あんなこと、こんなこと。どんなこと?

自分の言葉をしゃべりたくなった翻訳者のきままな独り言:多様だから価値がある。反論、異論大歓迎

2008年09月

史上2番目の短命大臣という不名誉な記録を作り中山国交省大臣が辞任した。

それにしてもよう分からん。一貫して文教族だったという人が、なぜ国交省の大臣に、それも他のポストを蹴って、なったのだろう。町村派の重鎮で押し込んだらしいがそれなら文部科学大臣のポストだって手に入れられただろうに。

せっかくそうまでして得た国交省大臣のポストなのに、国交省の管轄外の文部科学省管轄の日教組をぶっ壊すとか、ガンだとか、なぜ、あそこまで踏み込んだ発言をしたのだろう。それも撤回するどころか雄叫びを上げてまで。

大分県をやり玉に挙げていたが、中山さんは宮崎が地盤らしい。ということはかなり事情に通じてはいたかもしれない。日教組がそんなに強い土地柄なのだろうか。何か恨みでもあったのだろうか。

日教組の組織率は、全国平均で50年ほど前は86%を超えていたが、2007年現在では28.3%だという(Wikipedia日教組のホームページAsahi.comをみてみたが、予想通りばらばら。ここではWikipediaに従っている)。私など日教組ってまだ活動していたのとそっち方向に驚いたほどの無知な人間で、非常に唐突に感じたのだが、あれほど強弁する根拠は何だろう。大分の教育委員会の問題とつながりがあるのだろうか。本当のところが知りたい。

日教組といえば、私が小学生時代、毎週のように先生たちは日教組の大会に出かけ、私たちは自習の連続だった。時々、校長先生や教頭先生が回ってきて、ドリルなどを指示されたように記憶する。

先生の仕事は子供に勉強を教えることが第一義なのに、休日や夜ではなく、平日の昼間に学校を抜けていくことを変だと思ったことも思い出した。その疑問は今回解けた。Wikipediaによるとだが、日教組の活動目標の第一に、児童の教育や福祉ではなく、教職員の待遇改善があげられていたからだ。日教組のホームページをみても、通常、一番に掲げている何のための組合かという明確な主張が一番上に掲げられていない。政治的な活動団体だというのは分かったが。

ふーん。自分たちの理念と利益の追求団体なんだ。他の職種に比べてかなりの優遇された職であるから大分の問題も出てくるのに、それを本人たちが全く自覚していないのかもしれない。であるのならもう少し、明確な指針や目標を上げて、せめて、教職員なら第一に教育と児童の福祉を大きく掲げた新たな組織に作り直しをした方がいいかもしれないと私だって言いたくなってしまう。

それにしても、この男と、拉致問題で女をあげた、美人で、穏やか、知的な中山恭子さんが夫婦とは。男女関係はよく分かりませんねえ。

まど麻生さんが就任直後、ニューヨークに飛んだ隙に、電光石火、引退表明。

何せ、有数の高給取りたちなのだから、何をしているのか分からない人たち、能力が衰退した人たちはどんどん引退していただき、働き盛りの人たちに任せたいけど、

世襲って!

次の選挙に、息子に地盤を譲るためって。へえ、自民をぶっつぶす、派閥をぶっつぶす、変革だあ、の人がねえ。

選挙区は遺産じゃない。親から譲ってもらって政治家になるって、政治に情熱がある人のやることかなあ。情熱もたいしてない人にやってもらうほど、この国は裕福じゃない。

何も分かりませんがこれから一生懸命やりますからなどという人を待っていられるほど時間がある訳じゃない。

一人引退したら、議員定数を一人減らしましょうよ。うじゃうじゃいわずに、自然減。どう?

TB:http://wangoro.blog.so-net.ne.jp/2008-09-26-1銀の匙をくわえて生まれても、日本では、相続税で三代目は家を売る羽目になることが多いらしいが、さて。

C型肝炎訴訟原告団の福田さんを民主党が衆議院選の候補に担ぎ出すという。間違っていたらごめんなさい。この女性は和解案を大阪地裁が提示したときに、生きていく希望がなくなったとかいう意味の言葉を泣き叫んだ女性ではなかったのか?

