あんなこと、こんなこと。どんなこと?

自分の言葉をしゃべりたくなった翻訳者のきままな独り言:多様だから価値がある。反論、異論大歓迎

2010年04月

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さて、ワタクシ、実は、コンコンと病床からようやく起き上がりつつあるところでして、実に良くできたメカニズムにちょっいと怪しんで一言。

5日間で、実に10万歩ほども歩き、なのに筋肉痛も起こさず、元気を回復して帰ってきたと威張っていたのもつかの間、帰るなり仕事と勉強会の開始等で大忙しの状態にはいったのがいけなかったのか、週末から喉の痛み、咳+高熱の3点セットで寝込んでおりました。神社仏閣、きちんとお賽銭を上げたのにと娘に文句を言うと、あっちにもこっちにもいい顔をしたからいけないんじゃないのと言われた。それもそうかも。

5日間、頑張って歩いた分を取り返そうとするように、きっちり5日間、1日100歩以内の超省エネモードになり、あれだけ歩いたにもかかわらず増えていた1.5キロの体重は寝ていただけなのに元に戻り、本来なら是非ともやりたいボスからの仕事のオファーが半分受注ではダメらしく泣く羽目になると、それを待っていたかのように連休中来るはずだったが止めた方が良いと言っておいた娘+孫軍団が数日遅れで強行して来ることが決定。

ええ、体重を減らさにゃと言いましたよ、もう少し静養が必要かもと内心は思いましたよ、娘たちにも会いたい、仕事もしたい、遊びにも行きたい、少々困るかもと思いましたよ。見事に一刀両断に、乱暴に解決されてしまった。絶妙ではないですか。

こういう一連の出来事って、一体誰が精密に調整しているんでしょうね。私の頭の上から覗いている人でもいるんだろうか。お賽銭を上げた方々?まさかねえ。

寝込むときは読書の時で、長引きそうだとここぞとばかり「指輪物語」を持ち込んで、フロドの辛さを感じているうちに治ることになっていて、これまでに少なくとも12、3回は読んだのだが、もはや読むことが出来なくなっていることを発見。目がぼやけ読めない。実は未だに裸眼で新聞も読める。目に負担をかけるから良くないらしいが、読めるのだから仕方ない。それなのに…

私が看護する相手は大勢いるけど、休日でもない限り、私を看護してくれる人はいない。ここぞと甘える相手もいない。喉が痛いから電話も出来ない。(上の娘の電話に出たら、ドラえもんだと言いおった!))娘が勤めに行ってしまった昼間、一人ぼっちで本も読めずぼんやり寝ている間、幼い頃を思い出していた。熱を出すといつもすったリンゴとミカンの缶詰、運が良ければ桃の缶詰がでてきていた。母の冷たい手が額に当たるのも、襟の周りの布団を押さえる手も当たり前だと思っていたなあ。

すったリンゴもミカンの缶詰もでてこないから、よろよろと、自分で妹から貰った葛湯(もう役に立ったよ、ありがとう)を作って飢えをしのぎ、残りご飯をおかゆに仕立てて(おかゆ嫌いなのに)食べながら、見るともなしに自分の手を見ると、なんとまあ年老いた手ではないですか。母が恋しくなるような歳でもないのに、しかも、すぐ近くで私が行くのをしっかりと待ち構えているというのに、全く、なんというおセンチなことだろう。

病気にでもならない限り、おまけに本を読んで楽しんでいたら、我が身を振り返って反省しないから、これまた間に合う内に肩でも揉んでこいという絶妙な仕掛けなのだとしたら?へへ−

P1000125まっすぐ向かったのは薬師寺と唐招提寺。この2つの名刹が隣り合うようにして存在するのは実に有り難い。本数は少ないがバスでお寺の真ん前まで行ける。
薬師寺はあまりに明るく、新しく変わっていたのでびっくりした。遷都1300年祭に向けて頑張ってお化粧をしたという感じだ。塗り立ての朱色は、建築当時はこうだったのだろうが、すっかりすすけた古い板塀の講堂などになじんだ目には少々違和感がある。右の塔が昔のもので、左の塔が最後の宮大工と謳われた西岡常一さんが手がけたものだ。数十年、数百年と立つうちに、右の塔と一体化していくのだろう。(実にぎょっとするような朱色だったのに、どこを触ってしまったのやら、写真では色が分からなくなってしまっている。お許しを。色を多少調整してみました。これはこれで不自然な色ですなあ(^^;))

