あんなこと、こんなこと。どんなこと?

自分の言葉をしゃべりたくなった翻訳者のきままな独り言:多様だから価値がある。反論、異論大歓迎

2017年01月

IMG_2235久しぶりに禁断の天ぷらを娘夫婦にご馳走になったり(デパートの天ぷらは嫌と言ったら天ぷらメインの割烹へ。東京では無理なはずのガス海老まででてきて最高、すこぶる満足)、画廊に行ったり、各県のパイロットショップを巡ったり、楽しいことも沢山あったけど、仕事も雪崩のように降ってきてトラブルも同時に発生し、施設の母がどうも移動させられそうな妖しい雰囲気に胃が痛くなったりした忙しい日々。

息子のところの真ん中の6歳児が目の手術で2泊3日の入院。それに伴い子守も発生。ああ忙しい。前日、お守り代わりに丁度手に握れるサイズのウルトラマン2体を持って行き、これを握って頑張るんだよと言ったら、息子が何と言う無神経、不安で怖がっているのに思い出させるなんてと怒りよった。途中で出会ったので合流してみんな一緒にスーパーに行ったのだがずっとプンスカ怒ってる。小さい子供だってきちんと説明したら分かるのに。痛いかも知れないけど、すぐに痛みはなくなること、それで目が良くなることを説明すべきだ、何が起こるか分からない方が不安が強いのが分からないのか…。もちろんヤツには耳などない。

今日、農家に野菜を買いに行った。見覚えのある連中とばったり出会ったw。お嫁さんのSちゃんと一番上と真ん中。真ん中の6歳児の片目は真っ赤に充血しているが痛くはなさそうだ。今のところ成功したようだが、今度は一番下がインフルエンザに罹ったとかで全員マスク姿になっている。遅れて息子が一番下を連れてやってきた。熱が下がっていても家から出したら他にうつすからすぐ連れて帰りなさいと、当然、言うべきことは言う。これも当然だが、息子はムッとして、まだ反省しないのかとエラソーに攻撃に出る。反省することなどないと私。ガンバレワタシw。2倍の体重の巨大な息子にだって負けないぞ。息子はあなたの子供じゃないと伝家の宝刀を抜くがそれがどうした私の孫だ。だいたい子供は社会に育ててもらうものだ。多くの目に見守られて育っていかねば。

子供には絶対に嘘をついてはいけない。痛くないから大丈夫だからと病院に連れて行くと、当然、痛くて嫌な思いをするのだから、お父さん、嘘ついたと思うだろう。裏切られたと思うだろう。信頼が崩れると後が怖い。細かな詳細や脅かす必要はもちろん無いが、どうしてそうすることが必要なのか、一時的な不快があってもそれはその子のためでその先大丈夫、治ると言う希望を伝えよく説明するべきだ。十分に時間をかけて説明すれば小さな子も分かる。私はそうしてきたし子供たちも理解してくれた。

息子は聞く耳などもちろん持たずにプンプンしながら帰って行った。ふん、私が死んでからマミーに優しくしなかったと泣いて後悔しても知らんからなと心の中で悪態をつく。

子供と約束したことは絶対に守る覚悟でやってきたのだが、だがしかし、私自身は時間をかけて説明しただろうか。離婚の際もその後も、息子は何一つ質問しなかったが大荒れに荒れ、後始末に走り回った。困り果てた。

大学の卒業論文、試験、家の売却、そして帰国の引っ越しも重なり、寝る時間があったのか分からないほど、記憶が飛ぶほどの忙しさの中、息子に、思春期に入りかけた息子に、きちんと説明する時間も精神的な余裕もなかった。そのことを今頃思い出した。でも思い返してもとてもあの頃の私には出来なかっただろうと思うが、後悔は残る。

ヤツはまだ、自分が大好きだった父親を許さなかった私が悪いと思っているのだろうか。治らない傷もあるのかもしれない、と反省するが、そうであっても、本当の怒りを口に出来ないヤツを怒らせることに意義があるかもしれない。生きている限りまた対戦相手を務めてやろうじゃないか。なんて好戦的なと娘たちは呆れるだろうが、こんな経験はしないで私の気持ちなど理解できないままでいることを幸せと呼ぶんだよ。




IMG_21402週間ほど前、カナダの友人からメールが来た。息子夫婦の友人が日本女性と結婚することになり式に参列するので2人が日本に行く。近ければ寄らせたいから住所を教えてというものだった。

