あんなこと、こんなこと。どんなこと?

自分の言葉をしゃべりたくなった翻訳者のきままな独り言:多様だから価値がある。反論、異論大歓迎

2018年02月

IMG_3173寒い寒いとじっと、でもないか、している内にいつの間にやら2月も明日で終わり。
寒い冬だったのに、ベランダのチューリップが十数本芽を出している。数日の内に花が咲き始めるだろう。

今朝は盛大なくしゃみと共に目を覚ました。
空気はもはや春。外はぼんやり霞んでいる。くっきりきっぱりとした富士山ともしばらくはお別れ。

そういえば小学4年生の孫娘から手作りのチョコマフィンなどとカードをバレンタインデーに貰ったからおかえしを買いに行かねば。お花は息子から。

先月の話をせめて2月中に書いておかねば。

末近くに娘と一緒に骨粗鬆症の検診へ。後日同年齢よりほんの少しだが上の判定を得たが、45歳にして手術の後遺症で85歳と判定された過去があるのでとても嬉しい。

IMG_3172検診後、娘夫婦と夕食を食べる約束だったが、ついでにと昼食も一緒に食べることになり、娘が食べたいという九段の寿司屋へ。ここは土曜日はコースしかしておらず、夕食は重いものを予約してあったので近くの洋食屋へ。ぶらりと外に出たら、目の前にびっくりな博物館が。

目立たない普通のビルの一角に博物館と看板がでていたのでなんだろうと思ったら、戦傷病者の資料館しょうけい館」だった。3人で入ってみる。私はどうも感情移入が激しい人間のようで辛い小説を読むとしばらく立ち直れないほど気分が落ち込むので、警戒して出口からこわごわ中を覗き、最後の部屋が写真などで大丈夫そうなので入る。

叔父は南方で戦死しているし、軍医だった伯父は満州に長期間抑留され最後の引き揚げ船で引き上げているし、元亭は昭和20年8月30日に満州で生まれ、姑が決死の努力でなんとか日本に連れ帰ってきている。あの頃、どこの家でも家族や知人に生じていたかも知れないことだが、改めて歴史の流れを感じる。

そこで新たな衝撃の事実を知る。昔、街角で白い着物を着てアコーディオンを鳴らしたり、地べたに座って寄付を求める手や足のない人たちが大勢いたことをうっすらと覚えている。母が何回か寄付したのを覚えているが何もしらなかった。なぜ自分たちの意志ではなく命令で国のために戦った人たちが大勢、乞食の真似事のようなことをしなくてはいけなかったか。

戦後、GHQが旧軍人への軍人恩給廃止の命令を出したのだ。まともに職に就くことの出来ない怪我を負い病気となっていた旧軍人にとって恩給は命綱であったに違いないのに、廃止を命令するとは。どれほどの困窮を忍ばなくてはならなかったのか。胸が痛くなる。昭和28年になってようやく復活されたが。
現在、水木しげるの人生という本人の絵による企画展も行われている。

九段界隈をゆっくり散歩するのは初めてだったかも。皇居の公園を抜けて近代美術館を目指したが途中でふたたびひっかかった。国立公文書館なる建物でここもまた初めての場所。太田道灌と江戸と言う企画展が開催されていたが、ここにはなんとポツダム宣言の原文や明治の日本帝国憲法、日本国憲法まで展示されていた。娘たちと誰の署名が上手か下手かと馬鹿なことを言い合って楽しんだのだが、ジェフリー・アーチャーに独立宣言が盗まれて騒動になるという筋の著作があって憲法の原文というのは大変なものだと思っていたのが目の前に原文がガラスのケースには入っているとは言え無防備に飾られているのを見てちょっとびっくり。平和な国日本だ。

国立近代美術館で「熊谷
守一 いきるよろこび」展。作風の変遷が見られて面白いし、展示物が多く充実していたが、私の狙いはここの所蔵品。国立と言うだけあって素晴らしい作品が多数所蔵されている。娘たちに藤田嗣治のアッツ島玉砕の絵を見せたかったが見当たらないので係員にどこにあるか聞いたのだが、恐るべき事に彼の名も知らなかった…。自分の仕事はもう少し大事にしようと言いたい。

目的地、飯田橋に移り、二人に美味しい天ぷらのコースをご馳走になったのだが、うかうかと若い二人にくっついていったばかりに1万5000歩を越え、翌日家にこもることになった。情けないなあ。

ぐっすり寝ていたところを起こされた。
誰でもない私に!正確には私の心臓に。何というふてーヤツだ。

激しい不整脈が起こっていた。目が覚めるほどの不整脈というのは初めてで、こりゃ大変とまず冷たい水を飲みに行った。水で不整脈が止まることがあると聞いていたから。でも止まらない。薬を飲んだ。