前日、万葉文化館で平山郁夫展が開催されていることを室生寺からの電車の中吊りで知り、地団駄踏んP1000174だのだが、薬師寺の玄奘三藏院で彼が30年かけて描いたという壁画を特別公開しており(今年度は通年公開)、目にすることが出来た。

唐招提寺は好きなお寺だ。美しいが厳しい表情の薬師寺や法隆寺と空気が異なる気がする。単なる私の気分です。もちろん。お寺の裏手の庭を歩くと春ですねえ、新緑が美しく、心まで穏やかに浮き立つような…

観光客はここまではあまり入ってこないので、ゆっくり散歩でき、独り占めですある。大勢の人並みに揺られながら見るのはお寺見物であっても、なんの思考も内省ももたらさないって、内省するような真面目な人間ではないが、たまには静かにこういうところを歩くのも良いものだ。

P1000175この苔の美しさ、この時期だけの輝きかもしれない。
秋や、枯れ果てた冬の景色も捨てがたいし、美しいと思うのだが、これから育っていく生命力の美しさに、おババはたじたじとなるばかり。
美しさが分かるのは、過ぎ去ってからというのは皮肉だが、心も頭も育っていくときに鏡ばかり見とれて漫然と過ごしてしまうとしたら恐ろしいから、上手くできているのかも。

P1000170この後、東大寺にまわり、久しぶりに大仏さまと対面し、あちこち見て回ったのに、3月堂でも20日前に特別公開が始まっていたのを見逃した。





P1000173昼食も抜かして(朝食がバイキングで食べ過ぎたせいもあるけど)ひたすら歩き、興福寺の瑞々しい阿修羅像も押し合いへし合いしながら拝見した。まあ、これは話題の主だし仕方ないか。
京都駅で早めの夕食をとった後、ここで娘と西と東に生き別れ…
実を言うと、昼食は何でもないが、夕食をレストランで一人で食べるのは嫌いなんですよねえ。
17900歩

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今年のお正月のおみくじは散々だった。近所の神社でも、毘沙門天でも旅行は不可とでたので、験を担ぐわけではないが、まあ実際担いでいるわけだが、気持ちが悪いので、ヨーロッパは諦めたのだが、ご存じの通りヨーロッパでは火山灰騒動とフランスの鉄道ストが勃発、ああ予約していなくて良かった。旅行は不可といっても、長期の旅行はダメでも小旅行ならいいのでは都合の良い方へと考えているうちに、どうせ暇なのだからと4泊5日の旅となった。娘が奈良に行くというので、初日、2日目は娘と一緒。

初日、起き出して外を見ると雪が積もっている。なんてこった。おまけに雨も降っている。おみくじが頭をよぎるが、負けてたまるか。シャーベットとなった道路をつま先立って駅に向かう。前途多難だ。帽子と手袋、厚手のマフラーで武装し、厚手のレインコートを着用。暑さの用意に綿の長袖シャツも2枚加える。ここは日本だ。四季のある国だぞ、今は春のはずだろうが…

室生寺階段小田原を過ぎたあたりから青空が見え始め、その後快晴に。昨夜の雪で頂が真っ白な富士山も見ることが出来た。連日雨の予報がでていたのだが、5日間、雨に降られることもなく、無事に乗り切った。晴れ女が戻ってきたのかも。おかげですっかり日焼けをしてしまったが。

室生寺奥の院まず、室生寺に。酒田にある土門拳記念館で室生寺の写真を見て以来の憧れのお寺だ。室生寺は遠いと言うが、どれほど遠いか分からない。が、歴女の娘が言うがまま、ついて行く。東京を8時30分過ぎののぞみで出発し、まっすぐ向かって到着は1時過ぎだったか、遠かった。そして門前から奥の院まで遠く、狭くて急な階段が怖く、桜は少し残っている状態で、石楠花はちらほら咲いている状態だった。奈良は1300年祭なのだが、20日からで、特別公開はことごとく見逃す羽目に。でも、高さも大きさもばらばらな階段から転げ落ちることもなく、何より、人も少なくゆっくりと味わえたから由としよう。

画像は大きくなります。

ここだけで、もう足はがくがくしていたが、根性で、ホテルに荷物を置いて、春日大社へ。連日、数百歩しか歩いていない人間のすることではない。ホテルのフロントで館内のレストラン20%オフのクーポンを貰ったので、和食へ。

