あんなこと、こんなこと。どんなこと?

自分の言葉をしゃべりたくなった翻訳者のきままな独り言:多様だから価値がある。反論、異論大歓迎

2014年12月

P1020239いとしの花と2ひきのネコ」さんの「面倒だから、しよう」というブログ記事にコメントを残した。

面倒なことは、面倒だから、ぎりぎりまでしませんw。そうすれば作業のスピードが上がりますなどという馬鹿げたコメントなのだが、21日つまり昨日の朝のことだった。

頭の上の神様だかご先祖様だか、どなたか知らないが、早速、年も押し迫っているのに何もせずにのそのそしているワタシに活を入れに来た。

ガスコンロが点火しなくなった。赤い警告ランプが付いていたのは知っている。電池切れのサイン。で、ごそごそ探し回り電池を交換した。カチカチと音がし、ガスが点った。が手を離すとガスが消える。ウン?何度やってもガスが消える。おかしい。説明書を探し出し、隅々まで丁寧に読んだが該当しない。両方とも同じ症状ってことは器具の不具合ではないに違いない。

鉄のフライパンに薄く油を塗って火にかけていたのを思い出した。そういえば揚げ物のような臭いがしていた。禁断のトンカツをトースターで焼いた後だったので気にもしていなかった。そうか、消したと思ったが消してなく、マイコンメーターが作動したのに違いない。いよいよ来たか、自分の頭にがっかりするがそうは言っていられない。

今度はガスの説明書を探し出し、マイコンメーターの復帰に励んだ。3回試したが改善しない。

一応、器具ではないことを確認しようとガス器具会社に電話をしたが日曜日でも対応とあったが誰も出ない。次いで、ガス漏れではないので気が引けたが東京ガスに問い合わせの電話をかけたら、では1、2時間のうちに点検に行きますというではないか。

慌ててレンジをこすり、洗い物をし、そこいらを整理整頓。ずっとやらねばと思っていたが面倒だったのでやらなかったことが一気に片付いた。玄関に積み上げていた2年分の季刊誌や月刊誌も一掃した。やればできるじゃんw。

ガスはマイコンメーターが作動したせいではなくセンサーが壊れたせいだった。片方のセンサーが壊れると別の方も使えなくなる言う。ガス会社には気の毒だったがおかげさまで助かった。日本にいて良かったw。

速攻、アマゾンにガスコンロを注文した。普通に注文したのにお急ぎ便で今日到着する。で、朝からガスコンロを取り外し、ガス台の下や周囲の掃除に取りかかった。まだ買ったばかりだったのにねと娘が言う。私もこのコンロは3年くらいしか持たなかったなと思いながら、調べてみるともう丸6年経っていたことが分かった。色々あったからなあ。

ついでになぜクリックしただけなのにお急ぎ便で来るのか、最近随分注文はしているからなのか、不思議だったので調べると、プライム会員になっていたことが判明。年会費が4000円近くする。そんなものに入っていたのか。

前回は大晦日に壊れたと思い)、今回も年の瀬に壊れた。前回は磨いた後だったのが、今回は形ばかりの掃除で良かった良かったと思う私って…。でもこのドタバタのおかげで、きれいなコンロがやってくるし、周辺もきれいになるし、私の頭のせいではなくセンサーのせいだと分かったし、プライム会員になっていたことが判明したし。どなたか知らないが、ありがとさん。

総選挙が終わった。翌日に母のところを訪ねたら、選挙、面白かったねと言った。

確かに。選挙はドラマだ。それぞれの候補者にドラマがある。渡辺喜美さんなど、一気に得意の絶頂から無職に突き落とされ、少し前の傲慢を思い出して、今頃、後悔に身をよじるような思いをしているのではと気の毒になる。栄枯盛衰、後悔先に立たず。でも挫折は良いことだ。天狗の鼻を折られた後が勝負なのだし、せいぜい後悔して、声を振り絞っていた奥さんのためにも頑張ることだ。

いつだって一寸先には穴が開いている。注文が殺到して、あちこちからちやほやされていると穴に落ちる。忙しく、どうしても雑になり、頑張っていても頑張りきれない。何の前触れもなく仕事が来なくなる。私のことだ。未来がみえないって素晴らしい贈り物だと時々思うが、もう少し仕事を減らして、ゆっくり丁寧にやれば良かったと思うが、受注できず断っているうちに全く縁が切れたところもいくつかあるのだから、何事も一筋縄ではいかない。

やり直せる後悔なら良いが、後悔の相手が亡くなっていればどうすることもできない。折に触れては後悔してしまうのだが、しても仕方がない後悔をまた繰り返している。

2年前の総選挙の日、一度も投票を欠かしたことがない両親が投票に連れて行ってくれと頼んだのに仕事が忙しく、代わりに娘に頼んだ。2人は娘夫婦に遠慮したのだろう、それなら行かないと断った。夕方、仕事の合間に散歩がてら両親宅近くの投票所の様子を見に行った。晴れた日で夕焼けが始まっていた。下から両親宅のベランダを見上げながら電話した。今なら連れて行けるよ。母はもう良いよと言った。念を押したが、支度に30分はたっぷりかかるし、車椅子で2往復することになるので強いては言わなかった。

その夜、多分、選挙のニュースでも見ながら2人で中華の出前を取り、ワインを飲んだのだろう。その夜中、父は激しく吐き、大量に誤嚥、入院し、私は1人、誰もいない病院の待合室で、朝まで選挙速報を見ていた。維新の躍進で橋本さんが意気軒昂だった。3週間ほど後に父は亡くなった。

