あんなこと、こんなこと。どんなこと?

自分の言葉をしゃべりたくなった翻訳者のきままな独り言:多様だから価値がある。反論、異論大歓迎

2015年10月

P1020877このお花、マイクロ胡蝶蘭と言うらしい。有り難いことに、とんと子供たち以外から花は届かなくなったが、株主優待で花がやってきた。

こんな小さな胡蝶蘭があるなんて初耳だと思っていたら、この直後にK子と出かけた先でも多数見かけた。流行なのだろうか。大きな胡蝶蘭は鉢が重くてもてあますが、あまり縁はないが、これなら私でも持ち上げられるw。

久しぶりに全力投球でしゃかりきになって仕事をした。夜11時まで、翌朝は4時起き5時から仕事にかかりお昼過ぎまで。やれやれ、でも根性も気力もなくなったと思っていたのがやれたので少々の自信を回復した。ワタシャ鬱だと周りに騒いでうるさい鬱と馬鹿にされていたのだが元気になった。でもこういう頑張りって後に響くのよね。

翌日が孫の誕生日。Sちゃんチに娘と2人でプレゼントを夕方もって行くはずが、昼過ぎに電話で、こちらに来るとSちゃんが言い張った。どうやら子供3人のハロウィーンの衣装作り等で部屋の中が大変なことになっているらしい。カビが生えそうなくらいの惨状だという。

こっちだって大変だい。きれい好きの生ちゃんとは程度が違う。カビが生えそうなのはこっちの方なのだが、仕方ない。久しぶりの労働でぐずぐずの体をなだめてちびっ子シフトに部屋を片付け、喘息児がいるので念入りに掃除機をかけ、疲れた〜となった頃、3人を引き連れてSちゃんがやってきた。仕事を終えた下の娘も合流し、Uちゃんの7歳の誕生日に感慨深い。この子のおかげで息子はちゃんとした人間になれました。大げさw。生まれてきてくれてありがとう、Uちゃん。小さな子供たちはやっぱり可愛いね、楽しいね。でも、疲れた〜。

そして、1日おいた早朝、まだ疲れを引きずったまま、みかんやお菓子持参で久しぶりのK子との日帰り旅に出発した。

今だから分かる。この後どうなるのか。でもその時は分からないのよね。ま、未来が見えないというのは素晴らしい幸運なんだけど。だから見えないまま楽しめる。見えたら一生。鬱々とどきどきの連続だ。

その2へ続く

P1020856以前、工場見学が好きだと書いたことがあった。以来、株価が倍に上がっても半値以下に下がっても手放すことなく、せっせと株主招待の応募葉書を書き続け(繊維会社の製品等の株主説明会には当選したが残念ながら工場じゃなかった)、相も変わらず、製鉄会社もその後買った重電会社も落選を続けてきた。くじ運って、男運と同じく、全くないのだ。

しかし、石の上にも三年なのに10年ほども根気よく応募し続けた努力が見事に実り(他のことにもっと力を注げばと言う外野の声も耳には届かずw)、製鉄所を見に行ってきた。

良いですねえ〜。錆びた鉄くずの山さえ美しい。支給された、ヘルメットに防塵眼鏡、手袋に上着を身につけ、それに説明用のトランシーバーを耳に装着。案内書にスカート、サンダル不可、足下悪しと注意書きのあった巨大な工場の中に長い階段を上って入ると騒音と熱気が押し寄せてきた。巨大な赤い塊が、コンベアの上をくるくると回るうちに長い赤い帯となる。巨大な装置の中に入るたびに大量の水が噴射され、説明の声さえ良く聞こえないほどのすさまじい音を立てて水蒸気が立ち上る。すっかり見惚れてしまった。

工場内の大量の水の、正確には忘れたが、ほとんどすべてが回収されて再利用されている。電気も当然なのだが工場内で作りだしていて、鉄の塊のような、従来型の工場と見えたのが、エコに徹した工場だった。さすが、日本!P1020864

で、私は製鉄所は溶鉱炉で鉄がぐつぐつと煮え立ち、火花が散り、どろどろと溶けた鉄が出てくるところだと思い描いていたのに、見学お仕舞いと、バスが最初の説明所に戻り、えっ、溶鉱炉はまだ見てないよと、あっけにとられて聞いてみたら、そのどろどろが入っている物は高炉という、途中でバスから降りて遠くに赤い火が見えたところで、工場の屋根から高く100メートルほども突き出ているその塔自体だというではないか。サービスして、入り口を開けてくれているからと言われて遠く、高い所に火が見えたのだが、それが高炉の口だったとは。とんでもなく大きいのね。私が思い描いていた物はどうやら工場の人が鍋と呼んでいた転炉というものらしい。

