あんなこと、こんなこと。どんなこと?

自分の言葉をしゃべりたくなった翻訳者のきままな独り言:多様だから価値がある。反論、異論大歓迎

2022年02月

テレビやパソコン画面を見過ぎたからだろうけど、目の調子が悪い。右目の痛みが取れない。ブツブツ文句を言いつつ離れられない。

ウクライナガンバレと応援するだけだけど…
しかし、しかしですよ、読売新聞が今朝、習近平が欧米に制裁されるロシアを支援するとの指示を出したと報じたらしい。

ウワー!、これって、これって、下手すると第三次世界大戦が始まるんじゃないかと一気に可哀想なワタシの心臓が飛び上がった。

英米欧州など自由主義陣営はロシア包囲網を引き、共産圏はロシア支援側にまわる?
太って暢気なガチョウだかめんどりだかのような日本はパクリと食べられてしまう…。
核弾頭付きのミサイルが飛んできてから9条を慌てて削除しようとしたって遅すぎる。どうするんだろう…やり返せないんだよ。

もちろん、早合点が得意でおっちょこちょいの私が言うことだからそんな事態になる前に収拾されるだろうと思いたい、強く強く思うのだが…。売電の息子は中国から巨額の資金援助されていたらしいし、自国民の血を他国のために流すのを躊躇するだろう。

占領されてウイグルの人たちみたいに収容所に入れられ強制労働、果ては臓器を取られるって、絶対嫌。じゃあどうすれば良いんだろう…。

ウクライナは核兵器を放棄したためにこういう目に遭っているという。やったらやりかえされるという恐怖が存在しないとやられるということだね。

丸腰の相手を切るのは卑怯だなんて思うのは日本人くらいなのかも知れない。
日本にちょっかいだしたら厄介なことになると思わせなくてはいけないんだけど、取りあえず9条はなんとかしようよ。

吉田元首相が終戦後にGHQと新たに憲法を策定する際の裏の事情を熟知していた白洲次郎も「プリンシプルのない日本」と言う本の中で、本土侵攻作戦の準備と時を同じくして新たな日本憲法を準備…日本側が主権在君式の考え方に固執…強制的に彼らの草案を日本人の物としておしつけ…」「GHQの幹部が草案がいかにして出来たかを自慢たっぷりに話す…その部局のおエラ方の夫人は、休暇で日本にいた大学在学中の息子が草案の一部を書いたと公言…」など書いており、現憲法内に幾多の矛盾が存在することを指摘している。

こういう問題はワタシャ関わりたくないから敬して遠ざけたいが、強盗がやり返さないと分かっている相手を狙うのと同じじゃないかと、現実にやられたウクライナを目にして日本も危ないかもと不安になるのも当然じゃない?

周囲の国が皆善意で、こちらが手を出さない限り手を出さないって信じて自国の手を縛るって、これはやはり宗教の一種なのかもしれないなあ…。

随分前に、世界が自由陣営と社会主義陣営の2つに分かれて闘うというSFを読んだことがある。そのとき道路も整備されておらず日本がせっせとODAで助けている最中の中国が大国として描かれ日本を攻撃している場面をナンデヤネンなどと読み捨てたのだが何という題名だったかなあ。あり得る話となりかねないと一層恐怖が募ってしまうのだ…。

って言うのは大げさだけど…右胸の痛みがようやく10日ぶりくらいに気にならなくなった。

左胸なら分かるけど、右胸でしょ、しかも寝ていて鋭い痛みにビックリして目が覚めたのだから、これは何だ、何なんだと焦った。

夕食はここ数年ごく軽い物しか食べなかったのが、その夜、太ったスペアリブwをタマネギやセロリやクレソン、リンゴその他と煮込んだ創作料理がうまくいって美味しかったのでつい穴子寿司を食べたというのにそれも食べてしまい脂肪過多だ、食べ過ぎだと思ってたから、てっきり膵臓か胃の炎症じゃないかと判断、その後2日間絶食、3日目は娘が買ってきてくれたプリンを食べて過ごした。

なのに、その後も痛みは続いた。右胸を押すと痛い。内臓の炎症で痛むかなあと我が体ながら疑いを持ち始めた。しかも痛みは一カ所ではなく何カ所か。胸を見るが内出血の後はない。ネットで色々調べてみるがそんな症例はない。何しろ自慢じゃないが病気の問屋だからネットでは記載のない変な病気に罹っていてもおかしくない。

