あんなこと、こんなこと。どんなこと?

自分の言葉をしゃべりたくなった翻訳者のきままな独り言:多様だから価値がある。反論、異論大歓迎

カテゴリ: 東日本大地震

ホテルの窓から穏やかな海がみえる。入江を入った辺りはまだ造成中で土が盛り上げてある。もう撤去されたがモニュメントのようだった巨大な船が打ち上げられていた場所もこの付近だ。

IMG_2916気仙沼のこの辺り一帯があの大震災の時、一面の海となり、しかもその海が燃えさかっていた恐ろしい場所だ。埠頭のいくつもの巨大なタンクから燃料が漏れ出し引火し燃える津波となって街を破壊したのだった。奥尻島の地震の時もこうだった。神や仏がいるのならどうしてこんなことを許すのかと思いたくなる。なぜ日本はこんなに災害が多いのだろう。そして毎回、不死鳥のように蘇る。日本人の凄さ。私も受け継いでいるはずの負けない強さ、勇気を考える。

← 山の中なのに…


語り部の男性がバスに乗り込み、体験談を聞きながら気仙沼のあちこちを巡る。想像を絶するところまで津波が到達している。港から見える島には山を駆け上って横断した跡もある。至る所が工事中で土砂が積上げられており、クレーンが見る。まだこんな…だがその範囲の巨大な広がりを知るにつれ、ため息と共に良くやっているに変わっていく。語り部の男性はテレビに出たとか大学で話した、今度はどこそこに依頼されていると自慢話が長い。災害もビジネスになる。何をするにも金はいる。生きる基本だ。そう、同情するなら金をくれだ。思い出すから辛いと打ち上げられていた巨大なタンカーは撤去されたが、撤去後、災害地を見物に来ていた人たちが減り、地元が困っているらしい。

IMG_2918その後、まだJRも開通していない南三陸町、そして大川小学校へと向かった。人災として訴訟が起きている、校内に残った人たちのうち、教師1名と小学生数名しか生き残れなかった場所だ。

← 2階まで津波が来た。ひしゃげた柱が津波の勢いを物語っている。


慰霊碑が2箇所建っていたが写真は禁止だった。校舎は裁判中だからとそのまま残骸を晒していた。裁判を起こしている人の手記も読んだ。だが、ここでも、実際に現場を見てみると、神でもない一体誰がこんな所まで津波が来ると予想できただろうという思いが強くなる。

校庭で40分も整列していたのだから逃げられたはずだと現地を見なければ誰もがそう思うだろう。地震の揺れと不安で、子供たちは泣き叫び、嘔吐した子もいたという。大勢の小学生たちの混乱を鎮めるだけで相当な時間がかかったはずだ。

バスで山また山の中を移動したのだが、どちらを向いても海など全く見えない山の中に所々、ここまで津波が来たという標識が立っている。こんな山の中のこんなに標高の高いところまでと驚く場所も多い。しかも大川小学校のある場所は海から4、5キロも離れた、勿論、海などかけらも見えない、かなり広い平野だった。ゆったりとした大きな川が横を流れている。歴史上、分かっている限り、ここまで津波が遡上したこともなく、大川小学校は避難場所に指定されていた。

IMG_2917すぐ裏に小山があった。すぐ下まで行ってみた。が、学校から上れるような道はない。その山は見上げると切り立った崖のように見えた。半分は草地になっているが半分はびっしりと樹木が生えている。しかも雪があったという。10メートルの高さまで津波は到達したと、草原の途中に段ができていた。私は到底上れない。体力のある高学年なら登れる子がいるかも知れないが、泥炭地でただでさえ滑りやすいという上に当時は雪があったのだから、また絶え間なく揺れもあったのだし、小学生ではまず無理だろう。しかも判断を下すべき校長先生は不在で、当然、連絡も取れない。

警報が鳴り響き、子供たちが泣き叫び動揺する中、子供たち全員に責任を負うものとして、登れる者だけ逃げろと言えるだろうか。しかも地震で土砂崩れが生じることが多いのに。雪があったのなら尚更地盤が気になるだろう。ここまでは来ない、歴史的にも来ていない、全員の無事を考えてここにいた方が安全だと思ったとしても不思議ではないと私は思う。避難場所でもあったのだし。

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自分の子供が亡くなったら、永遠に、あのときどうすれば良かっただろう、どうすれば死なせないですんだだろう、なぜ迎えに行かなかったのだろう、迎えに行く方法はなかったのだろうか、などと考え続けてしまうだろう。誰かのせいに出来れば少しは気が晴れるかもしれない。

しかし、訴訟を起こし、子供を死なせたのは教師の怠慢だ、人災だと非難することはただ一人生き残った教師の責任を問うことでもある。折角生き残ったその教師を追い込むことだ。どれほど辛いだろう。

IMG_2927昔は運命だと諦めるという道があった。辛いが運命だからと冥福を祈って、その子の分まで頑張って前に進む道があった。時には諦めることが多くの人たちにとって癒やしとなると思えるのだが。

松島へ回り、瑞巌寺の絢爛豪華な障壁画を拝見し、別のお寺で檀家のツアーらしく、私は数珠をお借りして、お経を唱和し、2泊3日の旅は終わった。

ツアーで回ったところの記憶はおぼろげで、急ぎ足であり、一人旅のようにはいかなかったが、K子についていって良かった。知らない世界を知り感謝だ。皆さんに親切にされ、次回も是非と言ってくれたが、どうかなあ、正直、団体には馴染まない異端児だからねえ、第一、ウチは禅宗で全く違うんだけどw。

10818歩
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IMG_2908駅直結なのでゆっくり朝食をとり、勿論そのせいで時間が押し、大丈夫よ、間に合うと言い張るギリギリ派のK子を急がせてバタバタと駅へ。彼女が毎回列車に遅れそうになる訳がよ〜くわかるw。

一ノ関で他の皆さんと合流。バスで毛越寺、中尊寺と平泉一帯を観光。ツアー旅行は初めて。修学旅行以来の団体旅行。楽だがやはり向いてない。のんびり歩くので目的地での時間が限られ、見たいところが見られない。ヤキモキするw。毛越寺ではお庭を一周したいのに40分ほどしか時間がなく、自由行動となったとたんにK子と2人でヨーイドンとばかりに早足で皆さんを置き去りにw。で、結局、思い出すことが少ない。断片的にお寺の様子やお庭は思い出すけど。中尊寺もあの広いところを1時間弱で。で、怒濤の勢いで回ったから螺鈿の美しさや金ぴかぶりは良ーく見たけど、後は夢の中。
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IMG_2906お神籤を引いたら、十数年ぶり?初めて?大吉を引いた。仕事を辞めようとしているときに大吉。当たるも八卦当たらぬも八卦だけど、何だか心強いね。

