相だよ、日本の代表だよ。台風の被害ではなく、地震だよ。台風の被害でも、被災した直後にエライ人が上空から舞い降りてこられたら、猫の手も借りたいほどの所に多数の護衛だの準備だのに人手を取られ、迷惑千万だろうが。

地震には、通常大きな余震が伴うのは地震国日本の国民全員が共有する知識だと思うが、6強という大きな地震の直後に舞い降りるのはバカとしか思えない。6弱程度の余震は十二分に有り得るし、一度大きな地震に出会った後は、地面も、建物も、ダメージを受けているから、倒れやすく、なおさら危険なのに。

しかも原発にも!火災を起こして、鎮火したとはいえ、次の余震でどうなるかも分からないのに、何をやっているんだか。

指揮官は、素早く、ただし、安全な場所で、全体を見回して指揮を執るものだ。だから指揮官なのだ。自分が倒れてもいくらでも代わりがいると白状しているようなものだ。

安倍さんに私たちが期待しているのは(少なくとも日本を代表する首相の座に座っている限りは)、票稼ぎにちょこまか動き回って、自分の安全をないがしろにし、一刻を争って人命救助に従事しなくてはならない人を邪魔することではない。

[追記:佐藤秀さんに、安部ではなくせめて安倍と書いてくださいといわれて気づいた。全く、一国の首相にたいしてなんて失礼な。代表などといいながら、なんてワタシでしょ。代表などとちっとも思わず、ちっとも関心がなかったことをひょいとバラしてしまったようでもあります。せめてワタシ好みのいい男ならもう少し関心が高かったんだけど。ということで、安倍に書き換えました。]

ベルサイユ

いつの間にか、桜が咲き、ああ、今年も桜を見ることができたなどと、少々おセンチになっていたら、梅雨入り、え、もう梅雨なの?そんなと言っている内に、なんと、7月半ばじゃないですか。

歳をとる毎に時間の経過が早くなる。どうも物理的にも早くなるような気がする。えこひいきに他に分配されているような気もする。1才の赤ん坊と60才のおじさんおばさんとでは、1年の重みが違う。1歳児にとっては1年間は全生涯なのに対し、60才にとっては60分の1でしかない。だから1年の進み方が違うという説をどこかで読んだことがあるけど、なるほどねえ。

毎年スズメがベランダの上の樋で巣を作る。今年も数家族が巣立っていった。ついこの間まで、盛んに小雀が樋とベランダの手すりの間をふらふらと行き来して、飛ぶ練習をしていたのに、もう一人前のスズメだ。ドジなスズメの子が窓枠にしがみついたり、あるときなど、見上げた樋から8個の小さな頭が突き出ていて笑ったこともあったのだが。少々淋しい。手すりに半分消化したサクランボが点々と多数残されることもなくなったし、4時過ぎから起こされることも無くなったのはよいことだけど。

さて、窓の外を年月が流れていくのに、私は10年1日のように、パソコンの前に座って、ああ大変を繰り返している。本当にああ大変なんだけど、仕事をしようとして、こうやって外を眺め、ブログを書き、こりゃあ、やっぱり、今日もああ大変だ。

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さて、心が痛くなるので避けていた話題だけど、やはり逃げ切れずもの食う人々のコメント欄をご参照ください)(^^;)、友人とみなしている人から反発されるだろうが、言うだけのことは言ってしまおうという気にようやくなった。

今回の裁判で、私が一番気になったのが、「記憶を精査する」という言葉。若者とは限らない、一般人の一体どれくらいの割合の人が精査などという言葉を話し言葉で使うだろうか。その前に知っているだろうか。

私はよく知っている。弁護士さん達と組んで仕事をすることが多いから。これは弁護士が仕事でよく使う言葉、弁護士用語だ。多分、何か聞かれたら、記憶を精査した結果、これが自分が覚えているすべてだと答えればよいと弁護士に言われたことを被告はそのまま繰り返しているのだろう。弁護士主導の裁判だ。こんなこと言わなくても、官選弁護士ではなく21人もの私選弁護士で構成される大弁護団に守られていることで十分分かることだが。荒唐無稽な言葉の羅列を聞いて、被告が自分の言葉で本当のことを話しているなどと思った人間がいるだろうか。(民選弁護士という言葉を使っていましたが、私選が正しいそうですので、訂正しました。)

