あんなこと、こんなこと。どんなこと?

自分の言葉をしゃべりたくなった翻訳者のきままな独り言:多様だから価値がある。反論、異論大歓迎

2019年01月

自分のことを棚のずっと上の方に置いていうのだが、世の中、おかしな人たちが大勢いるねえ。
日本人には個性がない等と言ったのはどこのどいつだw。

秋に一緒に旅行してエライ目にあったY子、あんなにアートを下らないとか、詰まらないとかけなしたというのに、生田の岡本太郎美術館に行ったと写真を送ってきたときに、もう係わりたくないと精一杯の皮肉を込めて「アートは下らないと言っていたのにどうしたの」と返事をしたのだが、彼女はめげない人だった。

忙しいから電話にでられないと断ったら、ちょくちょくメールや写真を送りつけてくる。そして、今日も写真が送られてきたので、青山の岡本太郎美術館を勧めつつ、美術愛好家になったのかと、皮肉の第二弾をメールしたら、かなり傾いている。昨年は本当にお世話になりました、なるメールが♪マーク付きで送られてきた。負けた。どうもまた旅行にでも誘うつもりのようだ。でももう甘言で家から引きずり出されないぞ、とこれを今年の誓いとするw。

近所に住む30年来の友人で京都に一緒に旅行してイビキのすごさに仰天した、Fさん。昨秋、虫の居所が悪かったらしく、私が20年も前の引っ越しの際に彼女に通知を出さなかったと突然怒り出し、友達じゃないと絶交宣言された。私の前に彼女も引っ越し、手伝ったのだが、彼女も私も同じ地域内での引っ越しで彼女も通知を出さなかったのに、それを忘れて今頃何を言うと呆れて反論もせずに別れたのだが、先日、公園で私を見つけてかけ寄ってきて、何事もなかったかのように上機嫌で話しかけてきた。

トルコに共通の知人Aさんと旅行したのだが、Aさんが旅行中に突然、切れて絶交されたという。こちらは、あ、イビキのことを告白せずに旅行したなとぴんときたのだが、ね、変な人でしょなどと言う。海外で何日も眠れない夜を過ごしたに違いない可哀想なAさん。私だって二度と彼女と一緒に旅行など行く気はない。

まあ、仲直りするのは嬉しいことなのだが、皆等しく歳を取り、体だけではなく感情のコントロールも上手くいかなくなっているのがよく分かる。歳を取るって大変だと今更ながら晩年の父を冷たい目で見たことを反省。ワタシは少しはマシな婆さんになれるだろうか。ダメだろうなあ。抑えられないから後悔するのだし。父が社交家だったから、晩年、母がどれほど大変だったか、長女だからって、側にいるからって私にばかり手伝えって言うのは何よと反発していたのも反省。今頃反省してもどうにもならないけど…。

頼んで嫌そうな顔をされると頼めなくなる。重ねて頼むのはエネルギーがいる。助けが必要な人ほど助けてと言わずに黙って耐えるしかないのは皮肉だ。元気なときには年末の掃除や調理などをせっせと手伝ってくれていた娘たちがガンバレ、体を鍛えなくちゃ、などと手は出さず口ばかりになったのは私がアレとコレとと指示するのも面倒になって前より静かになったせいかもしれない。

今年も嫌がられても、せいぜい、先回りしてお節介し、頑張ってしつこく助けてとうるさくして、将来の後悔の元を取り除いてあげねばと、おかしな誓い第2弾。段々こうやって意地悪婆さんに近づいていくような気もするw。

青い空にぽっかりと気持ちよさそうな雲が浮かんでいる。

暖かな日差しが差し込んでいるが、私は騙されないw。

遠景の杉の大木の並木の梢が激しく揺れている。まだダメだ。

母が泣いているんじゃないかと気が気でないが、咳がまだ残っている。やっぱりダメだ。数分の距離ならともかく、カートを引っ張っていける距離じゃない。途中で遭難する…。

昨年、1年間、風邪にもインフルエンザにもかからなかった。強くなったね、ワタシ、などと悦に入っていたのもつかの間、都心の大学病院に行き、殆どの人が数ヶ月で治るのに珍しいなどと言われて、新たに漢方薬を処方され、意気消沈したのがまずかった。

