あんなこと、こんなこと。どんなこと?

自分の言葉をしゃべりたくなった翻訳者のきままな独り言:多様だから価値がある。反論、異論大歓迎

2009年12月

P1000617年に原則として春期と秋期の2回、各6回ずつ各2時間半の授業を受けに横浜に通っている。クラスといっても先生役のY子を含め、わずか6人というミニミニクラスだ。先日、忘年会をやった。中華街のはずれにある小さな、上海料理の店で、地元の人しか行きようがないようなところにある。

上海料理の店だからと初上海蟹を食べた。小さいが味が濃い。ついでに紹興酒もちょっとだけ。この店は少々塩味がきついところが気になるが、健康のことを考えなければ、なんでもおいしい。しかも安い。そこの名物の海鮮焼きそばは熱々の鉄板にのせられ派手な音をさせて運ばれてくる。量も半端ではない。多数の品をずらりと並べ、みんな顔をほてられ、騒ぎながら堪能した。ビールも入れて一人4000円。

先日、娘とたまには美味しいものが食べたいねと某ターミナル駅近くのホテルに向かった。目に入ったのが中華。黒服と白いテーブルクロスの高級店だ。女二人は堅実に一番安いコースを注文。約4000円也。フランス料理じゃあるまいに、かなりの間を置いて1つずつ運んでくる。前菜など、まさにフレンチ、どこが中華という感じだ。量もちょっぴり。一つ一つはまずくはないが、全く美味しくない。まとまるとまずいとしか言いようがない。

やっぱり中華は、みんなでわいわいと、猥雑に、いくつも並べて食べるものなのだろう。単品を一つずつ食べていてはちっとも楽しくない。一つの味だけでは飽きて喉に詰まってしまう。

早く次のクラスが始まらないかな。

粗読、乱読失礼
ヴェネツィアの宿 須賀敦子 文春文庫
役にたたない日々 佐野洋子 
めぐり来る夏の日に 河島英昭
働く女は敵ばかり 遙洋子 朝日文庫
渡した愛した金正日 落合信彦
時雨みち 改版 藤沢周平 新潮文庫
奇跡のタッチダウン上下 ジョン・グリシャム
女という病 中村うさぎ 新潮文庫
赤ちゃんは顔を読む−資格と心の発達学 山口真美
天璋院篤姫 下 宮尾登美子 講談社文庫
私はそうは思わない 佐野洋子 ちくま文庫
やがて悲しき外国語 村上春樹
オンリー・ミー−私だけを 三谷幸喜 幻冬舎
トリエステの坂道−須賀敦子コレクション 須賀敦子 白水Uブックス
至福の境地 曾野綾子 講談社文庫
作家の花道 室井佑月 集英社
お金の思い出 石坂啓 新潮文庫
小心者の海外一人旅 越智幸生
夏の庭 湯本香樹実 新潮文庫

P1000536[追記あり]昨夜、金スマを見た人たちはどれくらいいるだろう。涙した人は?

ジョン・レノンのHappy Christmas (War Is Over)がプロモーションビデオと共に放映されたのだが、このクリスマスソングが反戦歌だとは全く知らなかった。次々と死体や逃げる人たち、泣いている子供たちが流れたのだ。

お気楽なメリークリスマスの歌なんかじゃなかった。通り一遍のみんな仲良く、平和がいいなという歌でもなかった。血の出るようなレノンの叫びであり、私たち一人一人に対する告発であることを昨夜になって初めて感じ、直接指を突きつきられたほど驚いた。英語で食べてるくせに、何という馬鹿だろう。

下に全歌詞を載せるが、最初の2行に注目して欲しい。なぜ、この歌がSoという言葉で始まっているのか、そしてなぜ、what have you doneなのか、この長い年月、多分、何百回となくこの有名な歌を聴きながら、歌詞を考えても見なかった。この歌は鈍い私の耳を通り過ぎていた。まるで鼻歌のように。

[いろいろなことがあるけど、]そう、今日はクリスマス、愛を象徴するキリストが生まれた日なんだ。分かっているのかい。あんたはこの1年、何かやったのか。何をやらかしたんだ。そういうことだったのか。このジョンの問いにどう答えればいいのか。世界中で人々が苦しんでいるけど、せめて今日くらいみんな楽しんでいればいいなというジョンのやるせない気持ち。私は何も理解していなかった。