次に血圧計を探した。見つからない。金曜日に排水管の掃除に来たので、そこいらにでていたものを片付けたからだ。滅多にしないことをするとこうなる。母が使っていた大型の血圧計を見つけたが、前回ちゃんと動いていたのに、ピクリとも動かない。私の心臓は激しく気ままに動いているというのに。

ようやく見つけて計ったら、遅かった。知りたかった拍動の数は落ちついていた…。

ネットで色々調べたがたいしたことはなさそうだ。朝っぱらからたいした騒ぎだった。

しかし、いつ何がどうなるか分からない。以前、遺言状を書いたのだが、馬鹿息子がお利口さんに変身しつつあったので破り捨ててしまったのだ。で、新たに書いておこうと、上の娘に電話を掛けた。

娘たちには多少色をつけるけど、基本、残りは3等分でいいかと確認する。すっきり3等分すれば良いと末娘。いつまで生きるか分からないから無駄遣いするなと言ったが、この上の娘、第一、残せるほどのものがあるのか、ほらほらいくらもってるか白状しろと笑って迫ってきた。娘たちには随分、我慢させた。問題児の息子を私立中学、そして海外の私立高校、大学、それも7年間!、と送るために、貧乏暮らしを強いてきたのだが、ありがたいことにお金に淡泊にあまり物欲のない子供たちに育った。金食い虫の息子が一番金銭感覚もなく物欲もある。最近は父親らしく随分、良くなったが、そんなものなのだろうなあ。

で、早朝から心臓が騒ぎ立てたおかげで、上の娘からは一緒に旅行に行っても良いという言質をとり(孫3匹をどうするかが問題w)、下の娘にうるさく禁止されていたアルコールも赤ワインなら1日グラス2杯までは悪影響どころか多少だが良い影響がある可能性を知り、かくして気がかりが少し減ったのだった。

そうそう、母の盗難騒ぎも一応、一件落着。バスタオルは母の物入れから見つかったとヘルパーさんから渡され(その物入れは前回、ヘルパーさんと一緒に探した箇所で本や雑誌がぎっしり詰まっていて彼女もここには入れようがないと言っていたのだが…。)、母のコートは棚の上に置いた段ボールの中の洗濯物用の袋の一番下にきちんと畳んで入れてあるのを発見した。母の胸よりも高い場所で、洗濯物を入れるとかなりの重さになる。そんなものをつかまり立ちしか出来ない母が持ち上げられるとは到底思えないが、これ以上追求する意味はない。

母のロッカーの扉に、ここは大丈夫、ないものは私が洗濯に持ち帰っているので安心してとメモを貼り付けた。ロッカーや引き出しを大量のセロテープで封をしていた母もこれで安心してくれるのではないだろうか。顎も心臓もストレスが不調の大きな要因となる。やれやれだ。

IMG_2445最近、とみにぼけが進んでいる

そういうときは、果たして昔はちゃんとしていたか考える。自分がやってきた失敗を思い起こし、なんだ昔からじゃないかと思うことにしている。そういう失敗は時間が経つと笑い話に代わり、また1つ冥土の土産話が増えたことになるのだから気にすることはないはず。しかし、なあ、私の葬式の時には子供たちはよってたかって、そういえばあの話、この話と大笑いするんだろうなあw。ま、笑いを提供できるというのは悪いことではないと開き直る。

遅い新年会だった。私は勉強会の脱落者なのだがありがたいことにお声がかかり、ちゃんとカレンダーに書き込んだ。

日曜日の朝、いそいそと家を出て、デパ地下でデザートを探した。なんせ口が開かない。どんなに美味しそうでも自分が食べられないのは当然パスだ。前日、バナナチップスを囓っていて故障の方の顎に直結する奥歯が痛くなった。なのに目の前にシュークリームのかけらを差し出され、思わず受けとって食べようとしたのだから相当、食い意地が張っている。が口に入らない。く〜。実は顎がと言い訳をしながら、ちびちび囓ったのだが、固い皮のシュークリームで再び顎に激痛が。なんということだ。

地下をぐるぐる回っていつもの出口と思われる所に向かった。よく知っている場所なのに外に出ると景色が一変していた。長らく工事中だった箇所が完成していた。目印がない。見たことがない。デパートの周りを一周し、数人に聞くがみんな知らない。仲間は勉強会の真っ最中で電話するのもはばかれる。住所も知らない。地下に再度潜り最初からやり直すがやはり正しい。ついに痴呆症が本格的に発症したと思いましたね。私は誰、ここはどこ状態なのだから。

ようやく地元の人を捕まえて教えて貰ったのだが、なんということはない、1つ先にいつもの道が出現した。ほんのちょっとのことでこうなるとは。人生もこんなものなのかもね。

