あんなこと、こんなこと。どんなこと?

自分の言葉をしゃべりたくなった翻訳者のきままな独り言:多様だから価値がある。反論、異論大歓迎

2017年11月

先週のことだけど、農業収穫祭に行ってきた。毎年、主に花の苗を目当てに行くのだが、品評会の後の即売会も午後遅めに行ってまだ残っていればこれも勿論購入する。で、重い。

毎年、婿殿、ノンちゃんマンに持って貰うことになる。年を追う毎に娘はブツクサ文句をいうようになった。自分で持てるだけにするのよ、ウチのノンちゃんを使わないで。減るもんじゃあるまいし。ケチだよねw。すべからく男はこちらが言い出す前に手を差し出すものだと思っているワタシになんじゃらほい。気を遣いすぎだよ。ワタシャ老人だよ、老人に愛をと、気の小さいワタシは心の中で、叫ぶw。第一、女性に優しくない男、気の利かない男は男じゃない。まあ、だから一人なのよねw。

無抵抗主義だから大人しくゴロゴロを引いて行った。勿論、ノンちゃんマンは最初からちゃんと持ってくれた。ほらねw。知らんぷりの男なら結婚に反対されていたってことよ。喜びなさいw。

大きなリンゴ6個、みかん一袋、大きな大根、大きなカリフラワー、いきなり団子1箱、他を購入。熊本支援の辛み餅は千円札1枚と引き替えで立ち食いw。

気分良く家に帰って困った。ひとり暮らしなのに、こんなに買ってどうするつもりなんだろうと自問自答。すでに冷蔵庫は満杯なのに。あれもこれも欲しいが、必要なのはせいぜい4分の1。

ナマケモノも働くしかない。立派な大根の葉はごま油と少々の唐辛子その他で炒めて振りかけに。大根は殆どをピクルスに。大きないきなり団子は1個を食べただけで残りを冷凍。

巨大なカリフラワーはネットで調べ、ゆでて冷ました物にカレー粉を混ぜたヨーグルト、熱したオリーブオイルと、レシピでは唐辛子だったがその代わりにパプリカの粉を掛けて混ぜ混ぜして食べた。予想外の美味しさだった。

そしてネットを見直したら、カレー粉などとは書いてない。勝手にカリフラワーとあるのをカレー風味だと思い込んだのだった。レシピとは別物になったが美味しければそれでいいのだw。

そうそう、母の所に妹のお姑さんの衣類を8枚持っていき、7分袖の花柄のカットソーがお気に召したようで、直ちにお着替え。花柄は初めてよ、みんな何と言うかしらと嬉しそうでホッとするが、誕生日にワタシが上げた服がお洒落すぎて着ていくところがないからと返された。高かったのになあ、私の色じゃないのになあ。名前を書いたから娘たちも妹も着ない。これも私が着るしかない。在庫がマイナス8になるはずがマイナス7になった。道は遠い。

IMG_3084←こんなものも。株主優待の球根、50玉。あちこち配り、ようやく昨日、残った物を植え終えた。
球根と相性が悪いのよね。毎年上手く咲かせられない。今度こそちゃんと咲いて欲しい。





DSCN0331妹のお姑さんが入居していた老人ホームの片付けに行ってきた。

片付けといいながら、実情は捨ててとの一言でホーム側が捨ててくれるのだが、贅沢な人だったからそのまま捨てるのが惜しく、母に着せられる物を探してと言う妹に従って一緒に大きなゴミ袋4袋にも入りきらないほどの衣類を一緒に漁ったというのが本当のところで、テディベアを見つけて、一緒にお棺に入れてあげれば良かったのにと、ちょっと胸が痛くなった。父は一番お気に入りだったぬいぐるみたちと一緒に旅立っていき、燃やさなければ良かった、母に渡せば良かったと少し後悔したのだが、同行するぬいぐるみが1体もないというのもなあ。

ワタシの時はどれにしよう。お気に入りは娘とのイギリス旅行の際にコッツウォルズの町で数人が集まっての小さな骨董市で見つけて連れ帰ったハロッズのテディウサギw。下の娘へのお土産だったのだが、どうしても手放せず、後で返して貰った物w。でもこの子はアンティックだからつれて行くわけにはいかない。でも一人は淋しい。決めておかねば。

結局、新品の衣類も数多く、これは勿体ないわねえなどと言っているウチに宅配便ではなくヤマト便のサイズになってしまった。欲深な自分を今頃後悔している。どうやってどこにしまうつもりなのだろう。おまけにすべてを洗濯し、クリーニングに出すのは大仕事だ。