そして恐れていた津波体験センターへ。ここで体験の部屋では椅子が揺れ、風が吹き出し、画面では勿論あの轟音と共に津波の映像を見ると聞いて、やはり無理と判断。メンツより心臓を守ることにした。チキンとでも何とでも呼んでくれ。生きている人たちが助けを求めて叫びながら流されて死んでいく映像を、助ける術もなくじっと見ていられるほどワタシは強くない。

待っている間、センターの人たちに、なぜこれまでも何度も津波の被害に遭っているのに逃げようとしなかったのか聞いてみた。

IMG_2915東日本大震災の前に3度大きな地震があり、毎回津波警報が出たが数十センチだったので油断したこと。そして3.11の地震では家屋の倒壊はなかったという。つまりあれほど大きな地震で東京のウチのマンションでも構造体にヒビが入るほどの揺れだったのに、三陸沖だったため、勿論、職員の人が目にした限りだが、倒壊するほどではなかったのだという。センターのある唐桑半島は津波が半島をほぼ分断し壊滅的な被害を被ったのだが。

それまでに3度の大きな地震で津波はたいしたことがないと学習してしまった人たち。悲劇だ。建物が倒壊することもない地震なら、誰がこれが千年に1度といわれるほどの大地震だと分かっただろうか。

後からなら何とでも言える。でもその渦中にいれば、まだ寒い最中に、何もかも置いてさあすぐ逃げようと思っただろうか。逃げなかった人たちをワタシは非難できない。次は逃げようと思うだろうが。

その晩は気仙沼で泊まった。K子の大きな寝言に悩まされ、やっと眠れた思ったら、夜中に多数の足音とドアの開け閉めの音、ついで突然、ポットが、お茶も飲まず、触ってもいないのに、大きな音を立てて沸騰しギョッとした。やっぱり、なのかなあ。

8384歩
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IMG_2864K子からおかしな電話が来た。

檀家となっているお寺のツアーに行きたいけど行かないか。平泉や松島なんかを回るのよ。

檀家?何それ?お寺のツアー?彼女から宗教関係の話は一度も聞いたことはない。
でもまあ行きたいなら、と付き合うことに。

お寺のツアーは一ノ関集合で仙台解散。それだけでは勿体ないから、前日は盛岡観光に宛てることになった。盛岡はしばらく前に高校の友人と行ったが何も見なかっに等しい。当時、県立美術館は遠いと却下されすぐ引き下がったが、今回も岩手県立美術館を提案。古い建物も。私の案を丸呑みしたのでよっしゃ、と思ったら、忙しくて何も調べてなかったから良かったとK子。なるほどw。

お寺ツアーの日程表が送られてきたので良く見たら、津波体験ツアーと被災地訪問、体験談とある。
津波体験ツアーと聞いただけで胃の調子がおかしくなりそうだ。テレビが何度もこれでもかと津波の映像を流したからすっかりトラウマになっている。だって、生きた人が流されていき、助ける術もなく目の前で死んでいくのを見て平気でいられるはずがない。

IMG_2868うじうじ、今更断れない、でも耐えられるだろうか、どうしよう、などと考えているうちに当日が来た。

テレビでは東京は早朝から滝のような雨、盛岡は11月並で最高気温が14度などと言っている。ハア。

←奥には、内回りと外回りの山手線車両

長めのコートを着用、土砂降りの中でゴロゴロは引っ張れないので、セーター、タイツ、帽子に手袋までバッグに詰め込み、大型のビニール傘を持って出かけていった。翌日からの2日間は晴れて暖かなのでビニール傘は盛岡に置いてくるつもり。勿体ないが持てる量に限りはある。

アメダスやNHKのデータで雲の動きをじっくり調べ、予定より30分以上前に出発したので、濡れることなく、東京駅には1時間近くも早く着いた。K子は現れない。指定席だし置いていくしかない。2回連続焦らされたので早めにと言ったのに、今回もかと覚悟を決めた発車時刻5分前にようやく現れた。メールしたと言うが1つも届いていない。届かないはずだ、何をどうしたのやら、アドレスから2文字抜けていたw。これを皮切りに、恒例の珍道中とあいなった。

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3月11日、一息付けようテレビをつけた。どこも津波と悲しい記憶で一杯だった。
もういっぱいいっぱいだ。
買い物を兼ねて散歩に出た。外は霧雨が降っていた。寒い。

公園の毎年一番最初に咲く大きな木蓮の白い花が今年も咲いていると思ったら、樹の下には白い破片が大量に落ちている。近づいてみたら、樹上の白い大きな蕾にもいくつもの囓られた跡がついていた。

乱暴ものめ。この間見つけたオウムがここまでやってきたのか。余計気分が落ち込む。

どうも胃が重くて痛い。みぞおちの痛みを胃だと思うなとこの間テレビで言っていた。膵臓とか脾臓の可能性もあるらしい。
チーズとハムとレタスと貝割れ、トマトとタマネギまで挟んだホットサンドを食べた。チーズとハムが悪かったのだろうか、脂っこいかなあ…それともヨーグルトか、チョコも食べたなと罪状を数えながら歩いた。今晩は食事を抜こう。

そして、思い当たった。テレビのせいだ。いつもいつも災害があるとマスコミがはしゃいでいる気がする。どうです、こんなに大変ですよ。凄いでしょう。忘れてはいけない…。

本当に辛いことは忘れるしかない。忘れて前に進むしかない。勿論、その出来事から学び準備をすることは忘れてはならないが、無理矢理どんなに大変だったかどんなに辛いか問いただすのは止めて欲しい。

その代わりに、もうマスコミは忘れているらしいが寄付を募ることは忘れないで欲しい。まだまだ助けは必要だと言いながら、積極的に寄付集めはしているだろうか。福島産、東北産を食べよう、買おう。数多くの流布されたとんでもない話はデマだったと検証することをマスコミは忘れてはならない。

デマで稼いだ人間がいて、煽られてパニックになった多くの人がでたことも、冷静に説明しようとして御用学者と罵倒され沈黙を強いられた人たちのことも忘れてはいけない。

そして、世界中のどれほど多くの人たちが日本を応援してくれたのか。祈ってくれたのか、寄付してくれたのか、詳しく報道して欲しい。

宮沢賢治の詩が朗読された英国だと思うが大きな教会で行われた日本のためのミサを忘れない。また見てみたい。素晴らしい英語だった。

イギリスの片田舎にまで日本を救おうというバナーが貼ってあったことを私は忘れない。

後で調べたら2014年も同じように言っていた。 私たちのために祈ってくれている写真はここ

2014031210080000あれから3年。東日本大震災から3年。

長かった。

3年前地震直後のまだ揺れている中、両親の様子を見に行った。部屋の壁の一部が落ち、建物には亀裂が入っていたが、3時予定のヘルパーさんがすでに到着して片付けてくれていた。2人は存外平気な顔をしていた。父は腰掛けたまま居眠りしていたらしい。前年の脳梗塞の影響はあったがまだ自分で歩くとこができ、頭もかなりしっかりしていた。