その日、父はきれいだと夕焼けをベランダから長く見ていたというのが嬉しい。最後に禁止されていたお酒を母と2人で楽しみ、好きな物を食べられたのは嬉しい。94歳、父も限界だった、もう寿命だったんだと思う。思おうとするが、あのとき選挙に連れて行っていれば、私が見上げたとき父がベランダにいれば、母から吐いたと聞いたときすぐ駆けつけていれば、一度は着替えて玄関まで行ったのにたいしたことはないだろうと高をくくってまた布団に戻らなければと後悔の種は尽きない。

今頃、まだ生きていれば、きっと、毎日喧嘩していたに違いない。毎日両親宅と家を往復して、忙しい大変大変と繰り返していたに違いない。2人とも痴呆も進み、頑固さはまし、入退院を繰り返し、でも自宅にいると騒ぎ立て、ああ、大変だっただろうなあ。でもやはり時々父に会いたいと思うのだ。父が手を叩いて、やあさなえが来たぞと喜ぶ声が聞こえる。ホント、後悔先に立たずだ。でも、まだそちらには行く気はないからね、お父さん。

P1020237小学校の3、4年生の頃だったと思う。

トイレと言うよりご不浄とかお便所という名前がぴったりな、男子用の便器+その横の個室に和式の便器が設置されているその頃の標準的トイレだった。

ある日、便器の横の板張りの床の上に、水たまりを見つけた。
妹がこぼしたものだ。

母を手伝おうと、その上に便所紙とか落とし紙とか確か呼んでいた長方形の紙を何枚か置いて覆った。
良いことをしたと思った。

すぐ母に呼ばれた。
トイレの横の紙はあなたなの?

褒めて貰えるんだとにっこり認めた瞬間、汚いじゃないの、と強い勢いで叱られた。さっさと拭いて紙は下に落としなさい。

拭くという発想が全くなかった。全く考えつかなかったのだ。でも、言い訳は聞いて貰えなかった。

91歳になった母の洗濯物をしていたら、心が冷たく冷えて縮んで堅くなった、あのときの心許ない悲しさをなぜだか突然、思い出した。

大好きだった母を嫌いになった瞬間だった。馬鹿だねえ。

P10203628時20分発はくたか7号で北陸新幹線歓迎ムードの金沢を出発、直江津、長野経由で小布施を目指す。

小布施は下の娘と一緒に旅行して素晴らしい宿に泊まったのだが、リンクを付けようとしても見つからない。調べたら2010年の10月のことだった。その後様々な出来事が立て続けに起こり、とうとう書く時間もないままだったらしい。その後の日々を振り返るとよくまあ生き延びたものだ。未来がみえないって、素敵。一つ一つ片付けていけばいつかは光が見えてくる。母も、歩くことはできなくなっているが、入所時より5キロ太り、すっかり元の母に戻っている。

その時の岩松院の天井画、そこからリンゴ畑の横を歩いてたどり着いた紅葉で染まった山の稜線が見渡せる温泉にもう一度行こう。前回買い損なって後悔した長野電鉄の長野駅で販売している美味しそうな青物やリンゴも買わねば。

P1020363長野駅は春に引き続きまだ工事中だった。春よりさらにひどいことになっていて人混みの中をぐるぐると回わりよく分からないビルの中を通って長野電鉄にたどり着く頃には小布施に行く気が失せてしまっていた。第一、3時間程度の滞在でどたばた余裕のない旅は北斎様に失礼だ。改札で回れ右をして再び汗をかきながら急いで新幹線乗り場へ。前回の旅友が熱心に勧めていた軽井沢の千住博美術館に行くことにした。

軽井沢のアウトレットから長野方向へ少し行ったところだと思っていたが、念のため観光案内所に聞いてみると遠い。おまけにコミュニティバスが軽井沢から出ているが出たばかりで日に数本なので当分来ない。信濃鉄道に乗り換え中軽井沢の駅から3、40分ほど歩く方法もあるという。もちろん歩きますとも。

中軽井沢駅の観光案内所で道を聞くと、ここでもコミュニティバスが出たばかりと言われる。明らかに軽井沢で乗り損なったバスが経由していたのだ。ぼやぼやしている間に2度同じバスに乗り損なったことになる。25分から30分ほど歩くという。聞く度に近くなるのねw。実際には20分ほどで着いた。途中、歩く人には出会わなかった。普段、車かバスしか使わない人には遠く感じられるのだろう。

P1020368千住博美術館はひどくユニークな美術館だった。設計者はサナーの西沢立衛。昨年訪れた十和田市現代美術館や金沢21世紀美術館の設計者だ。十和田の現代美術館はガラスを多用し、内部がぐるぐる迷路のようだったが、こちらはそれに比べるとすっきりしている。土地の傾斜をそのまま生かしてあって、床が平らではなく、間に樹木が生い茂るガラスで囲まれた一角がいくつか。その間を自然に回遊して絵画を見るようになっている。面白い。ゆっくりと鑑賞でき、落ちつく。

でも軽井沢という土地柄か、良くできた商業施設のような感じがしないでもない。彼の絵を見ると売り物の絵という気分がするのだが、なぜだろう。趣向を凝らせてあるためなのだろうか。楽しい美術館なのは確かだが、何度も訪れたいかというと、あくまで私はだが、多分、もう行かないだろうな。

15,326歩 写真はクリックすると大きくなります。

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