一昔前、娘たちの衣服はドナから貰った。すべてが英国製でとても可愛かったので着終わった物は日本に送り、姪や甥が着てくれた。ワタシも貧乏で、どういうわけか金持ちの友人たちが多かったので、衣類はほぼすべて貰い物で過ごしていた。自分なら買わない色合いスタイルの物を小物でバランスを取り、工夫で着こなすのが結構楽しみでもあった。

もう衣類も捨てるほどあるし、実際、周囲から捨てろと言われているのだが、一端ワタシの保護下にw入った物を、簡単に捨てられるわけはない。で、この苦境だ。集まった物はこれまで運送料に大枚かけて施設のバザーに寄付してきたが、無職の婆さんになったのでもうそんな出費はできない。母は今でもワタシの洋服にだめ出しをし、そこに赤を足しなさいとか、上着の裾を引っ張ったりする人で、買って持って行った服も色がイヤとか、柄がイヤとか、好きな物しか着ない。大人しく着てくれるだろうか。

多分、大半はワタシが少しずつ着ていくことになるだろう。自慢じゃないが、私、スカーフとストールを数十枚持っている。どれが合うかな〜w。

全く皮肉なことに、フリーになって以来顎足つきのお接待など望むだけ無駄なことだし、望んだこともなかったのに、顎足つきとなった。

但し、ついてきたのは故障w。

顎の方はお嫁のSちゃんが天草名物のお煎餅をくれたことから始まる。小魚やナッツがたっぷり入った堅焼き煎餅。えっ、小魚、と、元来魚が苦手なのでひるんだのだが、とっても美味しいという話と体に良さそうという期待感から食べた。

非常に堅い。しかし、思った以上に美味しい。1枚で止めとけば良いのに食いしん坊なので大きな、厚みのある堅いお煎餅を2枚も続けて食べてしまった。そして…左顎の痛みが始まった。

朝起きて、何か、顎の辺りが痛い、違和感がある、それから口を開けると痛いとなり、噛むと骨がずれていると声高に主張するようなガクガクという音がするようになった。

ガクカンセツエンというらしい。音は体を表すだね。8月末のことだった。
前年10月にまた3ヶ月後にいらっしゃいと歯医者に言われていたのだが、忙しくツイ忘れていたのだが、なんせ口を開けるのが痛くてコワイ。痛みが多少治まった10月になって歯医者に行った。

恒例のチェックと歯石取りのはずなのだが、痛みを訴えたら、大きな口を開かなくて大丈夫というから安心していたら、熱中した先生は痛い側の奥歯からぐいぐい攻めてくる。アイタタタで、その後の歯石取りは3回通ったが撫でるがごとくで、痛くない右側の歯石は放置。なんでやねん。

で、左下のかぶせてある歯が緩んできているからこちらを治療しましょうとドリルではぎ取り、型を取り、今日、これからまた歯医者。痛いというのに左側をドリルでがりがりやると響く。ムッとする。文句を言いたいが言えない。敵の勝ちだw。

痛みをこらえながら、小学生の時の歯科医師のことを思い出していた。
無意識のうちに、先生の腕をぎゅっと掴んでいたようで、ある日、どっちが痛いか我慢比べだねと先生に言われてびっくりしたことがあった。

そうだ、ぎゅっと医師の腕を掴んでいると痛みが減るかも知れない。やりたいが、この歳では出来ないなあ。後数年経つとやってしまうかもしれないが、そのときは優しく我慢比べだねなどと言ってくれないで施設に収容されるだろう。

昔は医者との関係も近かった。医者宅がぼやを出したときは家の天井から空が見えるのも見せて貰ったし…。それともワタシがどこにでも入り込むちょっと変な女の子だったのかもw。

左足指と足の裏にかけて冷えピタを貼り付け、寒いので足下を小型のヒーターで温めるというおかしな状況に入り込んでいる。

自己判断では、どうやら「足根管症候群」らしいのだが、あまりロマンチックじゃない名称にもかかわらず、人魚姫にでもなったような気分。というのも一足毎に針に刺されるような痛みで足の指を丸めて歩く始末だ。

そんな中、久しぶりに、昔海外で近所に住んでいた2人、Nさんと、K子に会いに出かけた。この2人が子供たちを交代で見てくれたおかげで私は大学を卒業できたのだ。もう35年も昔のことだが、どれほどお世話になったことか、感謝しても仕切れない2人だ。

