あんなこと、こんなこと。どんなこと?

自分の言葉をしゃべりたくなった翻訳者のきままな独り言:多様だから価値がある。反論、異論大歓迎

2019年10月

有楽町で「パリに見いだされたピアニスト」を見て感激した勢いで、翌朝1番の映画がブログで素晴らしいと激賞されていた映画だったので迷わずチケットを購入、雨にも朝のラッシュにも負けずに2日連続で同じ映画館に向かった。

チケットを購入した際、翌日の席なのに席は全く埋まってない。予約購入者がゼロだった。こんなことってあるのねえ、びっくりだった。ピアニストの方は開演の20分ほど前に到着でほぼ満席で見上げる席wしか残ってなかったのに、時間になっても人が入らない。真ん真ん中の座席なのだが、私の前と横を足してわずか7人。終演時にざっと数えたが30名にも届かない。トイレも空いていたw。

色彩は美しかったし、アリアも美しかった。むろん、パリの街も素敵だったが、なんせプロットがねえ子供だまし。画面は大人向けなのに、惜しい。まあパリの街の実物をほんの一部だが知っているし、オペラ座の内部も見学した。出てくる絵画すべて実物を見ていたし、やっぱり実物に対面した高揚感にはかなわない。ないものねだりだけどね。

でも、この間心臓がパクパクするほど集中して見たドキュメンタリー映画、アポロ11完全版だって人によっては何だ詰まらないと思うだろうし、女性にはアポロよりもこちらの映画の方が断然人気だろう。ピアニストの映画の方は隣の席の人たちと良かったですねえと思わず言い合ったけど、これだって音楽が大して好きでない人が嘘っぽいと冷めた目で鑑賞すれば感激とはほど遠くなるだろう。

当たり前だが人それぞれなのよね〜。

図書館から返本の催促メールが来た。
そろそろ来る頃だと思っていたが、やはり。忘れてくれない。たいして面白くない本だが220ページ読み終わりあと50ページあまりなので読んでしまいたいのだが…面白くないと進まないねえw。
→ずるして中だるみ部分を飛ばし、最後20ページを読んでおしまいに。

ポイントが失効するとこれまたメール。本よりこっちの方に気を取られ、他のポイントに交換できるというので始めると、IDやらパスワードやら探し出すのも時間がかかる。おまけに他社のIDとパスを選択したらポイント交換用のパスまで要求され、右往左往。時間制限があり、時間切れの表示。ムッ!最初のログインページからやり直し。

上の娘がなにやら試験を受けに上京してくる。喘息持ちなので寝具や埃に気を遣わねばならぬ。埃を友としているのに一掃しなければならず一騒動。本気にする人がいるかも知れないのでひと言。友とは思ってないからご安心を。たまにしか気づかない空気のような間柄なの私達w。

バスターミナルまで出迎え、そこでベトナム料理。久しぶりに羊頭狗肉という四文字熟語をしみじみ味わった。ケチして安いバスを選んだら5時間かかったとかで、帰りは新幹線。娘はわーっとやってきて、わーっとしゃべり、あっというまに去って行った。

ご主人が3日間出張だからどこか行こうとK子から電話。行きたい美術館があって近くのホテルが良い感じ、そこさえ押さえれば後は好きなように計画してと言うのでああでもないこうでもないと頭を絞って提示したら、1泊が良いと言い出した。旅行や発表会で自分が疲れていることに気づいたらしいw。K子らしいというか、ワタシの早合点だったかも。でもワタシ希望の所ではなく彼女の希望の場所にすれば良いのに、私の選んだ方が面白そうって、結局、何なんだろうw。

「パリに見いだされたピアニスト」をヒューマントラストシネマ有楽町で。ピアノが実に素晴らしい。最初の音で背中がぞくぞく。ラフマニノフのピアノ協奏曲第2番のコンクールシーンでの演奏が圧巻。涙が溢れるほど素晴らしい演奏だった。お勧め。

書きかけでドタバタし、途中で数日経過w。腰の痛みが股関節まで広がっていたのがレントゲンで骨折も見つからなかったので、筋肉だけのことならもう痛みに構っていられないと頑張って歩き回ったら軽減。要するに運動不足だったのね。

ゴロゴロも大概にしろという体からの警告だったような…。


皇居上空に虹昨日、天皇陛下は無事に即位の儀を終えられたが、驚くべきことがいくつかあった。

天皇家が日本を治めたのは不思議な力を有していたからという説を紹介する本をだいぶ昔に読んだことがある。

昨今、水害が続くのは、まだ天皇陛下が即位の儀を終えてないので日本には天皇陛下不在であるからだという話がネットで流れ、天皇日和なる言葉もあるくらい晴れ男揃いであるにしても、そんなねえと笑っていたのだが。