人生が終わるとき、神様にWhat have you done?お前は何をやったかと聞かれたとき、胸を張って、答えることができるだろうか。学校に行き、子供を産み、育て、働き、突っ張ってると言われながらも出来る限りのことをやったつもりだったが、果たして本当にそうなのだろうか。はした金を少々寄付した位で何かやったなどとのぼせるんじゃないという一撃でもある。

やるべきことがまだ残されているのだろうか。何をすればいいのだろうか。

そして、希望も。この歌が続くようにこれから新しい1年が始まる。来年こそいい年でありますように。祈るだけではなく、何かが出来ますように。

[上のリンク先はyoutubeだが、プロモーションビデオではないことをお断りしておく。同じくらい悲痛だがもっと政治的だ。プロモーションビデオでは子供が中心だったように記憶している。ジョンの意識だ。]


So this is Christmas
And what have you done
Another year over
And a new one just begun
Ans so this is Christmas
I hope you have fun
The near and the dear one
The old and the young

A very merry Christmas
And a happy New Year
Let's hope it's a good one
Without any fear
And so this is Christmas
For weak and for strong
For rich and the poor ones
The world is so wrong
And so happy Christmas
For black and for white
For yellow and red ones
Let's stop all the fight
A very merry Christmas
And a happy New Year
Let's hope it's a good one
Without any fear
And so this is Christmas
And what have we done
Another year over
And a new one just begun
Ans so this is Christmas
I hope you have fun
The near and the dear one
The old and the young
A very merry Christmas
And a happy New Year
Let's hope it's a good one
Without any fear
War is over over
If you want it
War is over
Now...

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ここのところ、クリスマス他の買い物で銀座や青山あたりをうろうろしていて、棒よりも嬉しいものにいくつかぶち当たった。その一つがギャルリー(本場ではこういうらしい!)ためなが。交詢社通りにあって、ひっそりと目立たない、きっと知る人ぞ知る、私はしらんかった画廊だが、中に入ってびっくり。

現在開廊40周年記念の名品展というのを開催中だが、名品展といっても画廊だし、名品といえるほどのものがそんなに多くあるわけないとふらりと入ってみたのだが、銀座、恐るべし。ユトリロだけでも4枚。小品ではなく50号程度の大きさがある。それも年代が様々で画風も署名も違い、えっと疑問符だったのだが、初期、晩年、そして例の一番目にする円熟期のものだといい、変遷の様子が見え、面白い。厚塗りのユトリロを見るのも一興ですぞ。

ずらりと、ルノー、ルノワール、ピカソ、シャガール、フジタ、ローランサンといった大御所が並んでいるのだが、すごいのは額縁にガラスがはめてないものがほとんどであること。筆の息遣いといったらおかしいが直にそれも誰の頭にも邪魔されることなく数十センチの近くからじっくり見られるのは本当に贅沢だ。並べてある絵の80%が売却済みのものだというから世の中にはお金持ちが多いんだねえ。

ヴェラマンクの雪の村の絵が素晴らしく、これ欲しいと思ってしまった。宝くじに当たったら買えるかどうか、値段を聞いてみようと一瞬考えたが、あまりに馬鹿馬鹿しい質問で、宝くじが1回当たってくらいでは買えるわけないだろうなあとすごすごと、せっかく絵が私を呼んでいるのにごめんねと振り切って帰ったのだった。

12月26日までなのでお急ぎください。もちろん、入場無料。

P1000606宝くじと言えば、西銀座デパートの宝くじ売り場からJR有楽町駅付近まで行列ができていてこちらにもびっくり。今年最後のジャンボ宝くじがその日でおしまいだったためらしい。不景気だけど、宝くじは買えるほどの不景気なのだろうか。

ヴェラマンクはともかく、サムホールの小さなフジタのデッサンくらいは何とかならないのだろうかと2人ほど並んでいた駅近くの小さな売り場で連番を10枚買う。おじさんに当たる物を選んでと言ったら、この忙しいのにといった顔つきだったが、それでも中程から、当たるかどうか分からないけどと選んでくれた。当たればいいなあ。