部屋を用意してあるから引っ越してこいと何度か言ってくれた世話好きの姉みたいな人なのだが、こちらは寝込んでいたし、第一、急に家に来られても困る。ひとり暮らしだから空いている部屋なら2部屋あるが、物があふれていて誰がどう見ても人様を泊められるような状態じゃない。それどころか現状を聞いたらドナに怒られること必至だ。昔、パティオから覗いて掃除機の横でソファーに寝転んで本を読みふけってるのを見つけ、いきなりガラスドアを開け、"Lazy girl, wake up!"などと驚かされたこともあった。懐かしいなあ。もはやあんな風に私を叱ってくれる人などいなくなってしまった。でもそれとこれとは別だw。

多分、彼女は東京というのがどれほど大きな都市なのか知らないだろう。40年以上会ってない母親の友人にいきなり会いに行けと言われているマイクだって良い迷惑だ。

東京は大きな都市で1000万人以上が暮らしていて、交通網だって複雑、私がマイクたちに会いに行く方が簡単だしホテルに会いに行くとメールしたら、マイクとアン夫妻とのやりとり付きの長いチェーンメールを送ってきた。結局、浜松で結婚式に参列すると判明、カナダから友人たちと集団で「グランドツアー」で回るから自由行動が出来ないみたいとしゅんとしていた。随分興奮したのだろうね。ひとりで盛り上がって騒いで、たしなめられた、悲しいけどすっかりお婆ちゃんになった様子が透けて見える。

マイク夫婦の日程表も送られてきた。ガイドを付け2週間ほどかけて東京、鎌倉、京都、奈良、神戸、広島、宮島そして浜松を回る豪華な旅だ。若くてハンサムな大学生だったが事業にも成功しているのだろう。毎日、日程表を眺めてこちらも旅気分を楽しませて貰った。

2人から別々にどんなに旅行を楽しんでいるか日本も日本人も最高だとドナにもCCを入れたメールがきた。優しい気配りの出来る大人に育ったね。18歳で結婚し、若くして夫を亡くし、頑張って働き、きちんと子供4人を育てあげたドナ。やったね、ドナ。

アンが広島を旅程に入れてくれたのが嬉しくてお礼状をだした。また来るからねとマイク。その時には逃げられまい。それまでに少し物を捨てて整理しなくちゃいけないかなあ…いけないだろうなあ。


IMG_2148自分は自由人、決めるのはワタシ、とエラソーに思っていたがあらゆることから自由などあり得ないのよね。母を筆頭に気がつけばがんじがらめ。ま、人生色々というほどのものではないけど…。

変なところに拘りがある。自分で自分をしばってる。

朝は紅茶がなければパニックになる。それも2杯の濃いめのミルクティー。レタスは嫌い。サラダ菜が必須。で、ハムかソーセージ、卵は欠かせない。ヨーグルトも。果物2種、チンパンジーかw。コレステロールが高いはずだ。

パジャマは2回着て洗濯。バスタオルも2回で洗濯かごへ。
で、毎朝、しばし立ち止まって考える。このパジャマは昨日出した物なのか、2回目なのか。前夜の行動を思い返し、そうだ、ホットカーペットで温めたなどと思い出しホッとする。
思い出せる限りまだ痴呆ではないような気がするのだ。
大事な確認作業。
まあ、もう少しすると確認することすら忘れて、バッチイ婆ちゃんになるのだろうけど、まだ少し先だと思いたい。

粗読、乱読失礼
よしきたジーヴス P.G. ウッドハウス
比類なきジーヴス P.G. ウッドハウス
ジーヴスの事件簿 P.G. ウッドハウス
ノアの羅針盤 アン・タイラー
ヴェネツィアの宿 須賀敦子 NF 
塩一トンの読書 須賀敦子  NF 
無人島に生きる十六人 須川邦彦  NF 
いい人になる方法 ニック・ホーンビィ
ひとり暮らし 谷川俊太郎  NF 
自分の顔相手の顔 曾野綾子 NF 
イタリア古寺巡礼 和辻哲郎 NF 
運命の人(1) 山崎豊子
30年の物語 岸惠子 NF 








IMG_0355朝、シャワーから髪の毛を拭きながら出てきたら電話がなった。

上の娘だ。忙しい?猫なで声だ。シャワーから出たとこだからねと少々警戒しながら答える。

船がね、3週間ドック入りするの。で、みかんを1箱至急送って。船は明日出るから、今日午前中に送れば間に合うから。ほらきた。

午前中ってあと10分で10時よ。朝のウチにお母さんのところに行くのよ。

丁度良いじゃない。施設の近くに大きなスーパーがあったでしょ。そのスーパーは反対側だから電車に乗っていかなくちゃ行けないのよ。電車に乗れば良いじゃない。ほら早く用意しないと間に合わないわよ…。どうせ思い通りになると信じ切った機嫌の良い声で電話は切れた。