日本も個人の運命もぐるぐる渦の中に巻き込まれたような3年だった。両親は地震の後妹宅に転居、その後半年で東京に戻り、母は脳梗塞を発症、父は2度の入院の後死去し、母は転倒、入院を経て老人施設へ。

これがたった3年。長かった。

朝からテレビでは、風化させるな、忘れるなと震災一色。最近収まっていた不整脈が復活。心臓がパクパクする。涙が流れる。鼻水も流れる。

チャンネルをぐるぐる変え、くだらない番組を探すがない。諦めてテレビを消した。

今でもなるべく東北の産物を買う。できれば福島産を買う。でも、さあ、一周年だと津波の映像をこれでもかと流されるのは、被災者でもないのに、ひどく辛い。辛いこと、忘れたいことに直面するのは難しい。直視して戦うのは難しい。ワタシャ軟弱者なのよ。

忘れるって恵みでもあると思っている。忘れるから人は生きていける。災害を検証し、防ぐ手段を講じるのは当たり前だ。しかし、忘れて前に進みたいと思っている被災者は多いのではないか。

災害列島日本だ。ずっとずっと昔からご先祖様たちは耐え抜いてきた。災害の度に立ち上がり、それを好機に変え、それこそ禍を福に変え、新たな町を作ってきた。これからも大きな災害は起きるだろう。前を向くしかない。

年々歳々花相似たる。今年のような寒い冬の後でも梅が咲く。もうすぐ桜も咲くだろう。なんという僥倖だろう。

そして、今、3年前の今日大きな被害を受けた栄村はどうなっているのだろうか。写真を見れば一安心してよさそうだ。

[追記あり]先日、東大地震研から首都圏直下型地震の確率が4年で70%という数字が発表されてうわーっとのけぞった。東日本大地震が寝ていたものを起こして確率が大幅に上がったというのだ。なんせ、30年ほども昔、その頃の間もなく直下型地震が来るというニュースと立て続けに起こった地震が怖くて海外に逃げ出したほどの地震キライ人間。諸般の事情でしょうがなく日本に舞い戻ったが、家選びも〈選べるようになってからだが)、家具の配置も全て地震を想定している。20年を超えてかけつづけた地震保険は、半壊もしていないんでしょ、出ないですよの一言でヒビも洗面台のチップも弁償されなかったが、この程度でよかったと喜ぶべきなんでしょうね。

地震ネタを探してみたら、私流マンションの選び方-その1その2遅まきながら地震ネタ座して地震を待つ?
その他、まあかなり書いたものだ。これらを読むと2005年辺りにも地震がかなり発生していたようだ。地震国日本だねえ。

テレビ報道が一巡した頃になってこの4年で70%と言う数字があまり表に出てこなくなったので、再度東大地震研のウェブを覗いてみたら、大幅にトーンダウンしていた。曰く、誤差がかなり大きい可能性だの、個人の意見の表明であって、地震研の公式発表ではないだの、東大にしては随分思い切った発表をしたと感心したのだが、やっぱり、人心を惑わすとか、責任誰が取るんだとか、マスコミどうすんだなどと、所内でわらわらと騒ぎになったんだろうなあ。

[追記:数日前の日経新聞でも報じていたけれど、確率は再計算の結果、4年以内で50%以下、30年以内では83%以下ということになったらしい。別の機関は別の数字をあげている。まあ、巨額の資金をつぎ込んでも地震予知は今のところ不可能であるらしい。今回の地震で私が思い知ったと思ったのは、遠い未来でもタイムマシーンはできていないってこと。出来ていれば少しは警告してくれただろうに…。やっちゃあいけないということで見ていただけという線もあるだろうけど、子孫達はそういう人種にはなっていないと一応思いたい]

でも、何と言おうと、どうやっても地震の奴はやってくる気のようだ。30年で98%とかいや70%だとかという数字も別のところで目にしたが、これは30年目にやってくると言うのではなく明日起きるかもしれないのだし、毎日がこりゃ、水盃の世界だ。

大きな災害も、害虫も猛獣もいない英国にでも移住したいと思うのだが、昔の気ままな若い私ではなく、周囲に息子や娘の家族と両親がいるのに一人だけ逃げ出すわけに行かない。フリーランスの私はともかく、勤め人達も職場がなければ動けないし、特に、あの我が儘であっちが痛い、こっちが変だ、動けない、歩けないと騒ぐジジババをつれての移住など不可能だ。私も間もなく、というかご同様に、あっちが痛い、こっちが変だと騒いでいる身の上。ということで、毎日、気を揉みながらも暮らしていくしか方法がない。

それにしても災害の多い国だ。そして数千年の昔から日本人はこの列島で、地震や津波、台風に大雪と逃げまどいながらも生き抜いてきた。しかもへこたれなかった。ちょっとこれは凄いことでっせ。ご先祖様達の苦労と頑張りを想像したら、少しは私もしゃんと頭を上げて、根性を出して頑張れるような気が、少し、するような…。

ともかく、地震はやってくる。東大地震研に掲載されている防災対策を、分かっていることばかりで今更でしょうが、引用します。分かっちゃいるけどやってないという私やあなた、やらねば、ネ。

  • 地震が起きたら,まず身の安全.「落ちてこない」「倒れてこない」「移動してこない」場所に身を寄せましょう.
  • 揺れがおさまったら,落ち着いて火の元を確認してください.揺れている最中に無理に消そうとする必要はありません.
  • ガラスが割れているかもしれません.あわてて行動しないように注意してください.寝室には,スリッパやスニーカーなどを置いておいてください.
  • 窓や戸を開けて,出口を確保してください.
  • 門やブロック塀には近寄らないこと.倒れてくる恐れがあります.
  • 家具類の転倒や落下防止をしておきましょう.これは自己責任です.
  • 家の強度を確認しましょう.1981年6月1日以前に着工した建物は,古い耐震基準で建てられています.すみやかに耐震診断をうけてください.多くの自治体が補助をしてくれます.(自治体の防災課や危機管理室までお問い合わせください.)
  • 診断の結果,補強の必要があれば,耐震補強をしてください.多くの自治体が補助をしてくれます.(自治体の防災課や危機管理室までお問い合わせください.)
  • 地震が起きれば通信機器は使えなくなります.家族とどう連絡を取るか,ではなく,連絡が取れなくなったときはどうするか,を話し合っておきましょう.
  • 地震は昼間に起きると思っていませんか? 夜間に発生することだって当然あるのです.懐中電灯や履物の用意を再度,ご確認ください.

首都直下地震のような直下型の地震の場合は,家屋の倒壊や家具の転倒による死者が8割を占めると言われています.実際,阪神・淡路大震災の時はそうでした.逆に言うと,耐震補強をして,家具を留めれば,8割も被害を軽減できるのです.(学校の耐震化は急務です.)