即位の儀の富士山東京は相当な雨で、儀式のライブ中継中も皇居付近の激しい風雨が画面を通じて見て取れ、旗が1本飛んだという話も出たくらいだったのだが、次第に空が明るくなり、我が家にも日が差し始めた。皇居に虹

そして、同じ頃、皇居をまたいで虹がかかったという。同時に、初冠雪を頂く富士山も姿を現したという。

一夜明けた今朝は快晴で、真っ白になった富士山もしっかり見えた。なんだかほっとする。これで日本も大丈夫かもしれない。単なる迷信にせよ、なんにせよ、少しでも気分が明るくなることは大賛成。これで令和も正式に始まったといえるのかも。いずれにせよ、めでたいと明るく考えようっと。

ネットで流れていた写真をお借りしました。


武蔵小杉のタワーマンション群のうち1棟が台風19号による堤防決壊の余波を受け、電気が止まり、従って水も止まり、よってトイレにも行けない大変な状態になっているらしい。最上階の47階まで、あるいは途中の十数階であってもトイレの度に電気の消えた暗い階段を上り下りなど出来たものではない。

まあ、地震嫌いな私からしてみれば、地震だけではないが地球温暖化が叫ばれ、台風の数も勢力もますます増している昨今、災害の多い日本という国に住んでいてタワーマンションに住むという選択をする人たちのことがよく分からない。

だいぶ前のこと、タワーマンションの最上階に住んでいるオピニオンリーダーと呼ばれる人物と建物のことだけではなく彼の小学1年生の息子の電車通学に関しても論争になったことがある。彼は膨大な蔵書を巨大な壁一面にしつらえた本棚(はしご付き)に収納していて地震のことなど念頭になかったし、子供が通学途中で地震等で停止した際には、誰かが助けてくれる、自分も助けるから心配してないと発言したことに驚いたのだ。

自分は大丈夫、自分の子供も大丈夫と何の裏付けもなく考えられる、なんという幸せな人なんだろう。頭脳は一級のようだが、なぜ思いつかないのだろう。想像力が欠如しているのだろうかと訝ったのだが、彼のような人の方が多分日本では多数派だろう。

人生何が生じるか分からないと考えてできる限り備えようとするワタシとの落差は、恐らく、なんだかんだ言っても日本人の多くは身近に命からがら逃げてきた避難民や移民を知る機会のない、それまでびっくりするような大変な経験をしたことがない、幸せな民族だからなのかも知れない。

以前、現在のマンションを購入するに当たって考えた条件(その1その2)はそのまま今でも多少の役に立つかも知れないので、興味のある方は覗いてみていただければ幸いだ。

しかし、奮闘の甲斐なくw母親の言いぐさなど息子夫婦には届かず、2人は止めた方が良いと思える条件が重なる方を選んだ…。まあ、良い年をして母親の言うことを鵜呑みにする男はどうしょうもないとも言えるし、また息子をうるさいと思いつつも息子の肩を持つ嫁さんは息子には過ぎた嫁さんだと思う。よって、八方良しなのかもね。と、自分を慰めるw。

38941台風窓大変な台風でしたねえ。気を揉みましたね。皆様、大丈夫でした?なぜこんなに災害が多いのか、今回も大きな被害が出ています。少しでも被害を減らすにはどうすればいいのでしょうね。

史上最強クラスで、関東を直撃するというのだから、しかも瞬間風速が60メートルとか65メートルとかいうのだから、昨年の大阪を直撃した自転車置き場が空を飛び、トラックが横倒しになるシーンが頭の中をぐるぐるまわる。

何年か前の大規模修繕の際にガラスは強化ガラスに交換された大丈夫らしいのだが、高層ビルの窓ガラスにだって高速で物が当たれば突き抜ける。いきなりガラスが割れて室内に散乱するのは御免被りたい。

補強といっても、昨年、糊部分が残ってしまったのでガムテープは避けたい。養生テープが良いらしい。売り切れ続出らしいし前日午後ではもうダメだと思ったがこの間のリフォームで知った業者相手の店へ向かうと、店頭に山積みではないか。手に入れたぞ〜w。

↑こちらは娘宅の窓。理系なので几帳面。ワタシのは焦点などできなかったw。

しかし米印にテープを貼っても隙間が多すぎる。どうしよう。しかし、幸運にもw腰痛のおかげでAmazonでかなり買い物したので段ボール箱がいくつか手元にある。腰痛で捨ててなかったという幸運も重なったw。広げて戸の枠に貼り付けた。その上からカーテンを閉め、これでもかと、開かないようにクリップで留めた。完璧w。

