あんなこと、こんなこと。どんなこと?

自分の言葉をしゃべりたくなった翻訳者のきままな独り言:多様だから価値がある。反論、異論大歓迎

2020年05月

昨日、よくお邪魔するあんこさんのブログで年金手帳もOKとあったのを読み、そうだったと、ごそごそと母の年金手帳を探し始めた。でも、皆さんご想像の通り、見つからない。一応、両親の物はまとめてあるのに一体、どこに消えたのか。

年のせいだと娘は言うが、少しでも気に掛かることがあるとすぐ目が覚める。今朝も、4時半にはぱっちりと目が覚め、直ちに本格的に家捜しを始めた。朝飯前だったが朝飯前とはいかず見つからない。父の年金手帳もない。二人揃ってないとはこれ如何に。

一時長野の妹に引き取られた際に忘れてきたに違いないと思いついた。10年ほども前のことだがその頃から母に認知症の症状が出始め、物がなくなる、盗られると始終心配していて、東京に戻ってきた後になって、妹からソファーの下に隠してあったと通帳の束が送られてきたことがあったのだ。年金手帳もベッドのマットレスの間とか、どこかの隙間とかに突っ込んで隠した可能性があるのではないか。妹に連絡して捜索するよう頼んだが出てくるだろうか。妹は今更と嫌々の様子だが、まあ仕方がない。諦めて頑張って貰うしかない。

目の前にある物さえ見つからないことが多い昨今、もしかして私がどこかにしまい込んだ可能性がなきにしもあらずかもと私の方も自分に自信がもてない。でもなあ、母の物なら必要だが、父が亡くなった後なので両方しまい込むはずはない。証書類はまとめてちゃんと保管してあるし何度も確認したし、とブツブツ言いつつも、今日もまたあてどなくあちこち1日中捜したのだった。給付金への道は果てしなく遠い…。シクシク。

こんなに面倒くさがりでナマケモノの私の所に何かと面倒で時間のかかる出来事が降ってくるのは、嫌がらせ?それともこれ以上の劣化を防ごうとする天からの愛の鞭?さて、どっちだろうw。

まだ目がおかしいのに懲りない私は、ダメダメと言いつつ、ついついPC画面を見てしまい反省の日々なのだが、私の一連の思い(例えばこれ)に部分的にだけど沿ったような記事に出会ったのでご紹介します。あ、もちろん、私の記事みたいにとっちらかってないし、きちんとまとまってます。

目の調子もだけど、上の娘にもとっちめられw、孤立無援のような気分になっていたけど、同じような考えの人がいるというだけで嬉しい。どうだ、娘といいたいけど10倍返しが恐いから言ったつもりw。

2020年5月25日付JBPress 記事「コロナが来て分かった、日本社会が抱える3つの課題」朝比奈一郎氏(青山社中筆頭代表・CEO)

ようやく日本は良くやっている、成功しているという記事が海外でも出始め、ちっとも成功しているとは思えないxx国を見習えとか、xx国ではという人が減っているようなので気分も落ちついてきたw。

コロナ騒動は数年間は続くと覚悟すべきだと思うし、第2波、3波が来るのは避けられないようだが、次までには、テレビの視聴率稼ぎの番組に煽られ、専門家でもないおかしなコメンテーターや芸能人の言葉に振りまわされあたふたする状態から脱け出ていたい。

おっちょこちょいではあるが大抵のことには動じないK子でさえ国民全員PCR検査をすべきなどと言い出すのだから、まったく、これはテレビを消そう運動をしなくちゃなどと思ってしまうヒドさだw。

ただ、不思議なのは、PCR検査は単なる検査、それも精度が70%程度という検査に過ぎず、陰性がでたとしてもそれが今後感染しない保証にもならないし、治療でもないのになぜ検査に固執するかだ。

今日、検査で陰性とでたとしても、帰り道に感染して数日後には患者ということだって充分あり得る話で、単にその検査当日では陰性、それも完璧ではない不確かな陰性であると分かるだけなのに検査をすれば安心するって、メンタル、私には理解できないのだが…。私は少数派なのかなあ…。

2020052411360000いよいよ自粛生活も終わりが見えてきた。
どうやら5月25日月曜日、つまり明日から緊急事態宣言が解除、晴れて自由の身となりそうだ。

3月、4月は親子連れやジョギングの人たちで混み合っていた公園も、連休前には遊具の場所も運動場も封鎖され、すっかり人影が消えていたのだが、明日からはまた子供たちの声が響くはずだ。木々も嬉しいだろうね。