家屋が倒壊しなければ,火災も発生しにくくなります.ブロック塀が倒れなければ,消火活動もスムーズになります.被害はさらに軽減できるでしょう.M7程度の地震から被害を最小限にとどめることは,ひとりひとりの心がけで可能なのです.

今がその時と思って,対策をとってください.



P1001423[追記あり]風評も何のその、恐れるもののない?中高年の特色を生かして、福島の農協に注文していた「がんばるぱっく5」が到着しました。

美味しそう。

中身は
福島市産りんご6個・福島市産きゅうり5本・福島市産たまねぎ3〜5個・福島市産じゃがいも(キタアカリ)500g・福島市産ハウス生しいたけ1袋・JA新ふくしま管内で作られ厳選された大豆と米で作った愛菜味噌1kgの詰め合わせ、10月25日までの期間限定販売

これで2500円。送料無料。あ、勿論、放射線は不検出で安全です。

[追記]17日朝のNHKあさイチで、実際、毎日の食事にどのくらいの放射線量が含まれているかを調べる実験をしていた。全国から数家族が選ばれ、1日3食、7日間分の食事を最新鋭の放射線測定器に、通常20分程度かけるところを2時間かけ詳しく調べた。

この家族の中には、原発から60キロ圏内に在住している9ヶ月の幼児を抱えた一家と、同じく60キロ圏内の農家で水も地下水という、ここも幼児を抱えた一家も入っていた。9ヶ月の幼児を抱えた母親は、これからも福島に住みたいと、応援する意味で福島産を選んで購入しているという。農家の方は自宅で栽培した米や多数の農産物を毎日食べている。

祈るような気持ちで、結果を待った。9ヶ月の幼児の一家からは無検出。農家の方は、1週間のうち1回だけごく微量が検出されただけだった。心からホッとした。ちなみに、北海道や東京など3家族の食事でも1週間のうち1回だけごく微量が検出されたが、全く心配する必要のない数値とかで、専門家が含まれている線量が少なくてかえってびっくりしたというレベルだった。やれやれ。これで風評被害が少しでも少なくなればいいのだが。

ついでに、参加している支援ファンドについても、繰り返しになるかもしれないけど、情報を。これは例えば、5000円寄付で5000円出資の形をとります(企業により金額が異なるようです)。地震と津波で苦境にある企業に手をさしのべるもので、上手くいけば出資者に配当として、海産物など、その企業の製品が現物が提供されます。上手くいくことを願って出資するのですが、そう行かない場合も当然あるでしょうから、あくまで、自己責任、1万円寄付のつもりで応援したい方はどうぞ。

気仙沼応援ファンド
【石渡商店ふかひれファンド】
 昭和32年、気仙沼で創業。石渡商店のこだわりは、ふかひれの形が崩れにくい独自の製法といつでも作りたての高級中華料理店の味をお届けすること。
 シェフ、消費者を問わず多くのリピーターがいます。 投資家特典:初回出荷分の特製ふかひれスープの進呈など 詳細・お申込:
 
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【丸光食品ファンド】
 気仙沼で唯一の製麺の会社として、味にかけては自信の麺を作ってきました。
 そば・うどん・焼そばは地元の人が慣れ親しんだ味で、海鮮ふかひれ生ラーメンは、 全国的にも人気の商品。工場は全壊しましたが、新たな工場から再建を目指します。投資家特典:「気仙沼麺セット」を進呈(3口以上)など 詳細・お申込:
 
http://www.musicsecurities.com/communityfund/details.php?st=a&fid=165

南三陸応援ファンド
【南三陸 伊藤サケファンド】
 伊藤(株)は宮城では1番の水揚げである秋サケ、めかぶ、夏にはギンザケ、 タコなど、季節の水揚げの販売を通して、南三陸から美味しい水産物を 全国に届けています。
 震災後は、最低限の設備から準備し、トラウト、秋鮭、タラなどの卸販売から 開始を行っていきます。

 投資家特典:「秋鮭と生筋子の親子セット」等(3口以上から) 詳細・お申込:
 
http://www.musicsecurities.com/communityfund/details.php?st=a&fid=197


【南三陸 マルセン食品ファンド】
 マルセン食品は、昭和30年前半、蒲鉾造りの会社として創業しました。
 近年は広く地域の食材を利用した水産加工品の販売を手掛け、 昨年には、店舗、加工場をリニューアルしたばかりでした。 震災後は、いち早く移動販売車を購入して、避難所や仮設住宅など、地域の巡回販売から事業を再開。現在は、自社工場の再建に向け動いています。 投資家特典:揚げかまぼこ 詳細・お申込:
 
http://www.musicsecurities.com/communityfund/details.php?st=a&fid=199

その他多数の企業が応援を待っています。支援ファンドをクリックしてみて下さい。

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[追記情報あり 第24回世界建築大会
9月になってしまった。3.11からもうすこしで半年が経ってしまう。

東北のグランドプランはまだ出ないのだろうか。

日本には世界的に有名な建築家が大勢いる。都市計画の専門家だって、当然、いるだろう。
彼らはどうしているのだろう。コンペが行われたという話も聞かないのだが。やろうと提唱する人はいないのだろうか。

震災の前だって難題が山積みだった。地方都市は疲弊していたし、高齢者がどこでも増えているのに子供は少ない。発想を転換して、新たな大胆な策を考えなくてはならないときだった。庶民が海岸べりの自宅が元あったところに、建ててしまったらまた元の木阿弥、怯えながら暮らすことになってしまうじゃないか。それじゃ、復旧であって復興じゃない。前より条件が悪くなっただけで何の問題も解決されないままになってしまう。

最初の頃、山を削って海岸線に高台を作るというようなアイデアを見たような気がする。そういったアイデアはどこに行ったのだろう。

この突然出来た広大な何もない土地をみて、自分ならコウしたいアアしたいと、建築家なら考えるだろう。
建築家じゃなくったって考える。夢想する。大地に絵をかけるのだから。小学生だって、高校生だって、こうすれば津波に対抗できるとか、みんなが遊びに来てくれそうとか考えるだろう。全国的なアイデアコンクールをやっても良いのではないだろうか。専門家が地域ごとにそれを具体化し、大きな一枚の絵につなげていく。そんなことは出来ないのだろうか。

私の案を紹介しよう。安全と、瓦礫の処理と、生活の安定、観光の一石4鳥を狙った。しかも安上がりだと思う。はい、夢想家です。

海岸伝いに4、5階建てくらいの巨大なコンクリートの箱を10メートル程度くらいの間をおいて作り、その中に瓦礫や除染した土などを入れていく。満杯になったらコンクリートできっちりと蓋をする。そのコンクリートの箱の頂上と箱の頂上の間を空中プロムナードというか散歩道でつなぎ、堤防の上のような細長い幅広の道となるそこは公園にし、小さな店舗を配置する。そのプラムナードからは、高潮や津波の時には地上に向けて、遮断するシャッターが降りるようにする。諫早湾を遮断するときの上から降りてきた扉のイメージですな。