私は、たかが地裁の判断くらいで、しかも若くて、五体満足で訴訟活動ができるくらい元気なのに、泣き叫ぶような女性には自分の代理人として活動してもらいたくない。勝訴だけが生きていく目標とか希望って、そんな情けない人に代表してほしくない。

もちろん、誤解されるといけないのではっきり言っておくと、厚生労働省はお粗末だし、悪名高いミドリ十字はじめ製薬会社も何をやっているんだろと思う。彼らの弁護をするつもりはない。すぐに感情的になる人に自分の将来を託したくないだけだ。

しかし、新薬の扱いは難しい。副作用がはっきりするのは、通常、何年もたってからだ。問題が生じるのも後になってから。使わせないなら使わせないでなぜ効力がはっきりしているのに、使わせないのかと非難の的となる。外国では使用許可が出ているのに日本はなぜ遅いと非難囂々はよくあるパターンだ。新薬を用心して使用しない場合は訴訟になることもある。

ファブノリーゲンは画期的な新薬だったようだ。この薬のおかげで命が助かった人たちがいる。命が助かって無事に生まれ、また命が救われ、その後何十年か後にC型肝炎に感染していたことが分かった人たちが原告団に含まれるが、さかのぼってその時点でその薬の投与を拒否しただろうか。

Wikipediaによると1975年には次のような判決も出ている。
弛緩出血ショック止血措置輸血措置懈怠―医師側敗訴
東京地方裁判所昭和50年2月13日判決(判例時報774号91頁)
(大量出血時にはフィブリノーゲン製剤を投与すべきとし、そうしなかった医師に高額の損害賠償を命じた)

給付金として一人4000万円から1200万円が国庫から原告に支払われることになり、救済基金は総額200億円規模になるという。基金は製薬会社との共同らしいが、税金から多額の支出がなされる。ミドリ十字はつぶれた。原告救済は絶対に必要だし、それには疑問の余地はないが、C型肝炎だけが病気じゃない。様々な病気で苦しむ人は多い。こういう訴訟が多発すれば、必要な薬が手に入らなくなる可能性もある。病院がつぶれ、無医村が増えているときに、何とか別の方法はないだろうかと思う私はおかしいのだろうか。

ちなみに、私が開腹手術を受けた病院が当時フィブリノーゲン製剤を使用していたというので、検査を受けた。今まで輸血も数回受けている。肝炎でないのが、生きていること自体が、不思議なくらいだ。近所の医者で検査を受けたら安くない検査料をとられた。保健所に行くべきだったらしいので、検査の際は保健所にどうぞ。

バジルここのところ毎日、朝はイングリッシュマフィン。

マフィンを軽くトーストし、そこに大量のサラダ菜と、ロースハム、つぶした目玉焼き、そして先日作った唐辛子とともにオリーブオイルにつけたドライトマトを重ね、マフィンの片面に、これまた先日作ったジェノベーゼを薄く塗り、片面にマヨネーズを塗ったマフィンサンドイッチ。これが実においしいのです。何という贅沢。ああ幸せ。

ドライトマトはジャムの瓶、3個分を作ったのだが、すでに1瓶半消化してしまった。特に、アイコというイタリアントマトのミニトマト版のような品種で作ったドライトマトは絶品です。皆様、来年は是非お試しあれ。このトマト、収穫期が長く未だに次々になっている。計画して植えないと私のように冬野菜の準備ができない羽目に陥ることにも。

6b2d26f9.JPGベランダにセミ

ところでもう9月も半ばを過ぎてしまったんですね。さしもの蝉の大群も消えてしまい、毎朝、ドアを開ける際に脅されることもなくなりました。今度は虫の音で耳鳴りがしております。都会にいながら、自然に囲まれて、幸せ者です。相変わらず、虫に刺されていますが…セミカーテンにもセミ