気分を直すのは、買い物、だよねw。娘と待ち合わせてデパートのお歳暮解体セールへ。思いっきり配送料が上昇していた。2回に分けての配送は馬鹿馬鹿しいのでワイン4本は諦めたが、缶ジュース50本他大量に買い込み、デパ地下でもたっぷり買い込み意気揚々と引き上げた。インフルエンザ大流行中で警報が出ているのに、いい気なワタシ…
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そして1日おいて、今度は浴槽などを物色しに大型展示施設へ。3箇所を見学予定が最初の1箇所でカタログ+お土産の石鹸類が重くて1箇所でギブアップ。なのに、お総菜類をデパ地下で購入、欲があれば力が出るw。独り暮らしにこんなに買い込んで食べるのに苦労すると思いつつ帰ってきたら、にわかに発熱の予感が…。娘にもしかして熱を出すかもとメールして寝ていたら、娘二人から交互にメール。下の娘がポカリ他を買い込んでやってきてくれた夕方頃には40度近くに急上昇。ぼーっと寝ていたら、おでこにぴたりと熱さまシートが貼られ、もう少し歳を取ると、コレで心臓麻痺になるかも知れないと娘に警告しなくちゃと思うまもなくひたすら咳と夢うつつの日々へ。娘が毎日買い物して届けてくれ助かった。息子は音沙汰無し…。まあ、うるさいばかりで役に立たないからこれでいいのだがw。

で、早いねえ、10日近くが経ち、それなのに、まだ本格的には回復しとらん。何回となくインフルエンザにもかかっているし、風邪なら数え切れないほどかかっているのに、今までと全く違った。インフルエンザ特有の棍棒で殴られるような関節の突然の痛みはなかった代わりに、もう大丈夫になるはずの熱も下がった頃に、血圧が急降下し、全身を冷や汗が流れ、トイレの中で倒れたくないと思ったら、気がつけば洗面台の前に腹ばいに倒れていて、救急車を呼んでも玄関まで行けない、娘は会社だと奇妙に静かに横たわるという経験もあった。じっとしているうちに復活したが、体が大きく変化しているのだろう。これまでの経験が余り役に立たない段階に入ったのかも知れない。

さて、終活かあ、嫌でも始めなくちゃいけないのだろうなあ。で、リノベーションはどうしよう。あと何年暮らせるかだ。結局、最少限度、手直し程度で良いような気もしてきた。ぼおーっと残りの人生を過ごせればそれで良いような気もする。酔生夢死、生きること自体、結局、すべて夢の中だもの。

森山良子の涙そうそうを耳にする度、泣いていた時期があった。
泣くのが分かっているのにCDを買ってきて、聞いては泣いていた。

元姑が亡くなった後のことだ。彼女のおかげで自殺をしたいほど追い詰められ、我慢の限界で海外へ逃亡したようなものなのに、男兄弟しかおらず子供も男二人だけという彼女は、恐らく、若かった私をどう扱って良いか分からず、勝手に合い鍵を作り、せっせと押しかけてきてタンスの中まで整理し勝手に家具を購入したり、彼女なりの精一杯の愛情を、私にとっては恐怖の愛情を、注いだのだろうと思う。今でも、ごめんねと思う。離婚して長い年月が経っていたのに手術の時にも側にいてくれた元姑だった。

その頃、母とは良く角突き合わせていた。何かというと長女でしょうが出てくる。言葉はいつも命令形。頼むことはしてくれないのに、要らないと言うことは嫌がらせのようにする。波長が全く合わない親子だった。何回かの手術の時にもその後の3ヶ月間の入院の時も足繁くきてくれたのは、母ではなく元姑だった。

なのに、母が認知症になり、自分では何も出来なくなってから、なぜだか母が程なくして亡くなるかも知れないと想像するだけで泣けてくるようになってしまった。

ヘルペス騒動前後から母の知能が急坂を転げるようにってこのことねと思えるほど急激に下がっていき、お正月に合計16人で集まったときにはちゃんと挨拶をし、乾杯の音頭を取ったというのに、先日、ヘルパーさんから危ないからパジャマはすべて引き上げて、昼夜兼用になるような上下に変えて欲しいと要望された。もうズボンも上着も、スプーンもカップも何も区別できなくなったというのだ。クリスマスに母にパジャマを買ったところだったのだが…。