いやあ、長かったね。母の入院、手術もあって、また目の不調のせいで病院に行ったせいでビクビク過ごし、近所の頑としてマスクをかけないおじさん、おばさんから話しかけられる以外w誰とも会わない孤独な生活ともお別れとなるはず。といっても、ウイルスが消え去ったわけではないからたいして日常が変わるわけではないだろう。鏡を見る度、いくら何でも美容院に行かねばと思うが、いや、ぼうぼうの髪の毛で死ぬわけない、ガンバレともう1人の私が言う。まあね。自分の顔は鏡がなければ見えない。へっちゃらと思えばへっちゃらなのだw。

2020052411320000我が5階の窓から木々に邪魔されてはいるが下の娘宅の北側の窓が見える。その2つ横には息子一家が入ったかも知れない窓も見える。屋根裏部屋があるという理由で、本当は私から距離があるという理由だったかも知れないがw、徒歩30分ほどの所に引っ越したが、孫たちと手旗信号で遊べたかも知れないのに実に残念。毎日娘宅を遠く窺うw。娘も毎日、私の部屋の明かりをチェックして生きているかチェックしているらしく、遅く起きたりすればメールが入る。誰かとつながっていると思えるのは嬉しい。木々の葉が茂ってきたのでまもなく娘宅の窓は見えなくなるがコロナ騒ぎも終わる、はず。目出度い。

6月にK子と10日あまりかけた旅行に出かける予定で、キャンセルすれば良いのだからそろそろ宿の手配をと先月初めだかに頼まれたのだが、ここまで頑張ったから今年はもう旅行は行かないと言いだした。娘もウロウロするな、K子の言うとおりと彼女の肩を持つ。ああ詰まらない、1人で旅に出ようかとも思うのだがやっぱり当分我慢する方が正しいのだろう。でも、正しいって詰まらないねw。

先日のパソコンを眺めていたら突然左の目一杯に光が溢れた。片目だけ強烈な光。眼底検査で瞳孔が開ききったまま真夏の昼下がり、白く光る外に出たときの光を思い出して頂きたい。

自慢じゃないが、全身あちこち故障だらけの私だが、頭痛とはほぼ無関係だったのにその数日前から頭が痛く、しかも髪の毛を触っても痛いという状態がでていたし、急に視力が下がっていた。どこかにぶつかって忘れたのかと思ったが瘤はない。でまだ痛い。何だろね。と思っていたら左目の目尻の内部に出血!すぐ後に今度は左目の下まぶたの色が変わり赤くなった。

頭痛+目の閃光+出血+まぶたの変色、ね、コロナが恐いといってられない事態となりせめて予約と思ったが翌日以降とのこと。そんな、待ってられない。片目でwネットで調べたら光視症。下手すると網膜剥離で失明する場合もとあるではないか。一人暮らしで失明したら…本も読めない、どこも行けない、大変だ。生きていけない。無理だあ。近所の眼科も考えたが、コロナに罹患する可能性と網膜剥離からの手術の可能性とを天秤に掛け、乗りたくないが仕方ない。久しぶりに地下鉄に乗って病院へ出かけていった。ガラガラだった。乗客は一様に硬直していたがw。

ウン十年も通っている病院の眼科は循環器の隣にあり飛蚊症などの症状があるので馴染みの医師であり、電子カルテでこれまでの私の記録が一覧できる。あちこちのMRIやCTの画像も血液検査の結果もすぐに参照できる。便利な時代になったものだ。

通常は大して混まないのに医師2人体制だったのが1人になっていて10時少し過ぎに到着したのに午後に回るかもとのこと。厚めの本を持参して良かったと思ったのだが1ページも読まないうちに、症状を聞いて大変と判断されたらしく、飛び級ならぬ飛び患者となり直ちに眼底検査など各種検査を受けることとなった。

目に異常がなければ脳神経だからと言われたのだが、異常なし。そして、あなた、これまでも経験してますよという医師。網膜から硝子体が剥がれたというこんな激しい閃光、経験したことないのにと思ったら、少しずつ剥がれて飛蚊症として出現済みだって。「へえ」がまた1つ増えた。そして目の出血は別、下まぶたの赤みは何かのアレルギーで、ステロイドが処方され数日で消えた。それにしても同時期の一連の左目のトラブルが別々の原因だなんて、釈然としない。がまあ良かったと信じることにしようw。

そうそう、PCをやっている人はおかしな事を言う人がいるのよねと、医師は私を見て言う。何でも目の前を川が流れると訴えてきた患者がいたらしい。私は紫色のタイルが時々目の前に現れる。視神経が混乱しているのか興奮しているのかw。何事もほどほどが良いようで。

目の痛みは現在右目に移行中で、頭痛もする。次が待っているのね、むー。PCの明度を下げ、ブルーレーがでないという日暮れモードにした。目は半眼の構えw。これで当分やるしかない。70年超も使った体、そりゃ維持も大変だろうなあ、自分に優しくして上げねば、ネw。