その箱にはもちろんトラックが瓦礫を入れるときに使う斜めの車道をつけておき、いざというときはそこから箱の上へと上れるようにする。通常時にはその横に設置したエレベーターを使う。
で、その巨大な瓦礫で満杯になってしっかり蓋をした箱の上にはその車道を利用して船を巻き上げられるようにしたり、競り市場を設けたり、海産物市場にしたり、展望台にしたりすればいい。住居棟を備えたものを作っても良いかも。
みそは、その箱なら間から海岸の景観が見え、風が通り抜けること。それに、瓦礫の量に従って箱をいくつも作っていけばいいから融通が利く。こういうものを海岸沿いに並べていけば、非常時には堤防となり、避難場所となる。汚染されている福島の瓦礫や土もコンクリートの箱の中なら大丈夫だろう。
もっと瓦礫をおくれと、瓦礫の争奪戦になればいいなあ。

あなたの案はどう?聞かせて欲しいなあ。

[追記] 第24回世界建築大会というのが9月25日から10月1日まで東京で開催されます。今朝、このことを知り、ちょっと調べてみました。無料公開プログラムが以下の通り開催されます。ちょっと遅いかなと危惧しながら、1.と3.に申し込みましたが、大丈夫でした。

下記のプログラムは広く一般の方にも聴いていただけるように無料で公開いたします。
プログラムの詳細については下記プログラムの名称をクリックしてください。参加登録をご希 望の方は、7月15日より応募手続きを開始いたしますので、下の参加登録のボタンより登 録をお願いします。
数に限りがありますのでお早目のお申し込みをおすすめいたします。
なお、UIA2011東京大会に参加登録をされている方は、無料公開プログラムへの改めての参加登録は不要です。(UIA2011東京大会のIDカードにてご入場いただけます。)

無料公開プログラム

スピーカー 安藤忠雄
タイトル 若者に語る/建築とは何か
日程9月26日(月) 午後7時-午後9時
会場東京国際フォーラム ホールA
テーマセッション3 これからの環境建築を考える
テーマセッション4 自然と共存しうる技術とは何か
テーマセッション5 ネットワーク時代の建築家像と建築家の職能
日程 9月27日(火) 午前9時-午後4時30分
会場 東京国際フォーラム ホールA
日程 9月25日(日) 午後2時-午後5時20分
会場 COREDO室町日本橋三井ホール
日程 9月27日(火) 午後1時30分-午後5時
会場 COREDO室町日本橋三井ホール
日程 9月29日(木) 午後1時30分-午後5時
会場 COREDO室町日本橋三井ホール
参加登録
無料公開プログラム登録事務局への外部リンク

無料公開プログラム参加登録事務局

UIA2011東京大会無料公開プログラム参加登録事務局 (株式会社コングレ内)
Tel 03-5216-6956
FAX 03-5216-5552

[追記あり]菅さんが浜岡原発停止要請−というか命令のように聞こえたが−を出した。これだけの大きな事故になり、今後のエネルギー政策は根本から考え直さなくてはいけないところに来ている。それは確かだ。

だが、将来の絵も描かず、単に停止させたのは、どうも肝が据わっているとも思えない菅さんが身の保身に走ったとみえてならない。どっちみち責任を追及されるのだから、中部電力が要請を受け入れても受け入れなくても、やるだけやったという格好は付く。人気取りにしか関心がなさそうだし、あとはどうなろうと知らないというところか。

民主党はマニフェストで
安全を第一として、国民の理解と信頼を得ながら、原子力利用について着実に取り組む
ことをうたっている。
ならば、今後どうするのか。電気料金は上げない、補償する、すべて自分の懐からでないからだか、税金を使う話ばかり。震災前も財政難で難問が山積みだったこと、解決されたわけではないことを忘れているらしい。

この夏の東京電力への100万KWの電力の融通の約束はこれでおしゃかになった。電力が余っているというデマが広まっているようだ。計画停電が中止されたことをその証拠に挙げているらしいが、馬鹿らしい。それは東京の必死の努力の成果だ。

薄暗い地下鉄を歩いてみると良い。昼間は電気を消している電車に乗ると分かるだろう。汗を流しながら電車に乗っている。どこもかしこも電気を落としている。営業中かどうか近くに寄らないと分からない。もちろん、企業は勤務時間を変え、自家発電装置を購入し、個人も電球を付け替え、息を潜めている。その結果、今のところは電力がなんとかやりくりできているのだ。

昔、原発反対の署名活動をやったことがある。原発は良いものではない。原発は危険だ。なくて済むならないほうがいい。しかし、オイルショックの後。依存度を少しでも減らすため、もうどうしようもなくなって、原子力を受け入れることに決めたという経緯があったではなかったか?「油断」という元通産省官僚の堺屋太一さんの本を読めば分かるが、近代社会は石油に依存している。当時と同様、今でもあらゆるものが石油に依存している。農作物さえ石油無しでは育てることが出来ない。



現在、1ドル80円という歴史的な円高水準にある。↑のグラフを参照して下さい。歴史的な高値にあるのは原油もそうだ。しかし円高だから、コストが高くなるが(1日7億円のコストアップだそうだ)、火力発電所用の石油や天然ガスは、今は賄えるだろう。しかし、これがつい数年前の120円台、あるいはこれから安定した電力が見込めないため、海外へ逃避する企業の流れは強まり、国力は弱まるのは必然だと思われるので、オイルショック当時あたりの1ドル300円を越す水準になったら?食料も輸入することも出来ず、野菜を育てることも出来ず、どうなるのか。あり得ないことではない。

原油の値段だけではない。その当時のことを覚えている人は少ないだろうが、都会の空気は汚かった。上の娘も、その子供たちも今でも喘息に苦しんでいる。今後は火力発電に頼らざるを得ないが、気管支炎その他での患者が増えるだろう。また、日本が世界に約束した25%CO2削減はどうする?

自然エネルギーに頑張って貰うしかないが、また、そちらの方向に全力で取り組んでいると思うが、地球温暖化がもたらすこの気候変動、毎年の異常気象で、信頼が置けるような電力を十分得るのは当分無理だ。風力発電は騒音、効率以外にも問題が多く、風車の下には飛び込んで切断された鳥が多数横たわっていると聞いただけでぞっとする。知人は反対運動をしている。

ドイツでは原発を廃止するではないかというだろうが、EUの中で電力を買うことが出来る。他のEU諸国が原子力で発電した電力を金で買うのだ。(参考:ドイツ:7基停止で電力輸入国に…「脱原発」先行き不透明 - 毎日jphttp://goo.gl/A5EUU

原発は危険だ。なくて済むならないほうがいい。しかし、どのくらい危険なのか?