ヘルパーさんの話を聞きながら、情けないことに涙が止まらなくなり、仲良くしているお掃除のおばさんに事情を話している間も涙が溢れ、大量の衣類を詰め込んだ重いカートを引っ張って帰りながらも、ぽろぽろ涙がこぼれた。どうやら涙腺が決壊したようだ。

今朝も泣けてきたので米国の妹に電話をした。妹は南半球への引っ越し騒ぎで私のように感傷に浸っている暇はなく、馬鹿話をしている間に涙も乾いた。米国は時差が反対だから夜中でも夜明けでも妹に電話をかけて愚痴をこぼせたのが、オーストラリアでは時差はあまりない。これからどうしよう。娘たちは、忙しいのよ、ハイハイと受け流すか、感傷に浸ってないで、締め切りでしょ、仕事しなさいよと言うかの二択だ。

一緒に泣いてくれる相手はいないものか。無い物ねだりだなあ。電話したら一緒に泣いてくれるという商売があれば良いのに。で、そうだ、これぞ正しく、暇があり、話し相手の愚痴を聞いて親身になれる涙もろい年寄りの趣味と実益を兼ね備えたうってつけのビジネスじゃないかと思いついたのだった。馬鹿だねえ、我ながらw。でもその手のソーシャルワーカーとかコンサルタントとか日本にはいないよね。涙を流すと体内の化学物質が流れ去るので良いと聞くし、お涙頂戴の話を聞いて一緒に泣いて仕事になるのなら趣味と実益と兼ね揃えているようなものだ。誰か始めない?顧客1号になるかもよ。但し、お安くしてねw。


さっきから寒暖計を探している。いつもテーブルの上に乗せてある小型の物だ。昨夜も手にとって見たのは覚えている。テーブルの下にもないし、椅子の上にも下にもない。ぐるぐる周辺を探すがない。

最近、この家には四次元の穴があちこちに開いていると確信するようになった。ワタシが手に持つと、次の瞬間、消えてなくなる。そんなに私が嫌いなのか、ムッ。そして大捜索しても出てこない。捜索を止めると、馬鹿にしたように姿を現すものもあれば、永遠に消えてしまうものもある。

諸行無常だw。

先日など、半分食べたアボカドが冷蔵庫から脱走した。朝、半分に切ったら傷んだところがあったので傷んだ部分を取り除いて食べ、残り半分をラップでくるんだ。昼、残りのアボカドを食べようとしたらない。冷蔵庫、冷凍庫、野菜室、肉用の所まで何度も見たがない。ゴミ箱も見た。朝のゴミの袋にはちゃんとアボカドの種と半分の皮と傷んだ部分も入っていたが、ラップで包まれた残り半分はなかった。

今に至るも出てこない。物見高いどこにでも首を突っ込み何でも見つけ出す孫たちが変なところにあるアボカドなら騒ぐはずだが騒がなかった。連中はアボカドは嫌いだからお腹の中に入った恐れはない。やっぱり四次元は存在するのだ。

ワタシが消えたら、あ、四次元の穴にはまったと思ってね。

出遅れましたが


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神社にお参りしました。元旦にみんな揃って出かけるのは父が健在だった十数年前からのことで、いつものように息子一家は大幅遅刻で、娘たち一家とお参りが済んだ頃にエラソーに登場。まあ、あの息子がと昔のヤツを思い出せば、来るだけでも実に素晴らしい。おまけに、ちゃんと結婚してくれる人がいて、4人の子供の父親になっているのだから、感動ものともいえます。期待値は低いほど幸福度は高まるという良い例でありますw。

で、恒例のお神籤を引くと、大吉。最近、何年か連続して凶を引いたこともあるから、どうせせいぜい小吉さ、と思っていたのだから素晴らしいと言うべきだけど、「激流に掛かる丸木橋を渡るがごとし」というのだから、私の今年の運命は例年同様、ドタバタ激流に落ちそうで落ちないで何とか頑張れということらしい。しかし、これが大吉ねえ…。ケチと言いたいw。

すっかり草臥れた婆さんとなっているけど、前に進むしかないらしい。丸木橋をソロソロと四つん這いで進むように何とかやっていくとしますか。

相変わらず愚にも付かないブログですが、本年もどうぞよろしくお願いいたします。


さなえ(^^)/

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