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数日前の日経夕刊のコラムに倫理とはWarm Heartのことだと書いてあった。ここのところ私生活にかなりの混乱が生じていて、作者はどなただか探せないのだが、なるほど、温かな心という説は様々な論理を超えるだろうなと感じた。

温かな心は、まあ、ゆうなれば、友愛だ。

で、友愛を強く打ち出し、後援会の名前も友愛という、あの鳩山由紀夫なる人物。友愛を連発するくらいなのだから、倫理的な人なのか、倫理的であると見せかけたいのか。心が温かなのか?

過日、大宅映子がサンデーモーニングで語ったように、私も、「日本人がいつのまにかこのように気にしなくなったことがショックだ」し、問題だし、潔癖でなくなっていることに大きなショックを受けている。

社会的地位、財産に恵まれた家に生まれた人間には生まれながらの義務がある。人よりも幸運に恵まれた者は、他の者に尽くさなければならない。それがエリートの義務であり、それがノブレス・オブリージュというものだ。高い地位にあり、人としてみんなの規範になる義務を負っている。それを自覚するのが倫理的な人間、当たり前の人間ではないか。

それが、一族こぞって、偽装も厭わず、相続税対策、贈与税対策に血道を上げ、すべて秘書のせいにする。国民の義務である納税をどう考えているのだろう。進んで納税し、自分ほど幸運ではない人たちに寄付するのが当然でしょう。一旦政治団体に寄付すれば、無税で相続できるという仕組みがおかしいが、生まれながらの上流階級ならそんな姑息な手段を考えてはならない。恥を知るべきだ。

また、彼が妻について語った言葉が彼の人間性を良く表している。彼が初めて米国に留学したとき、右も左も分からない彼をもてなし、世話をした人の奥さん、それが現在の妻だ。そして、彼は「独身女性の中から相手選ぶが、僕は全女性の中から選んだ」といってのけたという。

恩人の妻であってもどうしようもない場合もあるだろう。人間の感情はどうにもならないこともある。しかし、どのくらい相手の人は傷ついただろう。自分は罪を犯したことを、人を深く傷つけたことを思い、自分の弱さを恥じ、少なくとも罪の意識を抱くべきだろう。それが、自分たちのことだけ、相手のことを考えもせず、言い放って恥じないというのは、恐るべき無神経、冷たさ。しかも自分が冷たい残酷な人間であるとの認識のかけらもない。

このような希薄な倫理観の持ち主が他でいきなり温かな心の持ち主になるわけがない。

それで友愛?お坊ちゃんで人は良いでしょうがとコメンテーターは言うが、どこが人が良い?どこが暖かい?「Trust me」だと?恩人の奥さんと不倫の末結婚したような男のどこを?一事が万事だ。

右も左もなく、人間としての問題だが、こんなに品性のない嘘つき男が日本の代表だなんて、絶対に許せない。

そういえば、未婚の山本モナが恩人でも何でもない既婚男性と恋愛したとき、彼女はどうなった?弱い女を叩いても良いが、権力者の男は叩かないって?

雲高校時代の友人のF君が出るというので、N子と聞きに行った。曲目はブラームスのドイツ・レクイエム。

約90人もの大合唱団付き。レクイエムではあるが、優しい、明るい感じがする。F君の話では残された者の癒しのための音楽であるとのことだ。

聞いている間、目の前に白い小さな教会の内部がしきりに意識の表面に浮かび上がってきていた。白い羽目板の上の細長い窓。雨がしきりに打ち付け、窓に筋になって流れていく。合唱を聴きながら窓を見つめていたのを思い出す。

丁度今時分だった。高校時代の友人が単身赴任先で亡くなった後、最初に行ったコンサートだった。小さな教会は満員で、堅い木のベンチに腰をかけ、なぜ死んだのか考えていた。

今回のコンサートの後、N子、F君、O君とミニクラス会兼忘年会で盛り上がった。1年分の大はしゃぎと大笑いをしながら、胸が痛かった。帰ってからもずっと胸が痛かった。もうすぐ彼の13回忌だ。仲間だったのに。

