あんなこと、こんなこと。どんなこと?

自分の言葉をしゃべりたくなった翻訳者のきままな独り言:多様だから価値がある。反論、異論大歓迎

2008年08月

85af1249.JPGカラスに興味を持ちだしたのは10年ほど前、マンションの7階に住んでいた頃だ。向かいには5階建てのマンションが建っていて、屋根の上がよく見えた。南向きのマンションで、窓に直角に机をおき、外を眺める合間に仕事をしていた。

建物の縁に巣があるのか、ある春の日に5羽ほどのカラスの雛がよちよち歩きを始めたのに気がついた。向かいのマンションとはいえ、少々遠いので細かな様子が見えなくて実に残念だったが、望遠鏡を持ち出すと、怪しい人になってしまう。おおっぴらではまずいし、カーテンの影に隠れて観察すればなおさら怪しい。常識ある人間は不自由だ(^^;)。

子ガラスたちが母親ガラスに引率されて屋上をうろうろしているのを眺めていたのだが、ある日発声練習を始めた。中に一羽声帯に異常がある子ガラスがいて、母親に叱られている。甲高い声で、カア、カア、カアとみなが鳴いている中に、グワアというような恐るべき音程のハスキーボイスが混じる。何度やってもカア、カア、カア、グワアだ。

母親がよそ行きの美声で、カアアと声を張り上げるが、グワアとしか鳴けない。そのうち、母カラスの声が変化した。グワアの後すかさず、こう鳴くのだといったらちゃんと鳴けと命令しているような、脅しの入った低めの声でガアと鳴くのだ。どこの世界も親は大変ですなあ。きちんと躾なければ、子供は生きていけないのだから熱も入る。

その後すぐ巣立っていったらしく、お楽しみは消えた。ある日、歩いて5分ほどの所に住んでいた両親宅で、カラスの話をして笑っていたら、外からお馴染みのグワアの声が聞こえてきた。どうやら、カラスはミニ渡り鳥よろしく、数ヶ月おきに居場所を変えて、循環しているようなのだ。しばらくこのハスキーボイスのカラスをひいきにしていたのだが、ここ数年は耳にしていない。一度、顔を見てみたかったのだが。コミュニケーションがとれないで、追放されたのではなく、教育の成果が現れてついに音程のコントロールに成功したのだと思いたい。それとももっと広い世界に武者修行に出たのかも知れない。

どうも顰蹙を買いそうなことばかり考えてしまうので、なかなか書きづらいが、書かなければ匿名の意味がない。いい子ぶりっ子など現実社会には掃いて捨てるほどいるのだから、ブログでまでいい子になる必要はないだろう。

なんて、意味深なことをいっているが、なんてことはない、単に元マラソンおたくが文句を言いたいだけだ。

マラソン以外でも戦犯だの何だのと姦しいが、元々日本は今回メダル数が前回より大きく落ち込むと五輪前に米系の有名スポーツ雑誌で予想されていたことだったし、それからすれば、よくやったと言えるのではないか。しかし、マラソンの惨敗。これはひどかった。

ところで、開会式の当日に、北京五輪はいつ始まるのと娘に聞いて馬鹿にされたほど興味がもてない大会だったが、結果的に400メートルリレー等、楽しませて貰ったものも多い。開会式では小さな赤い服の女の子が素晴らしい歌声を披露し、歌がこんなに上手でしかもこんなに可愛いとこの先大変だなどと話していたら、口ぱくだったということで、最初から中国らしさ満載の大会でもあった。これも、結局、国家に関することでは個人は勘定に入らないという、ごく当たり前の話に過ぎない。

これに対し、税金その他を使い国家プロジェクトとしての五輪であっても、個人の都合が優先したのが日本のマラソンだろう。3億円を超えるという参加費用総額のうち、国からの補助は1億円だというが、それ以外にかなりの資金が税金で賄われているに違いない。オリンピックは好きと嫌いとを問わず、国の威信をかけた、いわゆる国威発揚の場であり、国と国との競争だ。だからこそ税金が投入される。

マラソンの調整は長期間かかり、しかも難しい。そんなこと、素人のおばさんが言わなくても誰もが知っている、もちろん選手にはよーく分かっている事実だ。野口みづきが異常を感じたのは7月半ばと聞く。土佐礼子はもっと早く7月初旬からきちんと走れない状態が続いていたという。

どう考えても7月から異常が続いていてロクに走れないものがいい成績が上げられるはずもない。オリンピックを目指して4年間精進してきたのだから、諦めきれないのは分かる。分かるが、枠が決まっていて、誰でも参加できるものではないオリンピックで、走れないと自ら自覚しているものが枠を握っていたのではどうにもならない。