一人4500円のミニ懐石を注文。+日本酒1本。お勘定は、さていくらでしょう。二人前で5100円。エ?ちゃんとお姐さんに言いましたよ。一人じゃなく、二人です。でも彼女は、はい、分かっています。それで頭をひねりながら、20%オフでも安すぎるけど、お味噌汁が、賭けても良いが、インスタントをお湯で溶いたなと思われるまずいもので、コストが厳しいならおすましにした方が良いよなどと余計な口をきいたから感謝してくれたとか?いや間違えましたと部屋までやってきたりして、まさかそれはないよねなどと話しながら部屋に戻ったら、数分もしないうちに電話が鳴った。

お勘定を間違えましたので、取りに伺います!前代未聞だ。黙って全額、支払ったけど、もちろん、ここはもう使わない。名前も知られた全国展開の中堅観光ホテルだが、貧して鈍したのかなあ。

17268歩

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人生は思い通りになるものじゃない。そんなことは分かっている。平和なときでさえ思い通りになどならない個人の人生なのに…。海外から一斉に引き揚げてきた大量の人たち、その一人一人に今となっては本当とは思えないような物語があるのだと思うと呆然となる。

元舅は満州鉄道の社員だったという。一面の野原、見渡す限りの草原を行くんですよ。酔うと、満州の広い荒野で列車を運転したときのことを話してくれた。もう一度走らせてみたい、もう一度元満州に行ってみたいと思っていたのかもしれない。自由に中国旅行が出来るようになる前に亡くなってしまったが。

元亭は1945年8月30日に生まれた。終戦からわずか15日だ。

お母さんも赤ん坊ももうダメだと思ったよ。とさらりと言ったことがある。着の身着のまま日本に逃げ帰る最中に生まれたのだ。

潮風に吹かれ、顔中、おできだらけになり、痩せこけてピーピー泣いていた。よく育ったものだ。よく帰れたものだ。そして、その後、だから、大事に大事に育てたと元姑の言葉が続くことが多かった。長男を生後すぐに満州で失っていたから、叱ることも出来なかったのだという。きちんと叱ることが出来ていたら、離婚せずに済んだだろうか。最初に挨拶に行ったとき、お舅さんは、玄関に両手をついて、ホントにこいつで良いんですか、我が儘に育ててしまってと繰り返したほどだったから。

父は大手商社のベトナム支社で働いていたという。現地で除隊になった後、お城のような支社長の家に秘書として住み込んでいたということで、戦争中だというのに、気楽に庭でゴルフをしている写真がある。支社長にはずいぶん可愛がられていたようだが、戦争末期に父の目の前で焼夷弾の直撃を頭に受け亡くなったのだと聞いた。

引き上げの際、財産を1個のルビーに替えて密かに持ち出そうとしたが、上船時に身体を調べ金目のものは強奪されていたから、近くにいた晴子さんという女性に託したのだが、それっきり、混乱で相手とはぐれたのだと、時々惜しそうに話していた。

いつか私もルビーが欲しいと父の鳩の血の色の石だという話を聞いて思っていたが、とうとう縁がなかった。ルビーが似合う女でもないし、ルビーが欲しいわけでもないが、ピジョンブラッドの赤い石を手のひらで転がしてみたかったなと思ったりする。そのルビーを偶然手に入れた晴子さんはどうなったのだろう。宝石は妄想を促す。

父は帰国後、解体された会社の上京要請にも応ぜず、九州の片田舎で何年かのんびりしていたようだ。支社長に心酔していたらしい父なりのけじめだったのかもしれない。ルビーと大企業、そのまま手にしていたら父はもっと幸せな人生が送れただろうか。私たち家族も父の相次ぐ倒産騒ぎに巻き込まれず、違った人生を送っていただろうか。

まあ、これはこれで良かったんだと思ったりもする。結局のところ、人は自分の人生しか生きられないのだから。

留用された日本人

料理写真屋ここのところ神楽坂詣でが続いている。古くて新しい街。パンフレット片手の若い人たちの波に混じって、私も路地裏をうろうろとする。面白い商売を発見。食べ物屋が密集している神楽坂ならではの食べ物写真スタジオとは。

まだ確定申告が終わっていないというのに、仕事が切れると家にじっとしていられない。といっても、最近は、「相棒」にはまっているので再放送のない日にしかでられない。因果なことだ。

