途中で何回かひっくり返ったり、母の幻覚に悩まされたりしながら、ようやく父の納骨にこぎ着けた。

それも日本を縦断した暴風雨の日に。おまけに私はほぼ一週間流動食を続けた直後で、みんなが美味しそうに飲むワインも日本酒も、はたまた食事も横目で眺めてまずーいスープをすするという有様。ほんと、色々あるねえ。

多分、小学5年生頃だったと思う。ウチは貧乏でお墓も買えないという悲しい夢を見て泣きながら目が覚め、ウチにはお墓がないの?買ってと騒いだ記憶がある。家の前の並木道に夕日が落ちかけていて木々の梢も道路も赤く染まった中で縄跳びをしているのだが、ウチにはお墓がないんだと何とも言えず寂しい気持ちでポッタンポッタンと1人で跳んでいる夢のシーンを今も鮮やかに思い出す。私立中学受験を控え、父はこの世の春で意気軒昂だったのに何故そんな夢を見たのか不思議なのだが、正しく正夢だった。その数年後には父の会社は倒産し、その次に手を出した事業にも失敗し、嵐に揉まれ、お墓どころか借金取りに追われる生活に。

ようやく生活が落ちついた頃、父は富士の裾野にお墓を建てた。桜の名所だ、素晴らしいところだと、春になると一緒に行こうを毎年繰り返していた。仕方なく妹と2回空っぽのお墓見物にはるばる出かけたことはあったが、父には遠いよ、もう行かない。第一、お父さんみたいにうるさい人と一緒にお墓なんて入らないからねと冷たく繰り返していたのだ。生きている間は何とでも憎まれ口がきけるのだが、今となっては暴風雨の日に納骨なんて全くなんなの、と怒ることもできないではないか。

先週初めに事務所に聞くとまだ1分咲きとのことだったから、父があんなに自慢していたのに残念、ここ数日暖かく東京では既に散っているのだから3分咲きくらいにはなっているだろうと一縷の期待を胸にやってきたら、遠くからピンクの雲が見えた。まだ無理なはずの桜は見事、満開の豪華な桜並木となって迎えてくれた。暴風雨のはずだったが濡れもせず、無事に納骨を済ませ、総勢赤ん坊を含め18人で近くのホテルに泊まり、翌日は富士急ハイランドで子供の乗り物やメリーゴーランドに乗ることができた。遊びの達人だった父のおかげかもしれない。お父さん、ありがとう。