しかしなあ、これは体の内部が痛いのか、それとも外側なのか分からない。どっちだろうと頭をひねるうち、おぼろげにドアかどこかにぶつかったようなかすかな記憶が蘇った。10年ほど前シニアカーがひっくり返って母がハンドルで胸を打ち肋骨にヒビが入ったときのことも。医師はヒビが入ってますねと言っただけで何の処置もしなかった。細いヒビのために胸をグルグル巻きにしたり固定したりしないのだ。

なら、日薬だ。病気の観察で大事なのは毎日少しずつ良くなるかそれとも悪化するかだ。単なる打撲なら次第に良くなるだろうし、内臓とか骨折という重大なものなら悪化するだろう。悪化してから病院に行こうと腹を括って大人しくしていたら、ようやく大きく息をしても胸が痛まなくなった。どうやら打撲だったらしい。

いつもなら息をするのも痛いならとっとと病院に行ってレントゲンを撮って貰い原因をはっきりさせ治療して貰うのに、まあ打撲なら湿布薬が出ただけで追い出されていただろうけど、コロナのお陰で、我慢強く病院に行かずに自然治癒を待ったなんて、ワタシも大人になったもんだw。

でも、夜はやはり軽めが良さそうですなw。

雪が降ってきた。
植栽の根元に残されたほんの少しの黒い地面に白く積もり始めたのを眺めている。
滅多に降らないから雪はワクワクするねえ。

でももう外には飛び出さない。ほんの少し前に思える頃には近所の友人を誘って雪で真っ白になった空き地をはしゃぎながら散歩したのに、その空き地にはいくつかのマンションが建ち、その友人とはいつの間にか疎遠になり、今どうしているのかも知らない。

2013年、父が亡くなった翌日はかなりの大雪で、葬儀屋と話し合っている間にどんどん積もっていき、葬儀屋は車を心配していた。妹と娘と3人で遅くなった昼食を摂りに駅近くのレストランに足を取られる雪に騒ぎながら向かう間もひたすら降り積もっていき、雪で一面に清らかになっていく中、父は今どこにいるのだろうとぼんやり考えていた。

悲しみというのはずっと遅れて後から来るのよね。後悔も。いくつになっても学ばない。いくつになっても忘れている。忘れるから生きていけるのだけど、時々、思い出すのよね、思い出さなくてもいいいろんなこと。

やれやれ…。

アレクサに中島みゆきをリクエストして次々に聞いているのだが、あと少し大きくと言ったら、アレクサがこれまで素直に言うことを聞いていたくせに10段階で言うようにと反抗したw。でもどれ位の音量が1だか10だか分からないから、真ん中の5を頼んだらかなりの音量だ。せっかく雪はシンシンと降っているのに一気に騒がしくなった。情緒も何もない。素晴らしいw。

ララバイおやすみ何もかも忘れてだって。まだ朝だよw。夜咲くアザミだって、ワタシャ朝4時から起きてる…枯れススキじゃwww。




2月1日、石原慎太郎が亡くなった。89才だった。
歳に不足はないと彼自身も言うかもしれない。

しかし、正しいと考えたことを周囲に忖度せず、まっすぐ伝え、行動する本物の男だった。
これを言えば嫌われるとか、周囲がどう考えるかとか、政治的にどうかなどとグズグズ考えることなく、思うところを正直に口にする豪快ないい男だった。
なによりも、日本を愛したまっすぐな男だった。

人の言葉に耳を傾けるのが得意だとふざけたことを言った男がいる。人は利害も立場も千差万別だ。非常時に皆の言葉に耳を傾けていたら何も決まらない、国はまとまらない。非常時には役に立たない。ウロウロしていて時間切れとなる。嫌われても国のために責任を負い、断行するのがリーダーの役目だ。

いい男だった。スケールの大きないい男が日本から一人消えた。実に残念だ。こんな痛快な男がまた出てくるだろうか。

石原慎太郎の公式サイトの名前は宣戦布告だと。ハハハ、そうでなくちゃねw。

https://youtu.be/Pfd1MoiAdi4


長いですが、彼の遺言のような国会での質疑応答です。80歳を過ぎた老人のこの迫力、知力、凄いです。対するのは安倍さんや麻生さん。憲法のこと、尖閣のこと、靖国のこと、詳しく調べ質問しています。新聞では分からなかった細部が分かります。

日本のことを真剣に考え、愛した石原さんの質問や演説。どうか、見ていただきたいと思います。
日本の国会でもこのようなやりとりが出来ていたのですね。
どうせ、ヤジの応酬だと見ようともしなかったワタシに喝!

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