津波と地震で、今日現在で死者14,898人、行方不明者は9,922人という恐ろしさだ。放射線での死亡者は?0人。チェルノブイリのWHOなどの報告書を読んでみたが、はっきりとした被害者数は分からない。つまり、旧ソ連が情報を封鎖したため、地元民の避難は遅れ、汚染された食物や空気のため、子供たちの間では癌が発生したが、大人の癌発生率は他国と比較して統計的に有意な差はないという。直接大量に爆発により被爆しない限り10年、20年というスパンでの癌発生率が高まるというが、それもたばこによる癌発生率よりも低いらしい。また今日明日死ぬわけではない。

もちろん、福島原発周辺は数十年にわたり居住できなくなるだろう。が、福島の場合は原発の中で頑張ってくれている人たち以外は、直接的な人的被害の恐れは大きくはないだろう。

しかし、夏にエアコンが使えない状況になると多数の熱中症での死亡者が出る。そのうち大気汚染での死亡者が出る。そして、産業の空洞化によるリストラの加速で失業者が多数でることになる。

さらに、原発を停止させても、再処理工場もない状況で、どう処理するのか。他国も受け入れは困難になるだろうし、今回の事故も、すでに停止していた原発での事故なのだ。さらにいうと、長期間にわたり停止後の原発をメンテしなくてはならないが、これだけ不人気な原発に志願してくる技術者は今後非常に少なくなり、そうなるとトラブルが起きても対処が全く出来なくなるというもっと恐ろしいことも生じるだろう。

今回の地震では3万年前の地層まで動いたという。玉突き状態に未だに毎日揺れ続けている。我が家でもマンションの壁に新たな亀裂が2本見つかった。不安定になっているのだから、浜岡原発を一時停止させるのは仕方のないことかもしれないが、安定した代替エネルギーが見つかるまで、原発を全面停止することは無理だろう。いくつかのエネルギーを組み合わせてやっていくしかないのではないか?

更に言えば、今回の事故は原発が米国製で電源の規格が異なっていたこと、電源が遮断されたときの対策が十分講じられていなかったこと、原発が古かったことによるようだ。新しい原発では事故は生じていない。また事故を起こした原発は米国の同じメーカー製のものだという。浜岡も電源他福島での問題点を踏まえて改良すれば済むのではないかとも思える。

また、古いものはさっさと立て替えさせる方が安全だとどうみても思えるのだが、感情論が支配している今、無理だろう。つまり、福島第一がそうであったように古くて危ない原子炉をこのまま代替エネルギーができるまで使い続けさせることになるだろうが、その方がよっぽど危険なのだが。

ちなみに、昨年、世界の穀物価格は30%も高騰した。いくつも政変や「ジャスミン革命」の理由として穀物価格の高騰をあげる海外メディアも多いようである。

堀義人さんの中部電力は要請を拒否すべきだという論、筋道が通っている。中部電力は行政機関ではない。株式を公開している上場企業であり、筋の通らないことをすると大きな株主代表訴訟に晒される。中部電力は政府を訴えるべきだという話もある。いずれにしても、国民の税金に直結する話だ。

今、テレビで旭山動物園の人が(地震で速報を見ようとつけただけだからどなたかは分からない)、日本が滅びるかもしれないというときに動物園の話でもないでしょうと言われたが云々という発言があった。このままでは本当に日本は駄目になるかもしれない。感情論ではなく、冷静に、根拠のないデマに振り回されず、どうすれば後の世代がましな人生が送れるか考えるべきときだ。

[追記あり]日本への募金を呼びかけるCMらしい。みんな頭を絞っているんだ。いいねえ。

以下引用。元記事はなぐりこみこちら

街に現れたゴジラによって、城や東京タワーなどが破壊されていくシーンを逆回しで再生した映像です。逆回転させると、ゴジラが壊れた建物を建て直し、復興している様に見えます。


日本赤十字の寄付、ボランティア等についてはこちらまで。

[追記:alchemistさんが壊れる前の名古屋城の大天守が見えるとおっしゃるので再度みてみました。本当だ!この映画の監督の遊び心でしょうか。でも切ないですね。こんな風に時間が巻き戻せるのならどんなに良いだろう。ゴジラも、未来社会からのタイムトラベラーもいないんですね。八百八人もいるという神様も…。

3.11の後、天皇陛下が国民に向けてメッセージを出されました。なんだかんだいっても、国民のことを二心なく真剣に考えているのはこの人なんだと思わせるものがありました。こういう人がこの国に存在する。ゴジラもタイムトラベラーも、神さえもいないとしても、なんという幸運でしょう。

普段は気にもとめない存在ないのに、いざというとき、一つにまとまる核となるうるものが存在している。日本って、こういう国なのだとしんみりし、同時に安心したのです。国母だの国父だの、古くさく、うさんくさい文字が、そうか、こういう安心感のことを伝えようとしたことなのかなどとも。国のトップがこういう大変な時期だというのに愚かにも保身を優先させ、日本を振り回しているこんな時、思惑や計算、裏など一切なく、ばらばらなものを一つにつなげることができる世俗を超越したものが存在するのは、歴史の重み…なんでしょうね。]

「天皇陛下のお言葉」
http://www.youtube.com/watch?v=mOERcHmrCkA&feature=player_detailpage

日本の地震の地図なるものがある。

ここのところ夜中にどきりとして目を覚ますことの多いワタシ。ノイローゼか、地震酔いか、熟睡しているはずなのに、心臓のバタバタで目が覚めるのはお迎えが近いしるしか、それとも新たな才能の開花で遠くの微弱な地震でさえキャッチできるようになってしまったのか。

そこで、おもむろに日本のの地震の地図をみてみる。

これは3月11日からのすべての地震が表されている。何と、すでに3月30日午前8時44分現在で、832回もの本震、余震があったことが分かる。ふうとため息。濃い紺で表されている海溝に沿って無数の地震が表示される。コワイが見ずにはいられない。

この地図が秀逸なのは、過去3時間、6時間、9時間、24時間に生じた地震も分かり、深度により、震度により、色別にまた同心円で表されることだ。同心円は揺れの範囲だろう。

目覚めた時間帯を見て、そうか、ワタシだけではなく、遠く東北地方では今夜も眠れぬ人たちが大勢いたのだと知る。

M7を超えるクラスの余震の恐れはまだ去っていない。3メートルを越す津波がくるとは考えにくいというが、復興が始まっているが堤防がずたずたにされた今、3メートルの津波でも恐ろしい恐怖だ。このまま静かに、静かに、地震が終息しますように…