乱読、粗読失礼
運命の劇場下 落合信彦 集英社文庫
螢川 宮本輝 角川文庫
父の縁側、私の書斎 壇ふみ 新潮文庫
ひとり旅は楽し 池内紀 中公新書
紅茶の国 紅茶の旅 磯淵猛 筑摩書房
萩尾望都 思い出をきりぬくとき あんず堂
ほんとうの話 曾野綾子 新潮文庫
私の浅草 沢村貞子 暮らしの手帖
グインサーガ 外伝21巻 栗本薫 ハヤカワ文庫
イタズラなKiss 多田かおる 1-23巻*
*大理石のテーブルの下を拭いていて、急に立ち上がろうとして頭を強打、そそっかしくも漫画の続きのように脳内出血で作者が亡くなってからもうすぐ10年。時々読み返して、続きはどうなっていたのだろうと思わずにいられない。たぶん世界記録の長編を執筆中の栗本薫、癌と戦っているとのことだが、完結するまで元気でいてほしいと、身勝手な読者である私は思ってしまうのだ。

b20c1343.JPG仕事に追われ、パソコンに背かれ、両親に振り回され、娘にはもっとぶんぶん振り回されている今日この頃、それなのに畑は待ってくれない。待たせた畑は哀れ、半分だけ髪を剃ったしたような情けない姿のまま、近隣のしゃきっとした畑の中でたたずんでいる。

大木となった紫蘇の扱いに困り、紫蘇ジュースを作ってみた。赤紫蘇とあるが、何、味が対して変わるわけもないと、いい加減な私は大量の青紫蘇の葉を洗い、4分説を採用して煮立て、砂糖を加えた。そこへクエン酸を入れるのだが、思いつきと出たとこ勝負で始めたのだから、例によって例のごとく騒ぐしかない。クエン酸、え、そんなもの家にあるわけない。でも本人も覚えのないものであふれかえっている家の中、もしかしてと探し回るがやはりない。買い物に行く時間もないからままよ、冷蔵庫に常備してあったレモン汁を大量に入れる。

さっと青紫蘇なのにがんばってきれいなピンク色に変化し、結構おいしい紫蘇ジュースが完成したが、10倍に薄めると書いてあったが、いい加減に作った私の紫蘇ジュースは1.5倍程度でちょうど良い。それに少々甘い。娘は紫蘇風味のレモネードねと言った。その通り。

畑のもう一つの巨匠、大木と化しているバジルにも困った。巨大なバジルを抜いて、家に持ち帰ってきて、そうだ、ジェノベーゼを作ろうと思いついた。思いついたが、松の実がない。やはり松の実はほしい。で、ベランダにバジルに寝ていていただき、松の実探しに出かけたが、近所の店にはなく、そのうちベランダは枯れ葉で埋まってしまった。

数日後、ようやく松の実を購入し、めでたく別のバジルの大木を持ち帰えり、葉をむしり、洗って、禁断の相棒をみながらタオルで根気よく水分をぬぐったところでタイムアップ。乾いた葉を冷蔵庫に入れ、今日、ようやくジェノベーゼ作りに取りかかろうと、フードプロセッサを探したのだが…

お気に入りのものは近所の人に貸したらバネが1個紛失でゴミに、その後購入したもののやる気も失せ未使用のものがあったので、やってみたら、くるくる回るだけで歯が立たない。駄目。バーミックスタイプのものも探し出したが、泡立て器以外の刃が見つからず、アウト。ついにブレンダーを持ち出し、スマッシュ機能でスマッシュしたら内側に広く飛び散り、思ったほどの細かさにならない。この間、水分を嫌うからとすべてを洗って、乾かしてを繰り返していたものだからすっかり嫌気がさし、ゴミ箱へ入っていただいた。あと4本ほどバジルがあるが、何本目にジェノベーゼが作れるだろうか。

ベランダでは、サラダ菜と小カブの種をまき、買ってきたキャベツの苗も順番待ちをしている。畑への道は遠い。安全でおいしいものを食べようと思ったら、手間も暇もお金もかかるのだ。

basil追記:仕事もせずに抜きたて!バジルでジェノベーゼ作りに成功!何やっているんだろうね。でも、食パンに薄くのばしてこんがりトースト。ガーリックトーストよりもおいしい。くくく。
オリーブオイルで2cm程度蓋をしてある。ついでにバジルの木2本分を乾燥させた。1年分はたっぷりありそう。

28eb015e.JPG自給率が40%の日本。作らなくても金さえ出せば大丈夫、要は分配の問題だなどと間抜けなことを言っているとこういう変なものをつかまされる羽目になる。まさか、食べられないものを食品として売る奴などいないなどと思い込むのはもうやめよう。