マラソン女子は今回もメダルが期待されていた種目であり、有望選手が目白押しの種目でもある。探せば、調子がそこそこいい選手だっていたはずだ。故障していない有望選手なら、少なくとも、その選手の将来のためになるし、途中棄権の危険は減少するし、上手くいけば入賞していたかも知れない。出場辞退などというもったいないことをせずにすんだだろう。

ライバルに花を持たせるのが嫌だったのか、しがらみか、どうにもならなくなるまで、情報を出さなかった。奇跡を信じてといっていたようだが、信じるのは勝手だが、それは個人レベルでやってくれ。監督の責任も大きいが。

男子マラソンに関しては、甘いと言われそうだが、尾崎の故障は直前だったということでこれは仕方ないだろう。佐藤は、最下位で、静かな禅僧のような顔で到着した。アクシデントが起こったに違いないが、一切言い訳は言わず、これが実力ですの言葉を繰り返して、押し切った。こんなことをいっちゃあ何だが、今までで一番いい顔だった。

9b8f08a6.JPG娘たちと木陰を歩いていた。例によってトモゾーは「ねえ、かあかあ」をいつ果てるともなく連発している。

「ねえ、かあかあ」、「ねえ、かあかあ」、「ねえ、かあかあ」。間に「ねえ、ばあばあ」が時々入る。

樹上では若いカラスがいつ果てるともなく、「かあ、かあ、かあ」と甲高い声で騒がしい。

そのとき、押さえつけるように、だみ声で「があ、があ」という声がした。

「あっ、Rちゃんだ」、「あっ、お母さんだ」、私と娘は同時に互いを指さした。

トモゾーは、以来、「ねえ、かあかあ」の間に、手をぱたぱたして「ねえ、があがあ」と言うように。

夏が終わったのか、連日涼しいどころか寒い。トモゾーたちも去り、かあかあがこだましていた部屋にパソコンのモーター音だけが聞こえる。

頭の中がどうにかなりそうなほどの騒音と混乱の約3週間が過ぎ、寂しさと平穏とを楽しんでいる。孫は来て良し、去って良し。至言だ。

次は11月に来るそうな。

0a56e110.JPG7月のはじめに見た映画、「アウェイ・フローム・ハー」の中のせりふが繰り返しよみがえってくる。アルツハイマーを患っているヒロインが「黄色は私の色じゃないの。でもここの人たちはなんでも着せちゃうの」というような意味を言うところだ。趣味の良い、かって美しく知的であった彼女がちぐはぐな洋服を着せられていることを夫に説明するところだ。あきらめと一時的に取り戻した自分、施設の人たちとの関係が浮かび上がってくる。

歳をとるとどんなに優れた頭脳でも痴呆の瞬間がやってくる。のっぺりとすべてが混沌となり、痛みも、恐れも分からなくなるのであれば、死の恐怖を薄れさす僥倖とも言えるのだろうが、一番怖いのは、突然、覚醒する瞬間だ。自分の立ち位置、自分の仕草、周囲の反応。ぼんやりと薄明かりの中に漂っていたものが霧が晴れるように瞬間明確に、自分が呆けて自分ではない何者かになっていたことが分かるのは真の恐怖だろう。痴呆はまだらにやってくる。

以前書いたかも知れないが、バス停でしきりに訳の分からないことを訴えかけている痴呆らしい老人の相手を不承不承していたら、突然、「相手をしていただきありがとうございました」とはっきりとした表情で礼を言われたとき、強い心の痛みを感じた。そう、いつ何時、気づいたら、私もどこかで誰かに変なことをしつこく叫んでいたという羽目に陥るかもしれないのだ。

冒頭の映画に出てくる有料の老人ホームでも、人権意識の強いカナダであっても、老人、特に痴呆老人については、その財産である個人の持ち物でさえいい加減な扱いしかされていない。では日本では?mitsuさんのところで実情が紹介されている。庶民にはとても手の届かない有料の老人ホームでさえそうであれば、公的ホームは一体どういった有様なのだろう。

少々前から両親、特に父の痴呆が進んでいるようで、福祉事務所に時々話を聞きに言っている。いわく、予約は出来ない。困った順。それも年単位の待ちが多い。いわく、夫婦を一緒に入れることは出来ない。バラバラに入れ、他の人たちの同意があれば、空きが出たときに一緒にすることは出来る。もちろん、個室など夢の又夢。二人で支え合って60年を超える年月を一緒に暮らしているのに分けることなどできない。

そうか、役人は、ボケかけている老人などには、感情がないと思っているのか。自分は老いることも病気になることもましてや痴呆になることなどないと思っているのか。自分がそんな扱いされても平気なのか。せめて死ぬときくらい尊厳のある死に方をしたいと思うのだが、経済効率の悪い生産性のないボケ老人は社会のゴミでしかなく、ゴミとしての扱いしか受けられないということなのだろうか。