息を切らして約束の時間に10分ほど遅れて到着。入り口のベルを押すが応答無し。勉強会が終わりみんなでおしゃべりしながら用意をしているのだろうと携帯で連絡するが誰もでない。突然、25日という言葉が頭の中でひらめいた。25日に何かあったはずだ。今日は18日。もしかしたら。彼女の車はある。いるはずだ。そこに、出てきた。パジャマの上に尻尾付きの恐竜の着ぐるみ、それもピンクの、を着た彼女がw

望みうる限り最高の学歴と職歴の持ち主で、普段質素なごく普通のおばさん服しか着ない彼女がピンクの恐竜の着ぐるみを着ているとは。しかも似合っていて可愛い!寛いでいるところを襲ってしまった。本当に申し訳ないことをしてしまったのだが、尻尾を掴んで振りまわしてみせる別の側面を見られただけでおっちょこちょいにも間違ってきてしまって良かった。

彼女は先月末に母親を亡くしたばかりだった。父親は既になく、一人娘は海外。一人での喪主。辛い時間を過ごしていただろう。二人で持参のケーキを食べながら、長々と話をし、話を聞き、ゆったりとしたとても良い時間が持てたと思う。私の馬鹿さ加減も少しは役に立ったのかも。

 

あらゆることに意味があるって、だれか言ってたような…と自分を慰めるw。

IMG_3159歯科医は家の中の10箇所ほどに星印を貼り付け、見かける度にリラックスするようにとわざわざメモしてくれたが、これだけゴロゴロ、リラックスしているというのにこれ以上どうすればいいだろう…。新聞もテレビも本でさえ、目にすれば神経がピクリとする。そもそも何かを読まずにいられない。出かけても色々ある。とかくこの世は厄介だらけ。見回すとどうも厄介が寄ってくる私のような人種と楽に波乗りする人種がいるような気もする。

母の所に行った。3、4日前に差し入れた新しい今治と強調したいw、バスタオルが早くもなくなっていた。母が膝掛け用に使う物なのでお風呂などで紛れることはなく無くなりようもないのだが、ヘルパーさんの機嫌を損ねないように言葉に気をつけ、多分どこかに紛れていると思うので探して欲しいと下手に下手にお願いする側から母がハンガーに掛けた服も何枚もなくなっていると騒ぎ出す。確かに。家からも持ち込み、10本はあったハンガー数本が服もろとも消え、ロッカー内はがらがらになっている。考えたくないが腹立たしい。新しく黒のパンツと日記帳を買って持って行ったのだが黒い物にはタブにしか名前が書けない。日記帳は表紙と裏表紙の両方に大きく名前を書いたがこれはさすがに大丈夫だろう。だがこういう思いをするだけで気分が落ち込む。ついでにスカーフがなくなっているのも発見…。

夜、エビのフリッターを作っていた。はねるのでガラスの蓋をしてこりゃ良い具合だと思っていたのだが、調理台に蓋をのせようとして台から落下。大きめのマットを敷いてあるからそこに着地すりゃいいものを残念、数センチ外れて木っ端みじん。動けない。アクロバットのような姿勢でガラスの破片を周囲から取り除き、可動域を広げつつ久しぶりの丁寧な拭き掃除wをしている間に、フリッターも炒め物もすっかり冷めてしまった。マットにもガラスが刺さり、中に入り込んでいたので目に見える分は取り除き、洗濯機に。

時ならぬ騒動で冷えた夕飯となったが、気になっていた台所はとりあえずきれいになり、強で洗濯したマットはとってもきれいになった。ついでに私も柔軟体操ができたw。

まあ、バスタオルや洋服などが盗まれても、母は元気で怒る気力もあり、何もない施設暮らしのアクセントになったかもしれない。終わりよければすべてよし、としよう。

そうそう、ライブドアにフォントが勝手に所々大きくなり、白抜きになることを報告したのだが、すぐに返事はきたもののあまり変わりはない。大人しく諦めることに。私の好みではありませんと一言いっておこうっと。

また寒波が来ると言うし、しょうがないので嫌々ながら大学病院に行ってきた。

予約の電話口ですったもんだしたのだが、顎関節症というのはかなり多いと聞いていたのに大学病院までやってくる人は少ないらしく、紹介状を持参して病院の窓口に直接行けば良いことが判明。肩すかし…。でも少なそうで一安心。

この病院の敷居の高さが功を奏しているようだ。紹介状無しだと8000円だというがお金を払えば見て貰えるかというとそうでもないらしく、それでも私の前に窓口に並んでいた女性は断られて、長々粘っていたがダメだった。私の直前の人はじれて隣の窓口に行き、前が進まないと訴えたが、元に戻るように言われふてくされてたw。