訳も分からずただ見ただけだったけど実に面白かった。でもどろどろが見たかったなあ。指定区域以外写真禁止で工場内の写真は撮れなかったのは残念だが仕方ない。

非常な高倍率のようだし、2度目はないだろうが、しつこく葉書を出し続け、今度は千葉工場当選を目指すぞ。エイエイオー!一緒に行ってくれた友人に感謝だ。

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P1020834「選び選ばれ歳を取り」では書きたいことまで到達せず、横道に少々それて終わってしまった、残念ながら集中力が低下しているという医者の言葉は本当のようだ。

集中力より、問題は気力なのだが、これは父の死をまだ引きずっているせいなのか、その頃のドタバタの疲れがまだ残っているからなのか、単に老化なのだろうか。

危ない危ない。また横道にそれていく所だった。戻ろう。

ここ数年、友達に会う回数がめっきり減った。友達の数もめっきり減った。

亡くなったということではない。両親と仕事、子供や孫で大忙しの毎日が数年続くうちに疎遠になったのだ。いや、エネルギーが切れたのだ。鬱かも知れない。そういうと騒々しい鬱だと笑われるけど。

30代の働き盛りには、毎日仲間との長電話を欠かさなかったのに、様々な友人たちと連れだって動いていたというのに、いつの間にか一人で行動するようになり、進む道が分かれていき、折に触れどうしているだろうと懐かしく思うが、もう話す言葉が違っているのに気付き愕然とする。

会わないことを選び、選ばれ、一緒に連れ立って出かける仲間の輪がほどけていった。

友人たちは翻訳者仲間を除くとほぼ全員が専業主婦だったので、フリーランスという一種孤独な仕事を続けてきた人間とは、考え方も言葉も長い間に当然変化しているし、一人で生きる厳しさを知らない人たちとは少数の例外を除き理解し合えないのかもしれない。要するに、気がつけば住む世界が異なっていたということだ。

選び、選ばれ、友人として長年つきあってきた人たちなのだが、選ばず、選ばれずに変わっていく。自分も変われば相手も変わる。クラス会のお誘いに、えー、でもを繰り返し、煮え切らないわね、しゃんとして出てきなさいよなどと言われるようなぐずぐず状態。これまではおいでよーと声をかける役回りだったのに。でも、本当に会いたい人たちなのか、行って楽しめるのかなどとつい思う私がいる。

淋しくないわけがない。でも自分でありたい。子供たちも独立し、これからのウン十年か、どうやって過ごしていくのだろう。何を目標に進めばいいのだろう。しゃにむに進んできた人生の一本道、突然前の見えない場所に立っている。目標がなくとも頭を上げて歩くしかないのだけど。

これから新しい道が目の前に開けていくと考えよう。新しい友人を選び、また選んで貰える機会はあるのだと考えよう。結局、死ぬまで生きるのだし、否応なくこれからもまだまだ修行の旅は続くようなのだから。

どなたかの本に人生は何かを選び、誰かに選ばれの連続だと書いてあった。

まさしく。

選ばなかった無数の選択肢を考えると歯がみをしたくなる。確かに幸運の女神には前髪しかなかった。可哀想な女神は後ろが禿げているのねと、最近、やたらに抜け毛が気になりだしたワタシ。

昔、娘の高校入学問題で頭の半分が盛大に禿げたことがあった。

大枚をはたいてカツラを買った。

両親のところに泊まりに行くと、母がなぜカツラをかぶっているのかとしつこく問い詰める。言いたくなかったが根負けして巨大なハゲが出現しているというと、絶対に笑わないから、外したら。その方が気分が良いわよと何度も繰り返すので、仕方なくカツラを外した。

大笑いされた。けろりと、だって、おかしいんだもの。

禿げていた父は、悲痛な声で、可哀想になあ。

別の母を選ぶという選択肢はなかったけど、人生最初の最大の選択肢は誰の子供になるか、どの国のどの地方に生まれるかだろうなあ。

昨夜、ベランダの引き戸を開けようとしたら、何か茶色いモノが引っかかった。

蛾。それも巨大な、あまり見たことのない蛾。

羽を引き込まれ、ぷるぷるふるわせ、ガラス戸の間に入り込んでしまった。
1枚の外には網戸で、網戸でない方、2枚重なったガラスの中だ。外に逃がすには開けるしかないが、開けると外ではなく、家の中に入ることになる。

巨大な蛾というのは非常に不気味だ。蛇が怖いのは遠い祖先の記憶だとどこかで読んだ覚えがあるが、蛾が怖いのはなぜだろう。これがゴキブリなら思案するまでもなく、例え鳥肌が立ち、飛び跳ねることになっても、かなり勇敢に殺虫剤を噴射するのだが、ここまで大きいと殺すのも怖い。

名案は浮かばず、戸を開けたまま、何とか自力で脱出することを願って、カーテンを閉め、頭からも閉め出して寝た…はずだが、4時頃目が覚めた。今頃、蛾はどうしているだろうか。生きているだろうか。耳を澄ますが、隣のリビングから気配もしない。

P1020837明るくなってそっと覗くと、ぺしゃんこになっていた。殺生してしまったか。どうやって始末しよう。毒蛾かも知れない。後で調べることにして、いないふりをして食事をし、洗濯をし、干す段になって困った。目に入る。戸を寄せなければベランダに出られない。