白い教会での演目はヘンデルのメサイアだったという。

さて、遠くない将来に好むと好まざるにかかわらずあちら側に渡ってやあやあと再会を果たすことになるのだから、感傷に浸っている訳にもいかない。

一晩眠れなかったが、胸が痛いのかと思ったら胃が痛かったような気もする。やはり、飲み過ぎか、食べ過ぎか、はたまた笑い過ぎか。

笑いと言えば、N子にとっても悪いが、待ち合わせして待っている私の元に転んでしまったとの1通のメールが。心配していたのだが現れたN子は五体満足、足を引きずってもいないし、どこも痛くないという。つるり、すーっと滑ったからだという。で、レクイエムを聴いている最中、いきなり、ペンギンの姿が瞼に浮かんだ。そう、Wiiのフィットネスで遊んだ方にはおなじみの氷の上をお腹でつるりと滑るペンギンの姿が。で、N子とダブり、ひくひくとお腹が攣りそうに…

そう、胃だか、胸だかが痛かったのは、変な想像をして、レクイエムの最中に吹き出すのを必死でこらえた自業自得だったというのが本当のところじゃないかな。

N子の名誉のためにいっておくが、N子はペンギンにはちっとも似ていない。むしろ私の方が、いやいやF君の方が、ペンギンに似ている体型なので、むにゃむにゃ。

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10日ほど前のこと、朝ベランダから見た富士山が今年一番の美しさで、空は雲一つない快晴。これはどこかに行かねば。テアトル銀座で赤と黒をやっている。昔、友人が、ジェラール・フィリップさまと騒いでいたのを思い出した。ここのところ連絡が付かず気になっていた彼女の好きだった人でも見に行くか。

駅に向かって歩いているうちに気が変わった。あまりにも近所の公園の紅葉が美しかったから。後何回、こんなに天気が良くて紅葉が美しいときに遭遇できるか分かったものではない。若いと思っていたのに、いつの間にか人生の秋だ。冬ももうすぐ。やっぱり、見ておかねば。ジェラール・フィリップさまごめん。

思いついたのは東京都庭園美術館。ここは年に1、2回出かけていくお気に入りのところ。桜が美しいのは知っているが、秋はなぜか記憶にない。12月23日まで古伊万里展をやっている。好きな陶磁器だが、輸出ものの里帰り展なのできっと金ぴかの大ぶりなものに違いないと勝手に決めつけ、あまり期待はしておらず、庭、いや、何より、付属のレストランを目指す。なんて奴。

このレストランは、量は少なめ、価格は気持ち高めだが、私の中では美術館付属のレストランとしては、昔の根津美術館の庭にあった小さなお店に次いで、好きなところだ。店自体はなんということはないのだが、きれいで美味しい食事を出す。カウンター席に座るとガラス越しに庭園の緑が美しく、セキレイ(多分)の姿も。今、リンクをつけようと調べて分かったのだが、金田中の運営だった。なるほどね、きれいなはずだ。といっても、金田中は政治家御用達で有名な老舗割烹で、もちろん、そんな高いところ、入ったこともないのだが。

この「パリに咲いた古伊万里」展、直前まで興味のなかったものだが、嬉しい誤算だった。いかにも輸出用の、もちろん、金ぴかで大きな壺もいくつかあったが、染め付けや、柿右衛門窯、柿右衛門様式といわれる作品もかなりの数にのぼり、非常に美しい、いかにも柿右衛門らしい繊細な小皿も。2階の窓からは美しい庭園も望め、やっぱり来て良かった。

庭に出ると、モミジの紅葉が盛りだった。紅葉が盛りというのはおかしいような気もするが、大木のモミジの木全体が赤く染まり、小川や池に映り、空は青く、穏やかで、鮭とイクラの蒸し寿司等でお腹も一杯。ああ、日本に生まれて良かったなどと思える一日だった。

天気が良いし、納品も終わったし、さて出かけようとしたところに電話がなった。

明日朝までにどうしてもと言う。出かけるからねえとぐずぐず断ったら、じゃあ明日の昼までと時間を延ばしてきた。おまけにべたうちでいい、こちらが編集までするというので、しょうがないと引き受けた。お得意様だからねえ。