P1001254今年ほど春が待ち遠しい年はない。

3月11日からもう16日間が経った。まるで1年が経ったような気もするし、つい2、3日前の出来事のような気もする。

世の中がすっかり変わってしまった。暗い部屋の中で湯たんぽの上に足を置き、膝掛けを2枚かけて凌いでいる。だらしのない都会人の私は情けないことにこれしきの寒さで咳が出始め、母も喉を痛めている。

東北の被災地ではまだ雪が降っている。東京のような場所で、それも室内で寒いと言っているなど問題外だ。あの人達はどんなに寒いだろう。時々テレビを見ては一緒にもらい泣きし、少しばかりの寄付をすることしかできない。

曾野綾子さんは寄付とは自分が痛いと思うほどでなければ寄付とは言わないとどこかで書いていらしたようだ。自分ではああ痛いと思うが、仕事を2週間、ほぼ休んだのでフリーランスの日銭で生きている身としてはこれでごめんなさいというしかない。楽しみにしていた英国[ドーセット州の庭園巡り3泊]のウォーキングツアーはキャンセルした。ちょっと贅沢かなと思っていたが、今となっては非常な贅沢と思えてきたのだ。
             
P1001259昨年は暖冬だった。今頃は、もうすでに桜が咲いていた。なぜ、こんなにも暖かさが必要な時にこんなにも寒いのだろうか。

地震と津波と原発と、その上3月も終わりだというのに冷たい春。酷すぎるとしかいいようがない。

しかし、植物はエライ。植えるのが遅すぎたのではないかと心配していた球根が揃って芽を伸ばし始めた。木蓮の花が咲き初め、杏の花が満開となった。遅れていても2週間もすれば桜が咲くだろう。

必ず春はやってくる。何という素晴らしい恵みだろう。

3.11を境に何かが変わった。日本は行き詰まっていた。確かに何か大きな変革が必要だった。政党が変わったくらいではどうしようもないことも分かっていた。これは誰の意志だろうと思う。こんなにも、極端なもっとも恐ろしいやり方で否応なしに変化が突きつけられたなんて。

神は死んだと誰かが随分前に言っていた。神は死んだのか、神の意志なのか。そんなものはあるのか。

明治維新も、第二次世界大戦も、古い秩序が壊れ、新しいものが生まれた。これまでの課題が劇的なやり方で解決できるかもしれない。日本の素晴らしい面も再発見した思いもある。思考停止せずに、自分なりに考え、希望の芽を探し、プラス思考で前を向いて進むしかない。

*空の棚は近所のスーパー。どこもかしこも空の棚が目立つ。ようやく牛乳の入荷が始まり、パンもえり好みしなければ少しは手に入るようになったが、昨日5カ所のスーパーやコンビニを回ったがヨーグルトは手に入らなかった。代わりにどういう訳か豊富にあるヤクルトを入手。娘によると、研究室の教授がO157騒動のときこれさえあればと信心していたらしいw。甘さがどうもねえだが。

[追記:(毎日新聞)東京都は24日午後、金町浄水場(葛飾区)で同日午前6時に採取した水道水の放射性ヨウ素は79ベクレルだったと発表した。乳児(0歳児)の飲用に関する国の基準(100ベクレル)を下回った。一番下にも追記あり]

毎日がスリルとサスペンスに富んでいる。あれだけ好きだった相棒だって、今、見たいかどうかよく分からない。

しかし、よくもまあ、次々と普通の生活ならあまり経験しないような「一大事」が生じるものだ。

今度は東京の水道水。
金町浄水場の水から放射性物質が検出された。23区と武蔵野市他が対象だという。水道水愛好者として、最初、え!、それから大人は大丈夫と聞き、ふーん、と思っていたら、乳幼児(聞いたラジオによると念のため10才程度までを範囲とするのが良いらしい)、妊娠中の女性、免疫が下がっている人は飲まない方が良いというではないか。

孫二人が3才と0才、娘が免疫抑制剤を飲んでいる。ららららら。
いきなり焦った。もちろん、今時水のペットボトルなど手に入らない。ネットでもすでに売り切れ。

落ち着け、落ち着け。まず、横浜の妹に電話した。その周辺でもペットボトルは売ってないという。落ち着いたら、金町浄水場以外の所の水を手に入れればいいと思いついた。つまり、娘のパートナーが毎日通勤している横浜から空いたペットボトルに入れて持ち帰って貰えばいい。が、重くて嫌がるかもしれない。そうでなくても鞄が重いと文句を言っていたな。

そうだと、九州に里帰り中のお嫁さんに電話した。いくら何でも九州でも売り切れはないでしょう。当たり!大量にあったので、2リットルのペットボトルを12本頼んだ。高い水だ。

そして、ラジオやテレビでは23区と武蔵野市他に給水していると言っていたが、ツイッターで23区でも一部しか給水していないとの情報を手に入れた。ホントかな?そして、金町浄水場の給水地域を調べてみると、

http://www.water-kanamachi.com/waterworks/index.html



↑の通り、東京都の東部地域にだけ給水していることが判明。

ただ、ヨウ素の半減期は8日だというから、この地域の人も水を汲んで8日間たってから使用すれば値は半分、もう大丈夫のはずだ。それに放射線物質の値が上がったのは雨のせいだから、数日経てば下がるはず。それにずっと飲み続けるのではない限り大丈夫だ。慌てることはない。

ウチにも3月11日に汲み置いた水がまだある。いつもペットボトルに水を詰め順繰りに花の水遣りに使っていた。念のため、今度からしばらくは花には新鮮な水をあげ、私が8日過ぎた水を飲むことにしようかな。全く変な話だ。

[追記:金町浄水場の給水地区は上の通りだが、他の水も混合して給水しているらしい。が、その場合、自分の元々の担当でない他の地域は、金町浄水場の水が1割とか2割混ぜられる程度らしい。ということは金町浄水場の給水地区についても他地域の水が混ぜられているので、水道水として蛇口から出る時点ですでに薄まっていることになる。さらに、IAEAの国際基準は日本と桁が違い3000というか(TimeOutTokyo Clarification: Japan's threshold for iodine-131 in drinking water is 300 Bq/kg for adults. Euratom's is 500 Bq/kg, the IAEA's 3000 Bq/kg. )、騒ぐのが馬鹿馬鹿しいレベルだ。それでも心配な人は、とにかくヨウ素は上述したとおり、時間とともに減少するので、ちょっと汲み置けば減少する。]

この秀逸な解説のことは耳にしていましたが、時間がなく、今朝、ようやく見てみることができました。海の研究者さん経由です。

テレビを見ながら、スーパーマン、ウルトラマンでてこいなどと騒いでいたのですがw、スーパーマン並のスーパー消防士さん他のみなさまの力でなんとかコントロールできるようになったので、一安心ですが、心の平安のためにも、わずか4分程度ですので、どうぞ一度ご覧下さい。