トウモロコシや小麦の世界的な高騰で食料の輸出に規制をかける国も出てきて、まあ多少円高に振れているからいいようなものの、もし円が暴落でもしようものならいったいどういうことになるのやら。

金にあかせて、地球の裏側からも食料を輸入しているのだから、いったんことが起きたらただではすまない。円が高く、国力が充実して、原油の値段もそこそこで、世界の気候が安定し、世界が平和なときという、ごく限られた条件の時にしか有効ではない方法に頼っているんだから、恐ろしい。これが逆回転しだしたら?カビが生えていようと、農薬がたんまり残留していようと、食べなくてはいけない時代にならないように早く何とかしなければしらんぜ。

嫌々決まりに従って買ってやっているという力関係の時でも高濃度の農薬残留米や黴びた米さえ、返品もせず買うという、いかにも事務的な、やる気のない農水省の役人が、売りたくないというものを売ってくれと頼むとき、どんなものをつかまされるのやら。

事故米などと言うけど、使い物にならないものはそもそも商品じゃないし、農薬が残留しているのは、農薬を使いすぎたせいに決まっている。事故じゃないでしょう。叩き返して別のものと交換させるか、返金させるのが当たり前なのに、すっかりなめられているんだろうなあ。今頃、今度から返品するなどと言っているらしいが、なんとのんきな。

おまけに、工業用の糊として払い下げるのなら、なぜ、糊の製造会社ではなく食品会社に払い下げるのかおかしいと思わないかな。

輸入した米の購入金額と、払い下げた事故米の差額は、均等割にして農水省の関係部署の役人の給与から差し引いたらどうだろう。国庫にお金が足りないのだし、そうすれば、さすがの役人も税金をもう少し大事に使うことを覚えるのではないだろうか。

ところで、ぽいなげ福田さんのおかげでうやむやになって助かった農水省の太田大臣、事務所費問題は解決しちゃったことにしたんですか?

2006年8月という少々古いニュースだが、日本人の勤労意欲が非常に低下しているというデータを米国のコンサル会社が発表したことがあった。このデータによるとなんと41%が意欲的でないと答え、意欲的であると答えたのはわずか2%だった。

2006年の夏はまだ景気も良く、今に比べれば世の中は明るかったのに、この数字ということは、現在ではもっと意欲が低下しているのではないかと危惧する。

大抵のことは、気力と意欲があれば何とかなる。すぐにはどうにもならなくても、そのうち何とかなるものだ。そして、プライドばかりが高く、気力も意欲も低く、一旦挫折すればすぐ嫌になり逃げに入るやる気のない総理を2代続けて選んでしまったのは、日本の世相をはっきり写していたということになる。

福田さんは、ニュースによると、ぶら下がりによる記者の取材を拒否し、重要な会議も欠席したらしいが、彼はまだ総理なのだ。日本の代表なのだ。軍のトップでもある。

一旦、災害や大事件が生じたら直ちに対応しなければならない。首相というものは、1年中、24時間、臨戦態勢でいなければならない職だ。

辞任を表明しても、まだその職にあるのに、説明責任もすべて放り投げているのであれば、勤労意欲は低くとも、辞めるときにはきちんと引き継ぐ人が大半と思われるほとんどの日本国民よりもたちが悪く、責任感が低いといわざるをえない。

ああこんな人と違って良かった。

蛇足だが、自民党は記者クラブに入っていなければ記者会見にも参加できないらしいが、民主党はフリーランスでも参加できるという。当たり前のことだが、民主党に拍手。井の中の甘ったれの蛙で、馴れ合いの記者会見さえ怖がるというのはリーダーとして尋常じゃない。こういう甘ったれの根性なしの男どもを育てたのは私たちおんなの責任でもある。あーあ、恥ずかしい。

目の調子が悪く、早めに寝て一夜明けたら、なんじゃらほい。冗談かと思ったが。

ぽいって、あーた、自分を客観視できていたら総理は引き受けなかったのじゃないの?国民目線って言葉気に入っていたようだけど、どんな国民目線なんやねん。

逆切れを披瀝して終わった福田さん。やれやれ、苦労知らずの二代目政治家が2代続けて政権を放り投げてしまった。頭を下げるのが何より嫌いなホコリだけ高い福田さん、太田農水相の事務諸費問題が最後の藁となったような。