ついでに言うとビデオは発売直後に買った高価なものから数年前の1万円という再生専門機(箱に入ったまま1度も使わず無駄にしてしまった)まで何台か買ったが、ようやく自分というものが分かった。録画はするが、見直さない。テープが増えるだけ。その場でどうしても見たいという物以外、無理して見ることはないというか面倒が先に立つ。これが分かるまで何年無駄にしたことやら。

マルセルさんが以前、書いていた神楽坂のフレンチに外堀少し前の日曜日に行ってみたが、ここいらは日曜日はダメよの店が多い。その日はフレンチならぬイタリアンに落ち着いたのだが、ここがイタリア人の巣のような場所で、まあ、声の大きいこと、うるさいこと。多数集まるととても落ち着いて食事が出来ない。おまけにウェーターが一度落としたフォークをそのままセットするのを見てしまったので、大してきれい好きではないが、落としたフォークをまあいいやと言うには日本人過ぎる私はここはもういいや。

日曜日も混んでいたが、平日の昼間も相当な人出だった。そのまままだ満開を保っていた桜を見に外堀に向かった。お堀沿いのレストランは長蛇の列だった。いつの間に行列の好きな人が増えたのだろう。時間に余裕がある人が多くなったのかもしれない。

夜桜お堀と鉄道と、線路横には菜の花が咲いて古典的な桜の図だ。にわかカメラマンで賑わっていた。もちろん、私もその一人。最近はすべて携帯で写すから碌なものではないが、分相応で居心地がよいような気もする。

よそから見れば、一斉に大勢が携帯を振りかざしているのはひどく滑稽でもあるし、怖くもあるのだが。

来年も桜が見られるのだろうかと毎年思う。日本中で大勢の人たちが同じことを考えているだろう。なぜ日本人はこうも桜に執着するのだろう。

P1000704実に不思議だと言いつつ、先週日曜日、風は冷たいが晴れて絶好のお花見日和に、娘をたたき起こし、とりあえず地下鉄に乗り、六義園だ、小石川植物園だと、議論の末、広いから混み具合が一番ましに思える新宿御苑に向かった。

まずはお弁当と伊勢丹の地下に向かったのだが、ラッシュの電車並のただならぬ混み具合に、脳天気に娘はみんなが新宿御苑に向かうはずがないあちこち行くのよというが、もしやと、嫌な予感がした。

嫌な予感は的中する。新宿御苑の新宿門はごった返していた。3、40分かけてようやく園内に入る。御苑の中は酒類禁止だ。だから人では少ないというのが娘の読みだったが、大量のアルコール類をぶら下げている輩が大勢いる。こっそりとビール1缶というのならまだ可愛げがあるが、山のように空き缶を積み上げているグループもあちこちに。酒類禁止なら、門のところで没収してしまえと物欲しげに隣のグループを見る。

園内はぎっしりと人の波だった。見渡す限り、避難民じゃあるまいに座り込んで、枯れた芝生の切れっ端と共にお弁当を口に運び、幸せに浸る。ご先祖さまのどこかで桜が血に流れ込んだに違いない。もちろん、ごそごそと私たちも仲間入りをする。ああ幸せ。

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後何回桜見物ができるか分かったものじゃないと、追い立てられる気持ちで、もちろん、何日かかけてだが、慌ただしくあちこち巡る。桜がなければ気持ちも波立たなくて済むのだが。

豊島園の庭の湯は露天風呂に入りながら桜見物が出来る極楽のようなところで、その帰りに豊島園の夜桜見物に。ここでも皆様、おおはしゃぎ。

 

 

こちらは雨の光が丘公園。公園に行こうで調べると上野公園に匹敵する桜の数なんと1100本。

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そして、酒盛りをしているグループの隣で積んであるのはホームレスの人の荷物。その足元には頭まですっぽりと寝袋を被ったホームレスとおぼしき人の姿が。

花だよ、桜だよ、春だよ、寝てる場合じゃないよ。立ち枯れるな。たちあがれ日本だよ。

 

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こちらは昨年、公園内の整備といって根を切られ、周囲をコンクリートで固められた桜。この並木では3本の桜が昨年の工事の後枯れた。

太い根を何本も切っているのが目に入り、工事の人に桜は根が浅いのに大丈夫かと聞いたら、ヨードチンキ!をつけたから大丈夫という答えだったのだが。

世の中に絶えて桜の無かりせば はるの心はのどけからまし

散ればこそいとど桜はめでたけれ 憂き世になにか久しかるべき

 