あ〜とか、う〜とか、も〜とかうなりながら、しょうがない。湿った髪のまま、焦って母の服や下着類をバッグに詰め、前日、母に食べさせようと農家で滑り込みで手に入れたイチゴを2粒w洗って袋に入れ、ショッピングカートを引っ張って、まず近所のスーパーに。ここにあれば駅までの途中に郵便局があるから一番楽なのだが…ない。お正月は過ぎたからねえ。

カートを抱えて階段を降り、上り、また降りて、ああ電車は面倒くさい。隣駅で降り、大規模スーパーを一回りするが箱のみかんは売ってない。配送係にみかんの袋を何個か詰めたいけど空き箱を貰えるか、それをすぐに配送して貰えるか聞くと、野菜と生鮮品は配送してませんと素気ない返事だ。

ま、しょうがない。もうタイムアウトだ。インフルエンザ騒動以来、初めての施設訪問で支払いがあるのに現金を用意し忘れ、途中でコンビニを探しだし出金し、いっそうドタバタしたあげく、娘に電話する。ダメだったよ。錦織命の娘はテレビにしがみついている最中だった。あっ、そう。仕方ないね。

ムムム。貸し点1だからね。とたんに覚醒した娘、送ってないのだから借りなんてない。アカンベーと、コラ待てという私を残し、電話を切った。

2週間ぶりの母はすっかり妄想に浸りきっていた。もう会えないと思ってた。すぐあっちに帰るんでしょ?
いくつものクエスチョンマークが飛び交ったあと、母は私が父島に移住したと思い込んでいることが判明。お正月にみんなで会ったことも忘れ、ああ良かったまた会えてと何度も繰り返す。風邪を引いただけよと10回ほど繰り返すが、帰り際にも、また会えて良かった、しばらくこっちにいるんでしょという。やれやれ。アメリカ移住の妄想がなくなったら、今度は私が父島移住の妄想か。

こんなに美味しい物があるなんてとイチゴに大感激してくれたが、口からヘタの下の部分を器用にはき出したのでびっくりした。食べられるのよと言ったのだが、ここは捨てるところでしょと。ふーむ。よく分からない。

何はともあれ、妄想に浸ってはいたが、葉書を渡して座らせて賀状のお礼をありがとうの一言で良いからと書かせると、きちんと5行にわたって挨拶を書いた。歪んでいるが字だ。久しぶりの字だ。書けるじゃん。

私に会えて嬉しがってくれるのも、字が書けるのも、美味しいと食べてくれたのも、100点満点に嬉しかった。

ショッピングカートに入りきらないほど大荷物となった洗濯物を家に運び込み、へたばっていたら下の娘からメール。デパートのお歳暮解体セールに行くけどきたければ、早めに着いて買い物すること。自分は少量しか買わないし、待たないからねとこっちの娘もまたしてもこちらを焦らす。

慌てて行きましたよ。娘が会社を終えて会場に到着する15分前にはレジまで終了。デパ地下での買い物も終了。会場近くで座り込んでいたらすぐ来て、大至急。駆けつけるとレジで娘と交代し、彼女は追加を買いに走る。私も大荷物の配送も手配済みだったけどさらに買い込み、すっかり病からのリハビリは完了したw。

昨日の歩行距離は8キロ弱。約13000歩。久しぶりにぐっすり眠れたのだった。めでたしめでたしw。

IMG_2114さて長々と寝込んでしまった。

熱は40度を超えなかったし、これまでの経緯から考えると数日もすれば元通りのはずだったのが…認めたくないが、これが年をとったということなのだろう。ずるずると微熱がでる。体調がすっきりしない。

何よりも咳が出るようになると夜中にも咳とともに不整脈で目が覚めるようになった。これには困った。不整脈は実に気分が悪い。半日躊躇したあげく発作止めを飲むと、あら不思議、すっきりと不整脈が消えた。こんなことならさっさと飲めば良かったと説明書きを読むと残っても捨てることとある…。5、6年前に処方された物だ。もう遅い…。でもその後数日間すっきりと効いたw。で、まだ捨ててない。良い子はマネしないように。

昨年、父島を訪れた際、甲板から多数の鳥を見た。その時大型の黒と白のコントラストがモダンな大型の鳥がしばらく船の横を飛んでいたのをカツオドリだと思っていたのだが、模様がどうも違う。強風で一部甲板は立ち入り禁止になって、あまり人もおらず、見た人は気にもしていないようだった。