そろそろと2枚一緒に戸を寄せると、動いた。生きている。やれやれ。戸をぎりぎり端に寄せ、カーテンで出入り口をふさぎ、戸を開き、カーテンでくるんで外に追い出した。

ぱあっと飛んでいった。

ご機嫌になって、ネットで図鑑を調べたら、多分、セスジスズメ。食欲旺盛な害虫だから、見つけ次第駆除することとあった…。

怖いもの見たさの皆様にお裾分けw。

P1020830写真は少し前に大江戸骨董市で手に入れたモノ。昔は毎回のように一人で、また娘と一緒に通っていたが、もはや買っても、しまう場所もなく、店もその中身も変わったので足が遠のいていた。随分久しぶりだった。

近頃は、誘っても、私よりダンナを選ぶ娘が、珍しく一緒に練馬区立美術館でのシスレー展と骨董市を回ってくれた。

昔はつきあって上げていたのに、最近ではつきあって頂くだ。いつから力関係が逆転したのだろう。遠い昔…。

シスレーは保有数が日本全国で40点ほどということで、どこででも大抵、1点、2点しか見ることがない画家だが、20点を展示していた。ほう、よくぞ20点も区立美術館で頑張って集めたねと言って上げたい(なぜか上から目線だねえ)。税金で運営しているから開館30周年記念というが海外からはさすがに集められなかったのだろう。でもエライ。

だからだけど、見たことのある作品が多かった。ブリヂストンや三菱一号館などの有力美術館はやはり良い絵を持っている。美術品も基本、金の力がある所が勝つのだなあ…。まあ、金の力がありそうだけど、良い作品をうまく手に入れられない所もあるし反対もあるのだから面白いのだが…。

昨日まで、日経新聞朝刊で10回シリーズ(多分)で変形したり、割れていたりする、魅力的な陶器を紹介していたのだが、最終回が唐津だった。大江戸骨董市で購入したのも古い唐津で、口の周りを黒く縁取った変形の杯。といってもろくろをひいていて失敗してぐにゃりとなったような形のもの。しかもかなり太く金継ぎしてある。

P1020832何かのゴミだか木片だかも杯の中に釉薬に混じって焼け付いている。おかしな杯だ。でも美しいのよね。なぜ美しいと感じるのか、不思議なのだが、仕方がない。申し訳程度の高台もあるが銘はない。この裏側がまた一段と美しい。変な私。で、このおかしな杯もどきを私の予算からすると少々高いのだが、買ってしまった。スプーンを乗っけたり、お酒を注いでなめたりして楽しんでいる。

ペルシャのグラスというちょっと怪しげな小振りなモノも。こちらは。奥さん、交渉上手だねと言われながら、安く入手。3点購入したが、みなサイズもくびれ方も違うし、底には制作時のでこぼこまで残っている。日本ではここまでばらばらなモノは作らないだろうけど、これが面白い。オンザロックに活躍中。

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P1000438久しぶりに美容院に行った。

我ながら凄いことになっているとはかなり前から思っていたのだが、数えたら前回のカットから5ヶ月経っていた。

ここのところ美容院についてない。

少々不満がありながらも数年通っていた美容師さんが産休に入り、その間、その美容院の別の美容師さんに部分パーマをかけて貰ったら、見習いの人がロッドを巻き、あらぬ方向に。その時はブローでちゃんとなっていたのだが、髪を洗うとあら不思議…

で、昔担当だった人が移った別の美容院へ。そこは電気ではなく薬剤。きつい薬を使うが、トリートメントをちゃんとするから大丈夫、で、かけた後でトリートメントはちゃんとした方がよい。レレレ。で、有料。一言多いくせに何も文句は言えない小心者。大枚かけたのに、ぎょっとするほど髪が切れ、抜け、美容院探しが続き、新たな所に。

前回、強く癖の残ったパーマの影響部分を切れるだけ切って、もう少し伸ばしてからちゃんとするという話だったのだが。

はねた髪の毛もまあいいやとそのまま伸び放題に伸びて久しぶりに行った前回の美容師さん。頼もしい口ぶりだったのに、何だか右と左と毛の長さが少々違う。短くても大丈夫と言ったのに、耳下まで長さがあり全く似合わない。おまけに前回と別の方向にはねてる。ああ、不満だ。

髪の毛を耳に挟み、ピンで留め、考えた。

これは美容師の腕が悪いと言うより、私の顔が悪いのではないだろうか。素材が悪ければ料理だって美味しくなれない。ムムム

久しぶりに鏡を見ると本人がぎょっとするのだからこの腕の悪さは、いや素材の悪さは何ともしようがないのかも。

私が行く所はどういうわけかどこも客は若者ばかりだ。中高年向けの美容院ってどこかにあるのだろうか…。

いや、ないから、母たちのように、おばさんらしいパーマ以外はみんなざっくり一律に短髪にしてしまうのかもなぁ…。

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