うんち・おならで例える原発解説〜「おなかがいたくなった原発くん」



放射能が検出された牛乳や野菜が廃棄されるようです。野菜は洗えば大丈夫だと言うことですし、この牛乳の足りない時期にもったいないですね。子供たちや妊婦さん、授乳中の女性、それに若い人たちは万が一を考えて避ける方が良いですが、実のところ、妊娠の可能性も全く無い私など、是非こちらに送っていただきたいと言いたいくらいです。

どっちみち通常から、ふんだんにレントゲンをかけていますし、毎日1キロのほうれん草を1年間食べ続ければ危ないという程度の汚染でしたら、なんということもない。おまけにそのまま蓄積するのではなく、減少していきます。希望する中高年に新鮮なほうれん草や春菊、牛乳を安値で売っていただきたいものです。

関東大震災の際の朝鮮人虐殺を覚えているだろうか?朝鮮人が井戸に毒を入れたという風評がたち、朝鮮人や中国人が殺された暗い過去の歴史だ。その噂を流した人たちのほとんどが、善意で流したことだろう。噂を本当と信じ、大変だ、家族や近所の人に伝えなくては。そういう善意から聞いたことを伝えたことが無実の人たちの殺害につながってしまった。

今、同じ事が生じつつある。

いわき市の窮状を訴えるNHKのTVを見ていた。トラックが来ない、援助物資は送られたのに郡山とかで止められここまでこない。食糧も尽き、ガソリンもなく、もう限界でどうしようもない…老人介護施設に残った女性の話だった。他にもいわき市の人たちの窮状を訴える話があった。

途中から見たので、そうか、いわき市の被害はあまり報道されていないが道路が寸断されているのだろうか。なぜ、ヘリコプターで届けないのかと疑問に思いながら寝た。

突然、はっとして目覚めた。いわき市に物資が運ばれない理由に突然思い当たった。いわき市はその北のごく一部だけが室内待機圏内に含まれている。ほんのわずかだけなのだが…

今、関東大震災の際の朝鮮人虐殺と同じ事が起こっている。放射能が危ないと広めるのは明らかに善意からだろう。国民に知らされていない危険がこんなにあると思えば、ジャーナリストとして、刺激的な題材だし、政府発表が今まで裏があったことが多いとか、裏があるはずだと考える人にとって、今黙っているわけにはいかないだろう。過去にこういうことがあった、原発は危ないと、いわんこっちゃないと、それはかき立てるだろう。例え不正確な理解でも、思い込みでも、危険だ、救わなくちゃ、その一念は善意からであるだけ余計強力に広がる。が、そのために室内待機圏内は無論、圏外にも援助物資が行かない事態が生じている。

広く真実を伝えたいという思いが、それが真実かどうかは別にして、真実だと信じたことを伝えたいという思いが、避難民、被災者、自力で市外脱出できない人たちを死へと追いやっている。

浮き足立つのは止めよう。自分がいわき市にいて、助けてくれる人もなく、地震、津波を生き抜いたのに噂で死にかけていると想像してみよう

広瀬隆というひとが書いた「破局は避けられるか−福島原発事故の真相」と題するものを読んだ。その信憑性を確かめようとしたが、600度で炉心融解という恐ろしいことを書きつつ、その出所としてNHKで発表としかない。政府他の発表を嘘だと言いつつ、NHKが言ったことなら本当だというのはジャーナリストとしておかしくないか。さらに「建物の崩壊状況を見て分る通り、実際の揺れは、兵庫県南部地震(阪神大震災)のほうがはるかに強烈だった」とあるが、画面に映るものを判断しただけで阪神大震災の揺れの方が強烈とは、また信じられないほど粗雑な判断の仕方だ。津波で流された地域は地震多発地帯であるのに対し、阪神間はその当時、地震のない地域と信じられていた。当然、建物の強度は異なるだろう。長田地区は古い長屋が連なっていたし、神戸でも新しい建物は倒壊していなかった。さらに、津波で流されてしまって頑丈な建物が残ったのに過ぎないのに。マグニチュード9.0という数値まででたらめだと次にはいうのだろうか。彼には自分が発した言葉のその先は想像できないのだろうか。

先に紹介した放射能分野の基礎知識福島原発の放射能を理解するにある日本での原子力研究の第一人者たちによる説明や研究者、カリフォルニア大学物理学教授の論文及び高エネルギー加速器研究機構/東京大学IPMUの研究員他の翻訳により当面の安全性はほぼ確保されていると考えている。

最悪の事態が今後生じた場合でも原発周辺を立ち入り禁止にすれば良いことだ。数年もすればその土地は立ち入り出来るようになる。広島、長崎のような比較にならない強い放射能で汚染された場所でさえ比較的短時間でよみがえったではないか。レントゲンの数分の1という数値の放射能しか検出されていない現在、逃げまどって、動けない人を見捨てるほどのレベルでは全く無い。

もちろん、放射能が危険なのは重々承知している。原発の周辺では蒸気等の放出が続いているため放射能はでているし、長時間外気に晒されるのは危険だが、それでも直ちに倒れるとか健康に重大な被害が出るほどの量ではない。室内室内待機圏内は、念のため室内にいるようにということであって、短時間買い物に行ってもマスクをかけて、洋服を洗えば問題ないと程度と発表されている通りだと思われる。

今私たちがすることは、自分が伝えることにより人を死に追いやることではなく、大丈夫と広めることで窮状にある人たちを支援することではないだろうか。

噂は一人歩きする。車に乗って窓を閉め、それでも放射能が入ってくるからいわき市には行かないというトラック運転手他の人たちに、レントゲンを撮るより遙かに安全と伝えることだろう。チェルノブイリでも現場以外では、放射能により直接殺された人はいない、高濃度の汚染ミルクを飲んだからだと教えることだ。チェルノブイリでは情報は秘密にされたが私たちは得ようと思えば得られる。

これまでデータが発表されないとか改ざんされた可能性があるからといって、今回もデマだと決めつけるのはおかしい。世界中が固唾を飲んで数値を見守っており、嘘の発表はしたくとも出来ないというのが現状だろう。今回は東電・政府が嘘をついているとは思えない。重大すぎて嘘はつけない。

浮き足立つのは止めよう。自分がいわき市にいて、助けてくれる人もなく、地震、津波を生き抜いたのに噂で死にかけていると想像してみよう。どういう行動を取るのが正しいか分かるはずだ。

怖いのは仕方ない。私だって怖い。でも被災地で助けもなく寒さと飢えに苦しむ人たちを見殺しにするほど怖いものはない。

今は東電を叩くときではない。東電他が原発のコントロールに全力を尽くせるよう、支援すべきときだ。おぼれる犬を叩くのはフェアではない。余計に萎縮させ、出るはずの知恵も力も引っ込ませてしまう。

原発についての是非、日本が向かうべき実現可能なエネルギー政策についての論争は、原発がコントロールされてからだ。それまで、未来のために、後の世代のために、どうすれば一番いいか各自考えようではないか。

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