今回の一連の発言で、安田弁護士達は人権派という言葉をうさんくさいものに変えてしまった。人権派というのであれば、加害者の人権ばかりいうのはおかしい。被害者の人権のことを第一に考えるべきなのに、「邪悪な感情というか、もう許せない感情が逆の凶悪さを生み出すような形で、まさに復讐の論理」(鑑定人加藤幸雄氏、『年報・死刑廃止2006 光市事件』(インパクト出版会)を引用した藤井誠二氏ブログの孫引き)とまで、被害者の夫を侮辱している。想像を絶する無神経さだ。こういった発言で、被害者の夫の所には脅迫状が届いているという。

加害者が母子を殺していなければ、3人の家族、4人に増えていたかもしれない、被害者家族。11ヶ月で時が止まってしまった赤ちゃんは小学生になっていただろう。悩みといえば、子供が偏食で、とか、口答えしてねえとか、どこにでも転がっている平凡で平和な生活ができていたはずなのに、すべてが無となった。加害者が母子を殺していなければ、被害者の夫は、復讐などということとも無縁でいられた。愛する家族が無惨に殺された姿を発見して、どれほどの悲惨、苦しさを経てきたのか、復讐という言葉を口にするのは当然だろう。それを、恋愛でもして(新たな生活を始めればいい)などと、よくまあ言えたものだ。

ちなみにもう一人の精神鑑定をおこなった野田正彰氏も、死刑廃止集会のパネルディスカッションの席(拙著『殺された側の論理』参照)でとなりに座った本村洋さんに、「君たちの会(全国犯罪被害者の会)は社会に謝罪するべきだ」と小声で言ったそうだ(同じく藤井誠二氏ブログの孫引き)。加害者ではなく、被害者が社会に謝罪せよだと!

それでも加害者を許せる人は偉大な人だと思う。並の精神力では許す境地まで到達できない。それでも相手を許せる人は素晴らしい人だが、それは絶対に、周囲から強要されるものではない。強要できるものではない。加害者が心から申し訳ない、何ということをしてしまったのだと悟り、理解し、謝罪をした後に、被害者(遺族)にも許そうという気持ちが出てくるかもしれない。しかし、許すのはあくまで被害者(遺族)次第のはずだ。

私は死刑を求める立場にはいない。環境により人が作られ、貧困率が高まると社会に犯罪が増えることはよく分かるし、政治が何とかすべきだとの主張にも賛成する。しかし、同時に、2才程度の幼児でさえ、やって良いことと悪いことの区別は付く。それをあえて犯した、知っていながら犯行を行ったのも事実だ。18才は立派な大人だ。

また、日本の司法制度が不備でなことも事実だ。十数年で出所してしまう無期と死刑の間に大きなギャップがあること、少年法が適用されるとたとえ成人になって出所後に犯罪を犯しても名前も公表されないことなど、おかしなことは多々ある。しかし、だからといって、被害者や遺族に対する攻撃は許せないと思う。被害者の人権がまず尊重されるべきだろう。

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なぜだか自分で理解できないことを自分がやってしまう。癖というのはそういうものなのだろうか。

今、仕事をしていた。忙しい。8月まで一杯だ。大変だぁを自分に連発して、仕事にかかれと号令しているのになかなか動かない。なぜ自分が自分を動かせないのだろう。勝手気ままにゲームをしたり、クッキーを食べたりしている。なんてヤツだ。

財務諸表の項目を調べていたのだが、突然、途中で、何を血迷ったか止めてしまった。続けなくては困るのに。どうやっても動かない。私は困る。でも私は動かない!こんなことってあり?

訳しているとき、普通、段落とか、章とか、区切りの良いところで止めるでしょうに、この私はそれができない。突然、何もかも嫌になるというか、一歩も進めなくなる。文章の途中で、放棄して、寝てしまったり、お茶したり、散歩に行くのはなぜだろう。理解できない。ううう。急いでいるのに、仕事に戻れない。これでまた今晩も睡眠不足になるじゃないか。

仕方ない。さぼっていた本の記録でもつけるとするか。

粗読、乱読済み、その最中
どんな人生にも雨の日はある 景山民夫 新潮社
米国さらりーまん事情 松浦秀明 中央公論社
お江戸の武士の意外な生活事情 中江克己 PHP文庫
自分の顔相手の顔 曾野綾子 講談社文庫
グリンサーガ 第110巻及び第111巻 栗本薫 早川書房
ビル・ブライソンのイギリス見て歩き 中央公論社
沈黙のまわり 谷川俊太郎 講談社文芸文庫
事実の時代に 柳田邦夫 新潮文庫
哲学者かく笑えり 土屋賢二 講談社
紅茶を注文する方法 土屋賢二 文春文庫
私が帰る家 群ようこ 文春文庫
アカシア・からたち・麦畑 佐野洋子 ちくま文庫
もの食う人々 辺見庸 共同通信社
マグレブ紀行 川田順造 中央公論新社

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