Nさんは緑内障を患っていて片眼を失明、もう一方も視力が低下しているので、私が東京駅まで迎えに行くことになっていた。

総武線快速は地下に到着する。そしてそれが山手や中央線から離れたところにあるのも知っている。そこでなるべく歩く距離を減らそうと総武線に乗り換えて地下に入ることを考えた。まず地下鉄の飯田橋で総武線に乗り換えることにした。が、飯田橋が工事中。駅が見つからない。針の上を歩くような痛みをこらえ、近くにいた人に場所を聞くと、その人も探していると、2人で駅を探すことに。

その女性に足が痛いので近道しようとしたら余計に歩く羽目になったと話したら、私、痛みを取れるのですと言い出した。やってみませんか。面白そう、それにひどくなることはないだろうと、駅のベンチに座ると何やらブツブツ言いながら手で蜘蛛の巣を集めるような動作を足の上で始めた。そこに電車が来たので一緒に乗り、しばらく時間がかかるからと乗っている間中、その動作を続けてくれた。

お茶の水でぼんやりとここで降りるんじゃなかったかと思ったが彼女が熱心にしているので、降りますと言い出せず、次の次くらいが東京かなと思っていたら浅草橋にまで行ってしまった。彼女は修行して20年も痛みを取ることをしているという。治ったかと聞かれたがじんじんしているだけだった。残念。

東京駅の総武線を降りたところにNさんが待っているので、当然、総武線は東京駅に着くような錯覚に落ちいっていたのだが違った…。足を引きずり、階段を降り、上ると総武線普通は遅延していた。ようやくお茶の水に戻り、快速が来たので急いで乗り、これで問題解決と思ったら、それは中央線で、地下深くの総武線を探して東京駅をウロウロ。私は人魚姫じゃないし、待っているのはおばちゃんなのに、足は痛い。

Nさんと無事に出会えたがK子が地下改札口と言ったのにいない。私1階にいるみたいという。さすがK子だ。おっちょこちょいの二人。でも私の方が少しマシだw。足が痛くても私が迎えに行って良かった。

駅近くの人気店、サイゴンへ。デザートを頼んだら皆さん列を作って待っているんですよと追い出され、続きは丸ビルのカフェで。目は悪くなっていてもNさんが元気一杯で、ダンナののろけを散々喋る様子にホッとした。

Nさんを電車に乗せ、K子と新宿。彼女が買い物中、マッサージ機で可哀想な足を休ませ、休めない歯医者へ(この話は今度)。歯医者からタクシーで帰宅しようとしたのだが、来ない。バスで途中まで行き、停留所があると思ったところになくて、15分歩いて帰った。

驚くなかれ、誤算のせいで、人魚姫の足で1万歩超えて歩いていた。そして痛みが朝に比べてずっと少なくなっていた。彼女のおかげだろうか。気功のようなものなのだろうか、そんなものだと彼女は言ったけど。

そして、妹にことの顛末を電話したら、妹も同じ場所が痛くて足の指を丸めて葬儀の打ち合わせで歩き回ったとのこと。足が痛くてたまらないところにそういう女性が現れ、妹も同じところが痛くなっている。

変なの〜。

IMG_2997仕事をしなくなって2ヶ月近く経つ。

なのに、何だか忙しい。何もしていないのに忙しい。今までどうやって仕事をこなしていたんだろう。不思議。恐らく一つ一つの作業にかける時間が長くなっているのだ。ま、しょうがない。昔みたいにはいかない。いかないのにそこに目をつむって頑張ってきたってことだろう。

妹のお姑さんが亡くなって、急遽、妹夫婦が爆弾低気圧の恐れがある中はるばる20時間かけてやってきた。妹たちも大変だが、お姑さんも大変だったろう。1年以上も寝たきりで、言葉も出せず、勿論本人の承諾などなく、親戚からの圧力で胃瘻で生かされてきた人だ。もし、彼女が表現できないだけで分かっていたとしたら…こんなに恐ろしいことはない。長い長い拷問の時間だっただろう。だが、現実にその場に居合わせれば、愛情があるだけ別の世界に行ってしまうのを黙って見送ることは難しくなるのは想像できる。

高齢者を抱えた友人たちなどが増え、自分のこの先を考える時間がますます長くなっていく。残された時間は少ないのか、長いのか。何が出来るのか、出来ないのか。延命治療拒否の宣言書をリビングに貼ってあるがその時どうなるかは、神のみぞ知るだ。

友人の個展に銀座に行き、日本橋の三井記念美術館で「脅威の超絶技巧!」展へ。これは2014年の「超絶技巧!明治工芸の粋」展の第2弾だそうで、第1弾を見て仰天したのだが、今回も恐るべき技巧が満載。それも昔の日本人だからこんなに粘り強く修行に耐えてやれたのか、もうこれらの技法は途絶えるのかと思ってたのが、今回はそれに負けず劣らずの現代作家たちの作品もずらりと出展されていて、びっくりの連続だった。見事なので、是非、是非のお勧め。