実に気になる。父島のビジターセンターでもカツオドリの模型や写真、他の様々な鳥の写真、さらには鳥類図鑑を調べさせて貰ったのだが分からない。カツオドリを見間違ったのだろうと言われ、そんなはずはないが…と半信半疑だったが、ようやくはっきりした。IMG_2281

IMG_2271アホウドリだった!しつこくネットで画像を見ていて見つけた。翌朝、明るくなってから見たのだから、聟島へ移住した希少なアホウドリの卵から孵化した1羽だったようだ。私って、何という強運だろう。インフルエンザは何万人と罹るけど、アホウドリが飛ぶのをすぐ横で見物した人なんて多くはいない。IMG_2296


すっかり元気になった。単純なこったw。人生単純が一番w。

5年生の暴れん坊、トモゾーが公園のベンチからベンチへ飛び移ろうとしてーホント、男って大きくても小さくても馬鹿だねえー頭を割った。3針ホッチキスで止めた。けろりとしている。何よりだ。

テレビドラマで、ここに変死体が、と俳優が言ったとたん、ここに変顔が、に脳内変換され、吹き出した。隙さえあれば変顔を披露するおかしな婿殿の顔が浮かんだ。

床近くのコンセントにプラグを差し込もうとして頭からごろんと転がった。まっすぐ歩けず、リビングのドアに激突。おかしなことだらけだ。

想像もしないことが自分とも思えないことが次々起こる。風雨が強くても何とか乗り切ってきた。退屈だけはしないで済みそうだ。

写真はクリックすると大きくなります。巨大なガジュマルの樹が目印のハートロックカフェ。ここの分厚い熱々フィッシュバーガーがお気に入りになった。一番下の写真は小笠原丸を見送る船団。船体の横に1隻ずつ停止し、船の島民たちが一斉に海に飛び込む。感動的で戻っていきたくなるよ〜。

ゴロゴロ平安の夢にまどろんでいたら、娘から咳が出てきて云々というメールが来た。半分凍ったコートで早朝からテニスをしたらしい。全くねえ。

翌日、どうしたか気になって電話と、次いでメールをしたが返事がない。もしかしたらと気になって午後になって出かけていった。洗濯物が干してある。洗濯できるくらいだから咳をしながら会社に行ったのだろうか、でも一応、玄関から覗いて何回か声を掛けたが返事がない。ピンポン、ピンポンと2度、3度押すが返事がない。しーんとしていて人の気配はない。安心して帰ったのだが、私も咳が出始めた…。

夕方になって婿殿から電話。インフルエンザのA型とのこと。吐き気がひどいと言う。翌日、理系男らしい、簡潔かつ行き届いた報告書wが届いた。病状の推移、処方された薬と服用回数、用意した飲み物ゼリー類の一覧…。

私の咳もひどくなっていてすでに熱も7度少々でていたが行かずばなるまい。娘は40度を超えていて婿殿はなんせ新年早々なので休めないという。最強のウィルス予防の分厚いマスクを掛けて娘のところへ。

娘は赤い顔をして背中を高くしてクッションに埋まっていた。洗濯物を取り込んで畳んだだけで帰ったのだが、その短い時間の中でも吐き気が…。

インフルエンザの潜伏時間は1〜2日ということは私はぎりぎりインフルエンザを逃れたと思ったのだが、念のためゼリー、プリン等、籠城生活に備えた買い物をして帰ってきたらすでにこちらも8度5分。再度娘の様子を見に行くと婿殿にメールしておいたのだがごめん行けないのメールをだすと、ぎりぎり医者に間に合うくらいに帰れると思うからサポートしますと嬉しい返事が。しかし、こちらは百戦錬磨の婆ちゃんだw。覚えているだけでインフルエンザにはこれまで4回罹っている。免疫が多少残っていて軽くすむはずだから大丈夫と返事する。

医者に連れて行ってと頼まなくて良かった。本人が医者に行く羽目になったのだ。もちろん、甲斐甲斐しく看病したせいで仲良くインフルエンザ。私の熱も9度6分まで上がった。これまでインフルエンザの度に40度を超えていたから素晴らしい進歩だw。

しっかり点滴をして貰い、薬を飲んだ2人と自力で頑張った私の熱が下がるまでの期間はあまり差がなかった。なぜか勝ち誇りたくなる。まだ頭はウニ状態だが仕事が来たので起き上がったのだ。仕事、強し。