困難を承知で引き受けた(私は偉いんだ)。安倍前総理(のような甘ちゃんのぼんぼんの投げだし)のケースとは違うんです。わずか15分という会見中、国民に謝ることなく、あなたとは違うんですと最後まで自分のプライドを守ることを最優先させてしまった。国民からすれば、黒でも白でもネズミをとる猫が良い猫なのだ。泥まみれになっても獲物を捕って欲しかった。

最後まで総理らしさ、日本の代表にふさわしい格を見せることなく、2人続けてサミットで愛想良くホストを務めて自分の花道としてしまった。

まあ、考えるまでもなく、福田さんが他人事のような態度、彼の言葉によれば客観的であったのは当たり前。元々やる気がなかったのを周りがお膳立てしたものに乗っただけなのだから、常に、やって欲しいといわれたからやってやっているのに、うるさく言えば辞めるぞというだだっ子のような気分で終始し、放りだしただけ。それにしても、日本に男はいないのか。

麻生さんが手を挙げているが、小泉さんのイメージの強い小池さんの名前も上がっているようだ。私は基本的に女の味方だけど、小池さんにはどうもご遠慮願いたい。ピンチがチャンスというのも真理。追いつめられれば馬鹿力が湧いてでる。大いに揉めて、がらがらぽんでせめて楽しませて欲しいと、どっちにしろ日本の政治にうんざりした小市民は思うのだ。

リーズ城30年以上前にカナダ人のおじいちゃんから、母親が使っていた机だけどといって、英国製の両袖机を貰った。ノブなどはこすれていかにも長年使われてきたという風格?のある机で、もちろん、合板などは一切使用していないのに軽く、細身の女性向きの机で、実に使いやすく愛用していた。

田舎に家を借りるときこの机も運んだ。机の上にビニール製のマットが敷かれていてそのままにしていたら、情けないことにそれが張り付いてしまい塗装がはげたので、田舎でのんびり塗装を剥がしてニスを塗り直そうというもくろみだった。もちろん、田舎暮らしが尋常ならざる忙しさだなど思いもしなかったからだ。

田舎を引き上げるとき、友人であるお向かいさんにこの机を託し、一緒にヤスリやニスも渡してきた。器用でセンスの良い彼は木工も、陶芸も、なんでも出来る男なのだが、難点は安請け合いすることだ。作業代は支払うから仕上がったら送るように。アンティックだから大事にするようにと呉々もよろしくと頼んだのだが、1年経っても連絡がない。風の便りで引っ越したとか、NGOを手伝って危ないところに行ったとか聞いた。私の机は…しかし連絡がつかない。

2ヶ月ほど前、ようやく携帯に出てきた。やはり引っ越していた。奥さんに一時逃げられたが上手く修復できて良かったと嬉しそうだったのは良いが、私の机はと聞くと、元の家にそのまま置いてきたという。もちろん、こちらの修復には手も付けていない。もういいから至急受取人払いで送って欲しいと頼んだが、まだ着かない。薪にされてなければいいのだが…

以前いた事務所が引っ越したとき、パートナーが使用していた巨大な机を貰った。幅183cm、奥行き91.5cm、高さ74cmという大きさの片袖机だ。これを娘の舅が欲しいというので送ったのだが、家の中に入れるのに大人4人がかりだったという。で、予想以上に大きく邪魔だったらしい。引き取るか、売るか、作業台にするといわれた。

非常に美しい、重厚な机だ。作業台だと!欲しい。欲しい。欲しい。うなされるほど欲しい。でもタタミ1枚よりも大きな机はどこにもおけない。その上に寝るのなら別だが。おまけに、どうやって階段を5階まで運び上げるのか。どうやって設置するのか。抽出1個でも私の手に余るだろう。手にはいるのに、すごく欲しいのに、諦めるしかない。

可哀想な美しい机。この美しさを理解し、この机にふさわしい、机が収まるような家を持っている人の所には、まず行けないだろう。分不相応に最初にこの机を貰ってしまった私が悪いのだ。済まぬ。

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