一番驚いたのは鹿の角でなにをどうやったのか、一枝の満開の桜の花になっていた作品。どうみても薄い布で花びらを現したとしか見えない。細い鹿の角が何をどうすればそうなるのか、横にいた人と思わずそんなあと声を掛け合ってしまった。

クリスマスプレゼントを少し仕入れ、千疋屋(1階の方、セルフで気軽で安く2階みたいに待たないで済む)でマンゴースパゲッティなるものを食べ、デパ地下を2箇所回り、ヘトヘトで帰る。もう1箇所キッテに寄るはずが無理。ああ歳だ…。




父は生前、よく、無精するな、と怒っていたっけ。無精の巣窟のような我が家を見たらどれほどの雷を落とすことだろう。

雷ならともかく無精のせいで命を落としかけた…。

穏やかに良く晴れた休日の昨日、大規模な工芸展が丸ビルから有楽町の国際フォーラムにかけて何カ所かで開かれると知り、忙しいとか、婿殿と出かけるとかゴチャゴチャ抵抗する娘を説き伏せ、出かけることになった。

娘とのお出かけは久しぶり。さあ遊びに行くぞと喜んで急いで洋服を着替えようとして、何を考えたのか、したこともないのに、シャツとセーターを一緒に脱ごうとした。

なかなか引っ張っても2枚合わせて脱げない。で、こんなところで頑張らなくても良いのに、頑張って、エイヤーと力任せに引っ張ったら、足がつるりと滑って、頭から箪笥に倒れ込んでしまった。

一瞬、何が起こったか分からなかったが、頭はガンガン、そしてみるみる大きなたんこぶが…。頭をよぎったのは大理石のテーブルの下に落とした物を取ろうとして頭をぶつけて亡くなったという、娘と私の愛読書漫画「いたずらなキス」の作者のこと。

こりゃ、大変。私ももしかしたら危ないかも。何度も娘に電話するが出てこない。
慌てて冷やしつつ、娘二人にメールした。

万一の際の、PCに入るpinの番号、その他諸々のパスワードのありか。そして万一の際は直ちに株を売れという指令w。現金に換えておかないと面倒が生じるからね。葬式ぐらい出して貰いたいしw。

娘どもからメールと電話が来た。何にぶつかった?木の箪笥。目眩は?ない。瘤は?できた。頭を冷やしていれば良いよ。もうオーバーなんだから。2人とも笑いよった。

吐くかも知れないとお昼をごく少量に抑え、夕方、出先の娘にお腹すいた、お見舞いにケーキをおくれとメールしたら、その気はないと冷たくあしらわれた。リケジョらしい扱いだ。ちぇっ。

そのうちAIBOを買おうと思っているのだが、痛いと言っても撫でてはくれないな。撫でられても金属じゃ痛いな。と、この穏やかな日々にどこにも行かず、なるべく動かず、ゴロゴロしながら一人淋しく娘か孫を釣る方法を考えるのだった。

1日冷やしたら、たんこぶは引っ込んだ。でも触ると痛い。
そうでなくても、毎日大量に脳細胞が死滅していっており、真剣に痴呆になりつつあるのではと恐れているのに、こんなことで頭に打撃を与えるなんて。

全く、人生、何が起こるか分からない。

はい、父上、無精は敵です。今頃分かったかという声が聞こえる。

imgacbf9e53zikdzj[1]お寺は朝早いのがよい。一人旅は歩く旅でもある。朝遅いのは身の置き場に困る。家では新聞を読みながらいつまでも朝ごはんを食べ、それからシャワーとノロノロしているのに、旅ではすこぶる勤勉だw。

チェックアウトし、荷物を預けて東寺を目指す。ホテルの前をまっすぐ歩けば東寺に出る。都合の良いところにあったwこのホテル、気配りも最高だった。このホテルチェーンは4回目か5回目の利用だけど、すべてにプロなのだ。掃除1つとっても日系ホテルは有名処でもどこかしら手が抜いてあるのだが、外資のホテルはなぜかどこもきっちり仕上がっている。

東寺も秋の特別公開中だが、今日も雨。今日も傘をお借りした。袋に入れて渡した濡れて惨めな折り畳みはきちんと乾き畳んだ状態で返してくれていたが傘は大きいに越したことはない。靴も乾いている。前日、フロントが靴に必要ではと気を利かせて新聞をくれたおかげだ。