話しているうちに見たい映画に間に合わなくなったから、次の回にするとして、その間のあいた1、2時間を仕事に充てようと待つが原稿が入ってこない。

仕方がないので、外食の予定だったが、昼食を作って食べた。原稿は来ない。次の回は3時半ばなので外はかげって空気が冷える頃だと思ったら、なんだか行きたくなくなった。

買い物があるからそちらに切り替えようかと考えるが、なんだか時間が中途半端だ。ラッシュに遭うのは嫌だし…

やっぱり、原稿がどんな具合か見ておかないと気になって出かけられない。原稿はまだ入ってこない。予定がすべてがらがらと壊れていく。こうやって今日も私の時間が逃げていく。

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朝、小学校の窓に雀がいるのに気がついた。やけにばたばたしていると眺めていると、カーテンが揺れている。閉まった窓とカーテンの間に閉じ込められているのだ。

気づかなかったが、多分、金曜日から閉じ込められているのだ。ということは月曜日まで待つのは無理だろう。

小学校に電話をかけてみた。誰も出ない。土曜日だもの。

どうしよう。ダメ元で区役所に電話してみた。月曜日朝8時30分からという音声案内があるだけだと思ったら、最後に緊急時に限ってと守衛室の電話案内があった。

他にどうしようもないので、守衛さんに電話をかけた。詳しく事情を説明すると、先生方の緊急時の連絡先が手元にあるので電話をしてくれることに。

そして、先ほど、無事に雀が開放された。

土曜日なのに、ごめんね、先生。ありがとう。

(追記:頭が毎日、日曜日なので、日曜日と勘違い。土曜日に訂正しました。)

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先日のCTで腎臓に腫瘍が見つかった。毎年新しい持病が増えていっているような気がする。

世の中には金持ちも、健康な人もいるし、私のように病気のコレクションをしている者もいる。まあ、どんなに金持ちでも、健康でも、死なない人はいない。宇宙から見れば瞬きするほどの差もない。多少は慰められるような。

はっきり言って、どっちに転んでも悪くない。早く死ねば、悲しい思いは少しで済むかもしれない。親や子供を悲しませるかもしれないが、親や子供の死という悲しみからは逃れられる。

またしても早起きをしていつもの病院に向かう。今度はエコー。

悪性だと宣告されたら手術はどうしようか、考えながら歩く。もう痛いのは嫌だが、まだ未婚の娘がいる。最近体を壊しているから何かの時には私が養うしかない。この子が片付くまで、やはり死ぬのはまずいかもしれない。

それにしても、手術だ、抗がん剤だというと当分動けなくなる。髪の毛が抜けるとうろつくのに不自由だ。やっぱり、宣告されたら、直ちにヨーロッパに行こう。どこにしようか。春早めに南欧から少しずつ北上するのはどうだろう。妹が気絶するほど美味しかったと言っていたフィレンツェのレストランは外せない。だんだん気分が上向いてくる。

病名が付いた。出血性囊胞だと。あまり美しくない名前だ。ロマンチックじゃないなあ。これで、心臓も腎臓も仲良く3ヶ月おきに検診することになった。ヨーロッパが少々遠のいた。嬉しいような、残念なような…

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柿右衛門のトイレの鏡には[柿]の刻印が。余計な飾りのない杉戸の美しいトイレ。

九州陶磁文化館のトイレはゴミ箱からドアの取っ手に至るまで有田焼。

陶芸美術館

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

香蘭社

 

香蘭社のトイレもティッシュ入れ他モダンな陶器で、床はフローリング。良い板を使ってます。

 

 

 

 

 

 

ハウステンボス号

実は鉄道好きなんです。

何度もお世話になったハウステンボス号。内部を撮影するのは忘れたが、ゆったりしていて座り心地は非常によい。

ハウステンボス駅

 

 

長崎行きのローカル線。ハウステンボス駅にて。

 

 

 

 

 

 

 

松浦電鉄

 

 

 

松浦電鉄、伊万里行き。

 

 

 

 

 

 

駅

 

早岐駅。ローカル線で旅しているって感じが好き。

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