職員は仕方ないでしょと言い、予算がないといった。予算は誰が付けるのだ、その予算はそもそも誰の財布から出ているのだ。国の予算は誰の金なのだ。

すっかりジャングルと化した私の畑。決死の覚悟で夕方に出かけていく。何たって蚊の襲撃がすさまじいのだ。

ミニトマト乾燥中虫除けスプレーや虫除けティッシュを試し、腰に蚊取り線香をぶら下げ、電気の虫除けもやってみたがダメだった。長ズボンの裾を靴下で覆い、長袖のシャツに手袋という完全武装でやってみたがあまりの暑さに30分と持たない。

虫除けネットなる頭まで被さる、防虫カプセルが埋め込んでいるという長袖のアミ目のパーカーを購入し、3歳児のトモゾーに「宇宙人みたい」といわれながら、これならばと勇んで出かけていき、左半身のみ30分で12箇所を刺され逃げ出してきた。右半身は無事だったので、カプセルが一部分埋め込まれていなかったのではないかと疑っている。

というわけで、畑の世話など夢の又夢。そそくさと収穫するだけなので、なたまめも小粒、キュウリは枯れ、人参は3ヶ月経ってもまだ小指の太さ。明らかに栄養不良なのだ。その中でトマトの元気さは素晴らしい。素晴らしいのだが、大量の蚊が棲息するジャングルの中で鈴なりのミニトマトを収穫するのは苦行だ。

瓶詰めドライトマトそうやって収穫したトマトは無駄には出来ない。塩を振って天日に干し、ドライトマトを作った。唐辛子1本と共にオリーブ油につけこんだが、これがなかなか美味しく、サラダやサンドイッチに夾んで大人の味ねとご機嫌なのだが、塩分の取りすぎになるだろうなあ(ため息)。

素読、乱読失礼
ひとりで渡ればあぶなくない 森毅 ちくま文庫
家守綺譚 梨木香歩 新潮文庫
言葉を読む 井上ひさし 中公文庫
完本戒老録 曽野綾子 詳伝社黄金文庫
海辺のカフカ 上 村上春樹 新潮社
グインサーガ118巻 栗本薫 ハヤカワ文庫
眠る盃 向田邦子 講談社文庫

328ac982.JPG先日の雷が暴れ放題に暴れた日、我が家にも恒例の襲来、親玉台風とちび台風2匹がやってきた。今回は3週間弱の長逗留になるもようで、こちらはすでに青息吐息だ。

で、飛行機は2時間遅れたが、何とか無事に到着してほっとはしたが、嵐、雷の上に高速道路が先日のタンクローリー横転事故の余波であちこち封鎖されているとのことで、最初から渋滞を覚悟したのだが、羽田周辺を除き、これまでに経験したことのないほど高速道路は空いていた。みなが一斉に情報に従い回避した結果だろう。下の道路はすごい混みようだった。

周囲を滝のように流れる水と激しく光る稲妻にすっぽりと囲まれたタクシーのなかで、豊島区の雑司が谷でマンホールの中で作業中の作業員5人が流されたという事故のニュースを聞いた。

前日も長時間しかも広い範囲に渡り雷と豪雨に見舞われ、その日も朝から前日同様に雷と豪雨が予報されていたのに、なぜ油断するのだろうか。しかもその少し前に神戸で一気に水かさが増して川遊びをしていた人たちが流された事故があり、7月8日には大田区で護岸工事中の作業員が急な増水で流されたばかりだった。

都市型災害で水が行き場を失い一気に増水するとのことだが、東京や神戸は昔から都市であるし、川が三方をコンクリートで固められているのは昨日、今日に始まったことではない。なのに今年に入ってからこういった事故が頻発するのは日本の気候がやなり変化しているということだろう。今までのような心構えではダメなのだ。

昔、ウン十年前、ある企業のバンコク支店での求人に応募したことがあった。試験の後、中年の職員がバンコクの雷はすごいですよ。スコールと共にバリバリバリ…と手振り身振りを交えての世間話に花を咲かせたが、それを聞いて就職を辞退したことを思い出した。

ウン十年前、日本には四季があり、穏やかな自然があり、夕立は夕方の一時で晴れ上がり、昼間から数時間に渡る雷などほとんどなかった(と思う)。懐かしんでいても仕方がない。熱帯夜、熱中症、集中豪雨、雷への対処をきちんと考えなくてはいけなくなっているのだろう。もうすでに少なくとも東京は熱帯地方といっても良いような有様なのだから。