桜並木高齢になっても有能な人がいるのは確かだが、与謝野さんは9月のG20も医師からの助言で休んだほど病弱だったのではなかっただろうか。鳩山邦男さんの日本で一番頭のいい人というお墨付きがあったとしても、病弱+高齢ということになると日本丸を託すのは少々危ないと思えてしまう。

病弱で、高齢であるからこそ、このままではいけないという危機感に追い立てられたのかもしれない。腹をくくり、体の不安を押さえ込む覚悟をしたのかもしれないとも思う。このまま民主党の政権が続くと本当に日本が壊されてしまうかもしれないと私でさえ、胃が痛くなる思いなのだから。

とはいえ、すべてに時機がある。どんな逸材であっても、天の時機にぴたりとはまらなければどうにもならない。彼の時機はいつなのか、まだこれからなのだろうか。石橋を叩きすぎたのではないでしょうね。

一緒に組む平沼さんもあまり丈夫ではなさそうだ。脳梗塞を起こしたとのことだが、激務に耐えられるのだろうか。再発の恐れはないのだろうか。何より、二人はウマが合うのだろうか。もちろん、こちらの勝手な想像だが、外見からして、どうも合うとは思えないのだが。

さらに、与謝野さんは確か自分の選挙区で落ちて比例で拾われたはずなので、自民党に投票した人たちの票で生き延びたわけでそこいらを、票の重みを政治家としてどう考えるのか、ちょっと倫理的にどうかなと思わざるを得ない。日本の将来と票の重みを秤にかけて、これくらい仕方がないと判断したのだろうか。

倫理を軽く考える人が特に昨今、非常に多いが、トップが腐るとすべてが腐る。これはもう確実だ。私だって、今頃せっせと昨年1年分のレシートを前に1ヶ月遅れの納税申告の用意をしているところだが、釈然としない気分が残る。脱税しても後から納めりゃいいだろう、立件されなきゃすべてちゃらという態度じゃあ、正直者が馬鹿を見るというものだ。国が壊れていくのはこういうことからではないだろうか。目的のためには、手段はどうでも良い、はずはない。

c5660a5e.jpg多分、二十年近くも前になるだろうか。日生劇場でオペラ座の怪人を娘たちと一緒に見て、あまりの面白さに母も連れて行こうと予約を取ろうとして、2度ほど失敗し、それ以来すっかりご無沙汰だった、怪人。映画も見逃していたのだが、特別上映とやらを見つけたので最終日に豊島園ユナイティッド・シネマまで出かけていった。

無残に壊れて埃と蜘蛛の巣にまみれたシャンデリアがきらめきながらさあっと上がっていくにつれ、オペラ座の内部が昔に戻って色彩を取り戻していく。もうこの最初の入り口から胸が苦しくなるほど、息を詰めて入り込んでしまった。

あの音楽。あの歌声。素晴らしい迫力。オペラ座の内部。もうたまりません。もう少し早く知っていれば、何度か通ったのに…怪人の恐ろしさ、哀れさ、そして狂気。クリスティーヌの愛が最後に溶かす怪人の心。残念ながらあの素晴らしく面白いと思った四季のオペラ座の怪人よりも何段か上と言わざるを得ないかも。映画であるだけ時間も空間も自由に飛び越えられるのだからしょうがないといえばしょうがないけど。

何度かこの話は映画化されているらしいが私が見たのは2004年版で、ミュージカルを下敷きにした版だ。もう文句のつけようのない素晴らしい映画だった。

このオペラ座の内部は数年前に内部を見学したことがある。信じられないことにデジカメが電池切れを起こしてパリの写真はほとんどないので悔しいが、この古いオペラ座の中は今でも天井絵といい、細部の彫刻といい、実に素晴らしかった。見学したときにはバレーのリハーサルをしていて、カーテンがかかった入り口の小さな隙間から覗いただけで客席に入れなかったのが何とも残念無念だったが。

伝説が生まれるのも当然のような迷路じみた薄暗い長い廊下や黒光りした手すりのある巨大な建物で、スタッフに本当に地下には湖があるのかとお決まりの質問をすると、単なる伝説ですよと、お決まりの返事が返ってきた。実は本当にあったらしいのだが…怪人もいたのかも…

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