その間も刻々と情報が入ってくる。ノンちゃんマンのご両親は多摩川に面したマンションのそれも1階だし、母の妹である93歳という高齢の叔母は石神井川の前の一軒家、川は両方とも刻々と水量が増していく。娘に騒がないでと怒られながらも聞かずにいられないが、そのうち、ノンちゃんマンのご両親が避難したことが分かりほっとする。叔母宅は鉄筋3階建てなのだが、昨年大腿骨骨折で杖をついての歩行なのだ。階段を上がれるのだろうか。電話で聞くと鼻息の荒い従姉妹があら、母は大丈夫よ。特注の上りやすい階段なんだからというので、心配しないことに。

長野の上の娘は、電話したら、電池が減るじゃないの、電話しないでと、まだ停電になってもいないのに半分パニックになっているので祟りがないよう電話を切るw。まあ市内の高台なので大丈夫だろう。

早々と9時半過ぎにパジャマに着替え北側の部屋のベッドに入った。うとうとした頃、突然聞いたことのない音で携帯が鳴った。国土交通省関東地方整備局からのエリアメールとやらで、外ではどこにスピーカーが仕込んであるのか大きな声で直ちに命を大事にする行動を取れ、避難しろなどとの叫び声が始まった。間髪を入れず娘から電話で、いきなりでびっくりするねえ、川が近くにないうえに、マンションの上階にいるのに避難なんて言われてもねえ、行かないから。そうよね。と再びベッドに潜るが気になって起き上がり服に着替え、一応台風が通り過ぎるまでテレビを見ることに。

段ボールのおかげか南風なのに随分静かなのでパジャマにまた着替え今度は南の和室の布団で寝たのだった。

IMG_0282朝起きたら見事な台風一過の青空だった。
ゆっくり朝食を終え、オーストラリアの妹と電話していたら娘が、前日ワタシが半日かかって苦労して取り込んだ植木鉢などを出しに行くからと電話。ゆっくりきてねと答えたのにたちまちノンちゃんマンを従えて現れ、バタバタきびきびと働き、ワタシに指示し、たちまち混沌に秩序が戻り、あっという間にやってきてあっという間に去って行った。まるで台風のようだった。こちらはありがたい台風だが…。

長野の娘から電話。静かねえ、電話してこないの?などというから電池が減るって怒鳴ったでしょうがというと、台風は去り、恐怖も去り、機嫌が戻っていてハハハハと笑ったのだが、台風はもう当分、日本に近づかないで欲しいね。

↑ベランダからの富士山。黒いモヤモヤはレンズに付いた塩の傷。見なかったことにして〜w。
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ワタシという人間がどれほどドタバタと毎日を送っているか、長年の読者の方はお分かりだと思うけど、最近、ワタシの運勢は嵐の下というだけではなく、実は嵐の後の晴天も入っているのではないかと思うようになっている。勝手な思い込みだが気分は良い方が良いからこれを採用w。

というのも、日曜日、近所のスーパーに買い物に出かけたのだが、突然、なぜかスーパーの入り口にさしかかったときに、そうだ母に会いに行かねばと思い立ち、買い物袋を下げたまま、母に渡す品もあったのに構わず方向転換。そこから数分のところにあるバス停に向かった。1、2時間に1本しかこない、過疎地のような所である。放射線状に電車や地下鉄が延びているので自宅からはほぼすべての主要ターミナルまで30分かからずに着くというのに、母のいる施設の駅まではぐるりとターミナルを経由したくなければ、線と線の間をつなぐバスを待つしかない。しばらく待つようなら行くのを止めようと思ったら、5分でバスがやってきた。

母は食堂の椅子に座り、丸くなって眠っていた。

お母さん、声を掛けたら、痛い〜と振り絞るような小さな声が聞こえた。
左肩を掴んでいる。眠いのではない。明らかに心臓発作を起こしている。

すぐ側にいた係の人は今まで元気だったのにといぶかるが、心臓発作を起こしているから急いでと看護婦さんを呼んで貰った。自慢じゃないがワタシはいつも発作止めのニトログリセリンを持ち歩いている患者だ。それを舐めさせたいと訴えるが、母に処方された薬でなければ与えることは出来ないというので押し問答になった。

心臓発作の場合、一刻を争う。おまけに心不全で危篤に近い状態から退院して間もない。誰のであれここに発作止めがあるのだから、しかも副作用はほぼない薬なので緊急事態には目をつむっても良いのではないか。いっそのこと、目を盗んで舐めさせようかと思ったが、実行には移せない。

母はベッドに移され、しばらくすると発作は治まってきたようで、丸くなってはいるが、話せるようになり、しきりに死ぬときには側にいて、手を握って、と言う。片手で手を握り、片手で背中や肩を撫でているとだいぶ落ちついてきて、胸がぎゅうっと痛くなって肩が痛くて、このまま死ぬと思ったと饒舌に話し始めた。

看護婦さんは彼女の一存ではどうにも出来ないと、医師に電話をしてくれるが、やはり人の薬は与えてはならない。で、救急車の出動となり、看護婦さんも付き添ってくれて前回の心不全の時の病院へ。