病院に行くとコロナでコロリといきそうなので目が痛いのを我慢していたが、2週間経っても良くならないどころかひどくなったのでついに昨日、意を決して病院へ。

詳しい経緯はまた書くつもりだが、医師曰く、PCやっている人におかしなことを言う人が多いと言われw、PCは当分見ないことという禁止令が発令された。

ということで一両日くらい、大人しくする予定。恐らく我慢できずにササッと訪問させて頂くと思いますが、無言で立ち去りますのでご容赦を。

今年は母の日に母の所にも行かず、誰も来ずでがっかりだったが、息子と上の娘がどういうわけかウナギ+息子はどら焼きw、娘はウナギ+2種類わっぱ飯と気の合うところを見せ、下の娘は山形からサクランボ+カーネーションのブーケと、毎年花が揃っていたのが今年は可愛い小さなブーケが代表し、花より団子だろうと私の本性をウン十年目にして子供たち全員が看破した年になったw。

大変、長くなるので、これにて失礼いたしやす。

さて数日前のこと。突然左目に閃光が走った。非常に強い光が目の中に溢れた。マリア様でも見えたのなら良いのだが、強い光の中に灰色のぎざぎざした小さなボロの影のような物もみえた。しばらく前から目と頭が痛く、さてはコロナかと思ったのだが、どうやら光視症のようだ。網膜剥離につながるかもしれないと焦ったが、こんな時期に病院に行けない。なんせ基礎疾患2個持ちだ。眼帯を探したが見つからない。両目開いてても探すときには何も見つからないのだから片目で見つかるはずがない。目の前のテーブルの上にはアベノマスクが。二つ折りにして目に当て、包帯で頭にぐるぐる巻き付けて数時間、症状は収まった。目の痛みはまだ続いている。右目にも生じている。歳を取るって大変よねえ。未知の暗黒大陸への探検隊のようだ。先月97歳の誕生日を迎えた母が誰も来ない、忘れられたと泣いているのではないかと心配になるが面会は不能。そりゃそうだが、可哀想だ。母も私もとだれもいってくれないから自分で言うw。

連休明けで自粛から無罪放免かと思いきや、月末まで緊急事態宣言が延びるという。途中で経過を見てもっと早く撤回されることもあると言ってもねえ。もうそろそろ通常に戻していかないと経済が危ない。今回の状況を見ていると昔読んだ山本七平の「空気の研究」がどうしても脳裏に浮かんでくる。彼が今存命なら、なんといっただろうか。何年経っても日本は変わらないと嘆息したかもなあ。

未だにPCR検査しろの声が高い。CT検査で見分けられるのに、いつまで騒ぐのだろう。他国と同じでないことはすべて日本がおかしいとか遅れているというのはどうもねと思うのだ。他国にはCT検査できる設備がごく少ないのいうのに、日本の方がずっと死亡者が少ないというのに、日本スゴいにつながらないことが驚きだ。

米国では推定感染者数は一説では感染者数の50倍と言い、日本では12月にはすでに流行っていたという話もある。今年のインフルエンザの流行は例年より早く、しかも学級閉鎖もかなり多かったようで、それがすでに新型コロナだったとの推測する向きもあるようだ。

12月には多数の中国人が訪日していたのだから全くウイルスが持ち込まれていないわけはない。
ということは、知らず知らずのうちに日本には抗体を有する人たちが増えていたということになるのではないか。BCG説に加え日本で欧米のような感染爆発が発生してないことの説明にもなっているのじゃないかと、この説が正しくてめでたしめでたしとなることを願う昨今だが、この武漢ウイルス、抗体が出来にくいとも聞くが本当のところはどうだろう。

スエーデンは集団免疫を作る方にかけたが少々行き過ぎな気がする。さりとて中国政府の人を人扱いしないやり方など民主国家では到底無理で、日本は少しスエーデン流を取り入れた方針に思える。完全なブロックアウトではなくある程度自由に買い物も散歩もでき、店も開いていて、まもなく美術館や図書館も再開されるらしい。その間、無症状や軽い症状の人が増えて抗体を作る。そうなれば万事目出度しとなるのだが。こういうウイルスは根絶やしにはできないだろう。来年もまた再来年も、規模は異なるだろうが集団免疫ができるまで流行るとみておいて良いだろう。

ということは、来年、再来年も流行る可能性を念頭に資源のすべてを投入したりせずに経済を生かしつつやっていくしかないのではないかなあ。若者の死亡率が低いことははっきりしている。60歳くらいから高くなるらしいことも明らかなようだ。

高齢者や基礎疾患のある者はお家でそれなりに大人しく自粛し、子供や若者は勉強や仕事にいそしみ経済を回すという日常に戻り、それぞれが頑張ってやっていくしかないんじゃないのかなあ…。

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