しかし、最初の難関、診察券を受けとるまでが4、50分と長かったがそれからが早かった。個室ではなく、大きな部屋にずらりと間を開けて歯科の椅子とファイル棚などで仕切ったスペースが多数。医師も多数。懇切丁寧な診察と各種レントゲンで2時間あまり。

頭蓋骨の精巧な模型や図表その他を駆使して顎の動く仕組みや筋肉等、ワタシの顎や筋肉に触りながらの講義。両方の首筋、肩、その他、ワタシの筋肉はたいして家事もせずゴロゴロしているというのに、医師も驚くほどバリバリに凝っているらしい。スゴイですねを連発された。しかし、まあ、何度も手術を受けたし、病気の問屋なのだが、こんなに丁寧に説明して貰ったのは初めてで、知りたがり屋としてはとっても充実して面白かった。開かない口を無理矢理どこまで開けられるかなどと力任せにやられるので痛かったけど。

で、おかしかったのは顎関節症を発症してやってくる翻訳者の多さ。先生に、え、多いなあ、偶然かなと思っていたのに、またですか。5人目ですよと言われたこと。ストレス、奥歯の食いしばりなどが限界を超えると発症するらしいが、絶えず締め切りに追いかけられ、集中して仕事をするのでどうしても奥歯を食いしばることになるようだ。やれやれ、職業病は腱鞘炎や目の痛み、肩こりだけではなかったらしい。辞めてもうそろそろ半年だけど、長年の疲れはなかなか抜けないのね。

手術は効果が期待できないのでリハビリでなんとかしなければならないらしい。先生ががーっと口を開けさせるのと自分でやるのとどちらが良いかというので、そりゃあまあ自分でやる方がマシだ。ということで壁に手順が書かれた紙を貼って1日4セット×4回のトレーニングに励んでいる。しかしなあ、自分でやると他人がやるより我慢して強くやってしまうのでやりすぎないことと言われたが、自慢じゃないが我慢強くない、真面目でもない。自分に甘いワタクシなのだ。痛いのよね。強すぎないことと言われたことを良いことに、こんなものでいいよねと、3回目ぐらいでため息。続くかなあ…。

しかし、口のリハビリ中ではあってもお喋りには影響はない。お気の毒様w。

IMG_3163←棚の奥にため込んだ紙袋多数。
整理整頓しようとひっぱり出したがスゴイねえ。
塵も積もれば山となるの見本。無駄遣いの証拠でもある。
この山が崩れてもたいしたことにはならないけど…。

顎の精密検査を受けることになり、歯医者さんで大学病院の紹介状をだしてくれた。

有名どころの大学だから待ちそう。それだけで戦意喪失なのに、紹介状があっても当日はダメかもしれないから電話をして調べてと受付に言われ、ネットで調べると、人気大学だからか、高齢化で故障持ちが殺到しているからか、まず電話で予約を取るようにとの指示がありその下に表が…。

銀行や郵便局でよく見かける混んでる時間を示す表だ。それも受付時間は週日の12時から16時まで、すぐには電話がつながらないらしい。ますます嫌になる。

でも仕方ない。じっと時間が来るのを待つ。12時から1時は特に混んでいるようなので2時近くを狙う。で、食事を済ませ、なんやかんややっているうちに…忘れてしまう。あ、時間が過ぎたと、月曜日、母の所を先に済ませようと行き、頭痛で早引けしたけどケーキを食べるかと誘われ、大喜びで娘宅でお茶とケーキを食べているうちに時間切れとなった火曜日。お嫁のSちゃんから土曜日に赤ちゃんを連れて会いに行くとメールがあったので足下が悪いから私がといそいそ出かけ、顔がおむすび形にすっかり太った赤ん坊を抱っこして幸せ気分で帰り道に図書館に寄り、はっと時計を見上げると5時で愕然となったのが昨日。[読み直したら曜日が合わない。考えたら母の所と娘のところの2箇所に同じ日に行ったことを思いだし修正しました。毎日が日曜日だと今日が何曜日かも分からなくなるのよね…。痴呆症のテストに受かる日も近いかも!]

ここまで連続で「大事な」電話を忘れるのは、内なるワタシが痛いの嫌だ、何時間も待つのも嫌だ、電話がつながるのをずっと待つのも嫌だと思っているからに違いない。こらしっかりしろ、と言い聞かせてもねえ、潜在意識というヤツはどうにもならない。

昔、元亭の上司の奥方から余計な電話があり、わざわざありがとうございますと言っているつもりでいちいちありがとうございますと言ってしまい焦ったことを思い出したw。

今朝、対岸の山肌の巨大な滝が山ごとざあっと崩れる夢を見て慌てて目が覚めた。これも何かの潜在意識かなあ。先日のため込んだ紙袋の残像?それとも…予知夢?キャッ。

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