前回、入院の際の大量の書類には娘が書き込んでくれた。今回も眼鏡も持ってきてないし細かな書類に書き込めない。このまま入院になると困る。娘に電話すると、前回同様、ノンちゃんマン付きでやってきてくれた。ほっとする。一連の検査後、一応、落ちついたからと施設に看護婦さんが付き添ってくれて戻っていった

もうかなり夜が更けた道を三人で帰っていった。途中のカフェでヘビーなサンドイッチを3種類とり、分け合って夕食としたのだが、そういえばと、数週間前も、気持ちの良い秋の日、3人で母の施設のお祭りに招待された帰りにカツサンドをお土産に頂き、テニスコートを取り巻く花壇の前の大きな木の下のベンチでカツサンド+つまみやサラダ、ビールを飲んで気分良く酔っ払ったことを思い出した。

呆れるほどのドタバタ人生だが、危ういところでいつも助けが現れる。結局は、幸運にも恵まれたなかなか良い人生ではないか。幸せだなあ、ワタシ。

しかし、虫の知らせってやっぱりあるのね〜。



ようやく外を少し長めに歩いてみようと思えた先週のこと。
図書館に本を返しに行った。暑さもひと頃ほど酷くない。ホームレスと見間違えられるほどぼさぼさの髪の毛を何とかしなければ。図書館は駅から数分、美容院は数駅乗って徒歩2分。これなら歩けると電話をしたら、今日はひどく混んでいて無理と断られた。じゃあ翌日はと聞くとガラガラだというので予約する。次の日はMRIの予約が11:00に入っているので12時半から1時頃からに設定。昼食は美容院の後にデパートに回ることにしよう。

元気が出てきたのでプチケーキを買って母の所に向かう。母は食堂のテーブルに2日分の折り畳んだ新聞を置いておやつを食べていた。読んだ形跡なし。チラシを眺めた跡もない。しかし、母の自尊心にはかなりプラスに働いているようでこれはこれで良し。部屋に戻ろうとしないのでプチケーキはそのまま持ち帰る。名前を呼んでくれたし、気分は上々w。

翌日、十時半頃に病院に到着。循環器の薬1種が切れてたので手続きをするが、MRIの予約が表示されない。なんと、なんと、美容院と病院をまとめて行こうと考えていたためか、1日早く来てしまったことが判明。そうだ、私には診て貰うべき腰がある。ちょうど良いw。

レントゲンで骨の状態は悪くないが、背骨が右に曲がっていることを指摘される。前途多難とだめ押し。まあ、頑張って仕事をしてきたツケで、しょうがない。腰が椎間板ヘルニアでないことが分かっただけで万歳だ。せめて肝臓にこれ以上の負担は掛けたくないので、痛み止めは断る。湿布を70枚出すというので半分で良いと断ったのだが全量が出て重い。

重たい荷物を抱えて美容院、そしてデパートへ。大北海道展をやっていたので、エビとブロッコリーのスープとパン3種を食べ、ソフトクリームをなめて帰宅。なぜだか帰りにエビとブロッコリーを買いw、夕食はエビとブロッコリーのスパゲッティを、ニンニクをきかせて作るw。美味しいが、2食連続同じ食材をわざわざ食べることもないのに、変なヤツだねえw。

翌日のMRIはいつもの耳栓ではなくヘッドホーンに変わっていたが、音がいつもより猛烈で難聴に数歩近づいた気がする…。脳外の医者は実に威圧的で嫌なヤツで(これまで出会った脳外科や脳神経内科の医者が1人を除き、全員が同じエラソーなけんか腰のタイプなのはなぜだろう)、虚血性脳梗塞の跡があるがたいしたことない、赤ん坊の時の普通は消える血管が残っているが珍しいが異常じゃない、と高圧的に2分ほど話しただけで終えようとしたので、様々な異常の原因は、なぜ生じているのかと聞こうとしたら認知症だと判定されたいのかと一喝。看護婦さんに追い出された。彼女もまた認知症と認定されたいのかというので、ワタシがなぜ今のような状態なのか、今後どうなるのか説明が聞きたいだけだと言ったのだが、さっさといなくなってしまった。

恐らく、うるさい婆さんだ、どうせ説明しても分からないくせにと判断されたのだろうが、自分の体だ。専門家であればなぜ日時の誤認などの現象が生じるのか、対処法はなにか、今後このまま認知症に進むのか、求められればきちんと説明する義務があるのではないのか。ワタシはこの先どうなるのか、認知症ではないと判定されただけで放り出されても困るのだ。

プンプン早足で14000歩も歩いたら腰の痛みが軽減したw。用事はこれ以上ないタイミングですべて上手く処理でき、結局はめでたしだが、まずは、立花隆の「脳を極める」という購入したまま長らく放置していた本を読むとするか。



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