46def9ba.JPGなぜ火中の栗を拾うのかと周囲から反対の声があがったらしいが、今回の幹事長就任は政治家の判断としては不思議なものだった。

麻生さんは、福田さんの次の総裁の座を狙っている。これは衆目が一致するところだし、当然、次の総裁選にも出るだろう。

福田さんの下で総選挙を上手く乗り切ったら福田さんが息を吹き返す。しかし、総選挙でこければ、幹事長として責任を取り、次の総裁の芽はなくなる。どちらにしても良いことはない。福田さんではダメだと思ったからこそ、これまで役につくことを固辞していたのだろうし…禅定とか密約とか、そういう話がなければ乗るわけがないと誰もが思うだろうが、どうやらそういう話でもないらしい。

ここでやっぱり、彼独特の理想主義的な、一種、キリスト教的な匂いがする。吉田茂元首相仕込みのノブレス・オブリージュの信念なのかも知れない。やらなければならないからやるというのは、前回の総裁選でも、負けるのが分かっていながら、政治は損得でするものじゃないといって立候補したという信条と一致する。

宗教的なバックグラウンドがある人は、指針を神に求める。求めなくてはいけないはずだ。その善し悪しはともかく、軸はぶれない様な気がする。大きな枠が存在し、個人的な都合や、枝葉は捨て去り、損得抜きで、やるべきだと思われる方向へ、正しいと思う方向へと、つまり神が示した方向へと動くだろう。その方向がどっちの方向か、将来的にも正しいかは、神でもない私には分からないが。

まあ、羅針盤がなく、その場その場でつぎはぎだらけの応急手当をしつつ漂流している船に乗船している身としては、方向が決まるだけでもありがたいとも思えるが、成功しすぎてもつぶされるのだろうなあ。

麻生さん関係:
07年9月24日付http://blog.livedoor.jp/ganbare_watashi/archives/50918137.html
07年9月17日付http://blog.livedoor.jp/ganbare_watashi/archives/50913893.html
06年9月12日付http://blog.livedoor.jp/ganbare_watashi/archives/50626769.html

長年同じ仕事をしていても中身が毎回違うので、辞書は必需品。商売道具なので本屋さんや量販店のソフトウェアの棚のあたりを巡回しているが、なかなかこれぞという辞書には当たらない。

自宅で仕事をすることがほとんどだが、親分に頼まれれば出かけていく。たまに外で働くのも目先が変わっていい。周辺の美味しいものを探索したり、変わった人たちに出会うのも面白い。

辞書のない状態で、ネットもつなげず、いきなりパソコンを与えられ、6、7時間ぶっ続けのタフな仕事に放り込まれたこともある。まあ、火事場の馬鹿力だろう。普段居眠りしている頭がちゃんと?いや多少かもしれないが働き出すからたいした混乱もなく仕事は出来るが、不安この上ない。帯には短く、たすきには長い辞書ばかりだとしても翻訳者には命綱。帯でもたすきでも、邪魔になるだけでも何かが欲しい。赤ん坊のおしゃぶりとか毛布の切れ端と代わりはないような気もしないでもない。

非常時に備え、デスクとノートに辞書を入れてある。PCを新しくするときに困るのがソフトウェアの問題。購入した辞書で使えないものが必ずでてくる。辞書は長く使うものだし、安くはないので何とかして欲しい。これは役立つというPC用の辞書、辞典があれば教えてください。

一番よく使うのが英辞朗とランダムハウス英語辞典(これは紙でも持っていたが、バラバラになったので昨年捨てた。Websterの英英の大辞典ももっていて、これは重すぎて持ち上がらないので使うことはまずない。ところで、ランダムハウスの英語辞典はWebsterの英英の翻訳なんですよね。まあ、一部を読んだだけだから、全部がそうとは限らないけど。大枚はたいてなんか損したような)。Bookshelf、日経経済・ビジネス用語辞典、活用大辞典、Concise Oxford Dictionaryとか法律学小辞典などというものもある。インストールはせずにCD-ROMで持ち歩くものが多いが。理化学大事典というのもあったはずだが、XPにも入らなくなっていたので、紙に戻っている。電子辞書は研究者の大辞典が入ったものを以前は使っていたが、今は使っていない。後は、ネットで探した主に政府機関や大学が出しているいくつかPDFの用語集を入れているが、一番大事なのが自分で作った用語集のようなもの。法令名や法律文書でよく使われるラテン語、年度の数え方までExcelに放り込んである。

ところで英辞朗だが、チェックして欲しいと言われてたまに見る際に、英辞朗をそのまま引き写したような訳文に時々出会う。英辞朗はあくまでも参考で、言葉を探すのは便利だが、自分の中に入っていない単語の場合は、別の辞書やネットを調べて、本当にそういう使い方をするのか調べる必要がある。とんでもなく特殊な場合に使う言葉や間違った使い方も多数含まれている。ご注意を。


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