しかし、インフルエンザは最後の一押しとか言われているそうで、高齢者には命取りになる。今年いっぱいは風邪ごときには負けないつもりだがそろそろ風邪でも大人しく医者に行くべき年齢に達しつつあるのかも。ぼおっとした頭で娘が読む弔辞の文句を考えていてホロリとしたのも熱のせいだ。忘れないうちに娘に葬式の時にはこれを読めと渡したら、けちょんけちょんに文句を言うだろうなあw。

新年も早くも4日目となった。やれやれ今年も無事だったw。

12月から1月2,3日までが例年大変なのだ。なんせ11月末から1月末の2ヶ月間に家族の誕生日がぎっしり集まっている。7人だ。11月30日、12月3日、17日、18日、1月6日、7日、31日。それぞれにプレゼントを用意し、送ったり、届けたり、時には一緒にケーキを食べる。でクリスマスプレゼントは13個。自分の分を入れてw14個。合計21個のプレゼントをこの期間に用意しなければならない。もちろん、お正月もやってくる。

早めに良さそうな物があれば買っておくのだが、なんせ数が多くて途中で忘れ2個、3個と買ってしまったり、何を買ったのか忘れてしまう。

毎年クリスマス用にフルーツケーキを焼くのだが、もはや気力、体力の限界、と涙を見せて(ウソ)昨年11月に引退を宣言したのだが、直ちに反撃が来てあちこちガウガウ噛まれ、やっぱり焼いた。娘強し。でも少しにしたので自分の分がなくなった涙。もっとも試食でだいぶ食べたけどw。まあ、昨年、妹からフルーツケーキ用にと最高級のブランデーをせしめたので焼かないわけにはいかないのだが。

おまけにこの時期、例年、仕事が非常に忙しくなる。合間に病気やぎっくり腰も入ってくる。目が回るというのはこのことだ。娘たちは大掃除をやりたくないので病気になると考えている節があるが、そうではない。大掃除をするから、例え一部分であっても、病気やぎっくり腰になるのだと声を大にしておく。

元旦はみんなで揃って毎年同じ神社に詣でる。父が亡くなった年から3年連続同じオミクジを引いた。凶の方が中身が優しいというようなひどいオミクジを毎年。何という神社の怠慢、ではなく、神意だったのかなあ。当たっていたような気がする。

お札と、父島でひいた凶のオミクジのたきあげをお願いし、今年のオミクジは嬉しや、吉。でも、「腹立ちやすい心を捨てて利欲を捨て」とか「思うほど病は重くない」とあって、ほら見てご覧とお正月早々下の娘にやられたw。お嫁さんのSちゃんは凶を引いた。この神社でも凶が入れてあるのね。私は悪いオミクジは後生大事に持ち歩き、自戒のネタとするのだが、Sちゃんは急いで結んでいた。父上が昨年秋に一時危なくなったのだから無理はない。妹は別の神社でだが何度も凶を引いたので今年は蛇神社なるところに行ったという。なんだか怖いなあ。

2日は合計17名、すったもんだの4世代の新年会。娘夫婦が買い出しに精を出してくれ、各自少々持ち寄って、費用は割り勘。母の施設が遠くなったので妹夫婦が迎えに行ってくれる。で私は早朝から大量のサラダ作りなどに励み、なんせ17名だからネ、会場と自宅の間をうろうろし、妹と一緒に施設に母を送り、妹を駅まで送る。私の遊び仲間が去って行く…。

妹夫婦は3日午後に米国に戻っていった。

かくして気力、体力をもっとなくした私は、喜んで、箱根駅伝を最初から最後までゴロゴロ見、ついでに相棒祭りも見、お正月らしい怠惰な生活を取り戻したのだった。

明けましておめでとうございます。


お善哉の用意がまだだったので気になったのか、目が覚めてしまい、新年早々、早朝から豆を煮てます。

さぞかしマメマメしい一年となることでしょう。

今年はこれで行きます−仲良きことは美しき哉。

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どこの家にも武者小路さんの絵が掛かっていたような…。家にもありました。祖父が持ってきたのですが、祖父は穏やかで静かな人だったので、何という大変な家だと思ったのでしょうね。何しろ騒がしい父を筆頭にかしましい娘3人ですからね。

今年は仲良きことは美しき哉、だからね、娘やw。

皆様、騒々しくとりとめのないブログですが、本年もどうぞよろしくお願いします。

上は娘と。下は小笠原丸の中で仲良くなったパティと。いつかまた会えると良いね。

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