門を入ると早速修学旅行生の一団とぶつかった。京都はねえ…。自分の経験からしても、この年頃でお寺を見ても何も頭には残らないと思うが見ないより見た方が良いだろうと思いつつも、姿が見当たらない有料地帯へ逃げ込むw。

前日の相国寺は金閣寺がその塔頭寺院だという驚くべき規模だったが、ここもまた巨大な寺院だ。真言宗総本山というのだからそりゃそうだろう。世界遺産だし。

講堂へ向かう。そして金堂へ。前日のように一人ひっそり静寂を楽しむという贅沢はちょっと無理だったが、それでも雨の朝だからか、ごく少数だった。普段の行いが良いからね、雨が降ってくれるのw。

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講堂で素晴らしく美しい仏様、帝釈天に遭遇。戦いの仏とかで手に武器を持っているが美しいのよね。弘法大師作とあったので聞くと、中の仏様たちのいわばデザインが弘法大師で、指示して作らせたという意味だという。なるほど。そしてこの仏様のせいで金堂の印象が消えてしまった。金堂は国宝、講堂は重要文化財なんだけど…まあ、ワタシには関係ないかw。

食堂には昭和初めの火災で損傷した4天皇像が安置されているのだが、焼け焦げ、腕をなくした仏様たちに、罰当たりにも、神も仏もないものかという言葉がふわふわと浮かぶ。

京都のシンボル的な五重塔とお庭、宝物館、そして観智院へ。観智院は門の外側にあるので分かりにくいが、ここはお勧め。13年ぶりの特別公開だったがこの先は通年で公開するようだ。雰囲気も、小ぶりだがお庭も良かった。相変わらず人はいない。ラッキーと思ったら、室町時代の茶室とやらにはカメラマン他数人が。良いですねえ、素敵などと常套句を並べ立てるその前には野暮ったい(失礼)小太りのおばちゃんがポーズを取っていた。室内は撮影禁止なのにと思ったら有名な作家らしい。これでここもひっそりと楽しむことは出来なくなるのかも。

西本願寺で、ぱあっと開けた大きさと金ぴかぶりに驚き、法要のお経の合唱をしばらく拝聴し(不信心者として、音楽的には永平寺での読経の方に軍配を上げる)、K子と行ったツアーで渡されたスタンプカードにスタンプを押し、JRで大山崎山荘美術館へ向かった。

この美術館には河井寛次郎、濱田庄司、バーナード・リーチといった好みの作家の作品が当時の家具類と共に所蔵されているだけではなく、安藤忠雄らしいコンクリート作りの、モネを主とする展示室も古い洋館の雰囲気を壊さぬよう隣接されて作られ、庭側のコンクリートの壁はすっかり緑で覆われている。周囲を緑に囲まれて隔絶された雰囲気の、私にすればたまらない美術館なのだ。IMG_3079

IMG_3080今回は有元利夫という夭折の画家の作品が目当てだった。友人がチケットを送ってくれたのだが、この作家の作品は滅多に目に出来ないのでまとめて鑑賞できたのは幸運だった。若く逝ったのにすでに作品の個性が確立されている。生きていればどのような展開を見せたのだろう。充実した展覧会だった。

この美術館は山の中腹にあるのだが、駅への道の途中に以前はあった骨董店が見当たらない。古道具屋と言った方が良いような店だったがこの店も楽しみに来たので、残念でたまらず、駅の反対側を捜索に出かけた。ウロウロするうちに怪しげな古道具屋に行き着いた。表には土や埃にまみれた皿や茶碗が無造作に放置されていて、面白い物があったので声を掛けると、100円。自分で袋に入れてとつるしてあったビニール袋を指さした。店内にも大量の品物が積み上げられている。何かありそうでみていると、3000万は固いとか不穏な言葉が店内で盛大にタバコを吸っている男たちの口から飛び出てきた。聞いてない振りをしながら品物を見ていると、店主が奥さん、まだ見るの、としびれを切らしてやってきて追い出されてしまった。面白い物がありそうだったけどなあ…。

IMG_3083←しめて300円也。

京橋や有楽町には骨董屋が多くある。京都にもあるはずだと駅周辺の小さな路地を探索して回っているうちに目の焦点が合わなくなり、気分が悪くなってきた。脳内で何かが生じている。脳梗塞で倒れるのだろうかと思ったが、とりあえずあめ玉をなめていると治まった。山荘でケーキセットを食べただけで、昼抜きだったから血糖値が下がりすぎたのかも知れない。

荷物を取りに行き、念のため、忘れ物がないか確認して貰ったら、薬を忘れていた。女性用のアメニティセットが良かったから持って帰るつもりがそれも忘れていたが、さすがにそれは忘れたとは言えず、悔しい思いをしたのだったw。

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